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November 29, 2008

1100.11月のシネマ

051_640052_640053_640   今月も先月と同じく劇場で12本、鑑賞会で2本、テレビでは3本の作品をみた。

 映画館での初公開作品のうち、まだ記述してなかった3本を紹介する。

 「BOY A」
 今年のベルリン国際映画祭でエキュメニック審査員賞を受賞した作品。
 もう一度生き直すために、本当の名前を失った青年の孤独、傷心、そして希望を情感たっぷりに描いた作品。
 あの神戸での痛ましい少年殺人事件をヒントに、ジョナサン・トリゲルが書いた小説をもとに、マーク・オロウが脚本、ジョン・クローリーが監督した。このコンビは、アイルランドの若者を描いてヒットサセタ「ダブリン上等!」のコンビ。
 「大いなる陰謀」でデビューした、アンドリュー・ガーフィールドが主人公の青年を演ずる。

 「P.S.アイラヴユー」
 4年前に、弱冠21歳の女性作家セシリア・アハーンが書いた純愛小説が原作。世界40カ国500万を超えるベストセラー、日本では林真理子が訳(小学館)している。
 死んでしまった夫から、ある日届き始めたラブレター。それが彼女の人生に奇跡を起こす・・・。
 その彼女を演じたのが、「ミリオンダラー・ベイビー」「ボーイズ・ドント・クライ」と2度のアカデミー賞主演女優賞を受賞したヒラリー・スワンク。夫の役はイギリスの名優ジェラルド・バトラー、それに母親役として「ミザリー」でアカデミー賞を受賞したキャシー・ベイツが出演している。
 監督は、「マディソン郡の橋」の脚本家リチャードラグラヴェネーズ。

 「釣りバカ日誌19」
 松竹が毎年1回提供する爆笑シリーズ。山田洋次門下生たちが、今年も頑張った。出演は西田敏行・三国連太郎のお馴染みコンビに、浅田美代子以下の常連たち。
今回のゲスト出演は、ヒロインに常盤貴子そして山本太郎。
 舞台を大分に持ってきて、その大分出身の竹内力が善人役。いつもは怖いお兄ちゃん役の竹内が精一杯のサービスを。
 今年も「全国一律1000円興業」を実施。 

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November 28, 2008

1099.マルタのやさしい刺繍

Maruta  スイスの伝統的な小さな村。保守的な村人から冷笑され軽蔑されながらも、忘れかけていた若かりし頃の夢を実現させた、80歳の未亡人マルタの物語である。
 彼女の夢とは、自分でデザインして刺繍を施したあるもの!。彼女を支える「遅咲きの乙女たち」のチャーミングな心が、人生に輝きを与える。

 昨年大阪でのヨーロッパ映画祭で上映され、暖かい声援につつまれた作品。スイス本国では、「ダヴィンチ・コード」などハリウッドの大作を抜いて観客動員1位になった。そしてアカデミー賞外国語映画賞のスイス代表に選ばれている。

 日本では上映される機会の少ないスイス映画なので、出演者は馴染み薄い。
 しかし、マルタを演じたシュテファニー・グラザー88歳は、スイスの「グレート・レディ」と呼ばれるお茶の間の人気女優。かの国では知らない人はいないそうだ。
 また遅咲きの乙女たち、ハイジ=マリア・グレスナー、アンネマリー・デュリンガー、モニカ・グブザーは、ドイツやオーストリア、スイスの劇場で活躍している舞台女優達である。だ。

 映画を撮ったベティナ・オベルリは、スイス新鋭の女性監督。前作の「ひとすじの温もり」でも、ヨーロパ各地の映画祭で賞をとっている。
 今回の作品は、スイス・エメンタール地方に住む自身の祖母の生活からヒントを得たという。

Img02_2Img08_2  エメンタール地方は、アルプスの麓、ベルンの東にひろがる丘陵地帯。あの穴あきチーズで有名な牧畜の村々である。
 映画では、大きな屋根に美しい花で飾られた小さな窓が特徴のエメンタール独特の造りや、スイスアルプス伝統の民謡ヨーデル大会を見せるなど、のどかで豊かな農村の暮らしぶりを伝える。

