1084.まぼろしの邪馬台国
「島原の宮崎です。映像の夕日の輝き、あの赤色が何ともいえない。対馬のシルエットが生きてました。色は歴史ですね」
突然の電話をもらったのは、1977(昭52)年12月5日の夜。この日をはっきり記憶しているのは、私が制作した韓国古代史関連のドキュメンタリーが放送された日だからである。
それからおよそ20分、宮崎さんは熱っぽく語った。
「伽耶の国の紅葉も素晴らしい。新羅の石仏は金色に輝いてましたね」
私はただ相槌を打つだけだった。
盲目の古代史研究家、とくに面識があったわけではない。「まぼろしの邪馬台国」が出版され、古代史ブームが起こった60年代、たまたま九州に勤務していたので、宮崎さんの講演は何回も聴いた。ただそれだけの関係である。
「色彩」に対する拘り、盲目の彼がなぜ? 当時こんな疑問を抱いたが、この作品をみて初めて諒解した。
彼が捜し求めた邪馬台国は、「色」だったのだ。
御輿来海岸の干潟と夕日。干潟の「干」は卑弥呼の「卑」に通ずると、映画の中で宮崎康平(竹中直人)が、妻和子(吉永小百合)に語る。
「魏志倭人伝」の記述を辿りながらの、夫婦の旅の中である。
偶然だが、前々号のブログで紹介した「レッドクリフ」と共通する時代である。「三国志」65巻の中の「魏志」巻三十、「東夷伝」倭人の条、通称「魏志倭人伝」。
239年倭の女王卑弥呼魏が明帝に朝貢との記録しか、当時の日本をを知るすべはない。妻の手と心臓の目で「色彩」を捉えた彼は、邪馬台国畿内大和説に真っ向から反論し、九州島原付近を比定した。
これが「まぼろしの邪馬台国」であり、1965(昭40)年第1回吉川英冶賞を受賞した論稿なのだ。
同名の映画は、邪馬台国ミステリーではなく、貧苦の中でロマンを求めた「元気な夫婦」の物語である。
脚本を「功名が辻」の大石静が書き、「明日への記憶」の堤幸彦が監督した。
「島原の子守唄」を作った詩人、島原鉄道元常務、そして古代史研究家の宮崎康平。その破天荒な言動、独断的な行動をしっかりと支えた和子夫人。
堤監督はその二人を、ユーモアたっぷり、情感豊かに描いた。
出演者は、吉永・竹中ほかに、窪塚洋介、風間トオル、平田満、柳原可南子、黒谷友香、麻生祐未、由紀さおり、余貴美子、大杉漣、江守徹、石橋蓮司、ベンガル・・・。
漫談の綾小路きみまろや長崎出身のキャスター草野仁などがサービス出演?
宮崎さんは1980(昭55)年に亡くなったが、和子さんは今も元気に活躍中と聞く。


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