754.中央区スタンプラリー
秋晴れの連休の1日、都心をウオーキングした。
中央区が区政施行60周年を記念して選んだ「おはこ十八景」を歩くスタンプラリーである。
コースはAとBのふたつ、Bの方は「月島」「勝鬨」「築地」「銀座」「京橋」などご近所なので、日本橋方向のAコースを選ぶ。

出発点地は、伝馬町牢屋敷跡の近く「宝田恵比寿神社」。ここで地図とスタンプ用紙をもらって出発。
この神社は「日本橋恵比寿講べったら市」で有名、来週の週末には恒例の市が開かれる。
小伝馬町から大伝馬町、馬喰町、横山町を経てやげん堀へ。江戸時代から続いて来た地名が、ここで消える。「東日本橋」、両国橋にも近いこの一帯がこんな「無意味」な町名になってしまった。関西の繊維問屋などが集まっているが、全国区の地名「日本橋」に拘ったらしい。
ここにある「薬研堀不動院」で、スタンプを貰う。
目黒・目白と並んで江戸三大不動として知られるこの寺の本尊は、戦国時代の戦火を逃れて紀伊の根来寺から運ばれてきた不動明王。
ここはまた「講談」の縁の地で、縁日には講談会が開かれる。
そしてこの場所に、1838(天保9)年順天堂大学の祖となる和蘭 医学塾が開講した。
御幸通りから清洲橋通りに出て大通りを歩いて10分、浜町の「明治座」前に着く。ここが3番目のポイント。
1603(慶長8)年、江戸の市街地を広げるために墨田川沿いの低地を埋め立てて出来た土地である。昔の海浜の面影を残していたので、浜町と呼ばれた。
またこのあたりは、江戸時代に中村座や市村座などがあった場所でもある。歌舞伎や人形芝居が盛んだったことから、浜町の隣は人形町の地名が残る。幸い戦災を受けなかったので、昔ながらの下町の面影が残っている。
人形町では、大観音寺でスタンプを貰い次の目的地「茅場町」に向かう。
茅場町もまた埋立地。1606年の江戸城拡張、工事に必要な「茅」を扱う商人がここに集まったのが地名の由来だ。
現在は、隣の兜町も含め株取引のメッカとなった。東京証券取引所をはじめ、証券会社のビルが軒を並べる。
近くの公園で5番目のスタンプを貰った後は、休日で静かなビル街をテクテク歩く。
寛永年間、船を通すため江戸湊から長さ八丁(約872m)の堀を掘った所がここ八丁堀。江戸時代には与力・同心の組屋敷があった事から、当時の「デカ」は「八丁堀の旦那」と呼ばれる。
江戸初期は与力10人同心50人と小規模だったが、人口が増え犯罪も多発したことから、南北両町奉行の頃には与力50人同心280人に増えた。
与力に与えられた屋敷地は300坪~500坪、同心が100坪というから、この一帯のかなり広い部分が組屋敷だったようだ。ただし、彼等は不足がちな生活費を得るため、町人に屋敷地の一部を貸して長屋にしたらしい。目明しや岡引きを、自費で養わなければならなかったので仕方あるまい。
堀にかかっていた桜橋の近くでスタンプをもらい、鍛冶橋通り、中央大通りを歩いてゴールの日本橋に向かう。

デパートや老舗が並ぶ中央大通りは、休日だからこそ大賑わい。テンポを落としてゆっくり歩く。
銀座はともかく、この日本橋一帯は六本木や表参道に押されて、一時期人出が減った。老舗の旦那衆は危機感を抱き、様々なイベントを工夫して客を呼び寄せている。
このスタンプラリーもそのひとつなのだが、今月末の日曜日には「第35回日本橋・京橋まつり『東京日本橋パレード』」や「にほんばし諸国往来祭り『日本橋意気だね』」が開かれる予定だ。「渋谷・鹿児島おはら祭り」のチームも、パレードに参加するのでまた見物にでかけよう。
日本橋のたもと、元魚河岸の記念碑がある「乙姫広場」で「完歩」の証明書や記念品を貰って、スタンプラリーは終わった。
11時に日本橋本町の宝田恵比寿神社を出発して、中央区の北半分ををぐるりと回ってウオーキング。日本橋室町に到着したのは15時、途中甘酒横丁で昼食をとった以外は歩き詰め。いろいろと路地にも入ったので、歩いた距離は凡そ8キロ、心地良い疲れが残った。


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