Img06Img05  マルタや遅咲きの乙女たちは、デザートの定番「アップルパイ」をつまみながら、スイスの国民的カードゲーム「ヤス」を楽みながら、夢に向かって歩んでいく。 

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November 27, 2008

1098.その日の前に

Sonohi_s3_2 331547view001 「その日」を宣告された妻(永作博美)と、「その日」まで一生懸命に生きる夫(南原清隆)と子供たち。
 誰にでもいつかはやってくる「その日」を前にした母親(柴田理恵)と一人息子。
 「その日」を覚悟した男(筧利男)と友人(今井雅之)。
331547view002 妹(原田夏希)の「その日」を綴った宮沢賢治の詩。

 「死」に直面した家族と交錯する、様々な「生と死」が織り成すシンフォニーが、この映画の見どころである。

 原作は直木賞作家・重松清の連作短編小説「その日をまえに」。「涙が止まらず、通勤電車では読めない」と、TBSの「輝く!ブランチBOOK大賞」を受賞した。

 「・・・・・・この映画の中の人たちは、自分が死ぬ日(その日)を知って了った人たちだ。だから彼らは今、むしろ切実に生きている。・・・・・・死に向うロードムービーとは、つまり生きる悦びに彩られた断章の連続である。」(監督大林宣彦)

331547view004_2  夫婦役の永作博美と南原清隆がいい。
 永作は大河「功名が辻」などTV・舞台で活躍している女優。映画では「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」('07)で女優賞を総ナメ、「人のセックスを笑うな]('08)「クローンは故郷をめざす」('09公開予定)など話題作に出演している。
 南原は、お笑いコンビ「ウツッチャンナンチャン」の内村光良の相方。一人立ちして映画「七人のおたく」('92)に出演、現在では演劇・落語・狂言・スポーツキャスターとして大活躍している。

 冒頭で紹介しなかった他の出演者は、風間杜夫・村田雄浩・山田辰男・小日向文世・根岸季衣・左時枝・入江若葉のベテランに、宝生舞・寺島咲らの若手。
 先月亡くなった峰岸徹が南原の祖父役で出演している。大林作品常連の峰岸だが、病身の彼の「その日」を予感した大林監督が、「見舞い撮影」と称して台本にないカットを撮ったのだそうだ。
 脚本は大林監督とは20年ぶりのコンビ、市川森一。

 不条理な殺人事件が多い殺伐とした今日、「その日のまえに」悲しみを乗り越えていく人々の営みは尊い。

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November 26, 2008

1097.ひとまく映画会

 今月下旬は、ひとまく歌舞伎仲間と「遊ぶ」機会が多かった。昨日は、3ヶ月に1回開く「映画鑑賞会」である。懐かしい名画を、解説つき2本立てで見る。
 第9回目は「黄色いリボン」と「我が家の楽園」。

D110476544 「黄色いリボン」

 映画ファンなら誰もが一度は見た作品だろう。「アパッチ砦」('48)「リオ・グランデの砦」('50)をあわせて、「騎兵隊映画三部作」といわれるジョン・フォード監督の不朽の名作。1949年の作品である。
 モニュメント・バレーをバックにした西部の荒々しさと美しさ、そして騎兵隊とインディアンとの闘い、もちろん若い士官の恋もある。

 出演はジョン・ウエイン。彼はジョン・フォード監督とは「駅馬車」('39)「捜索者」('56)「騎兵隊]('59)など20本を超える作品に出ている。
51rghb8ztl__sl500_aa240_  「デューク」の愛称で呼ばれたヤンキーのシンボルとも言える男。1907年に生まれ1979年に72歳で没しているので、この「黄色いリボン」は42歳という最も働き盛りの作品といえる。
 そのウエンが、退役近い老境の指揮官を演ずるのだから面白い。

 彼の最後の作品は「ラスト・シューティスト」。ガンに侵されたガンマンの役だが、3年後に本人は大腸がんで亡くなった。

 私が見た最後の作品は、1975年の「オレゴン魂」。印象に残っている作品は、以上のほかに「アラモ」('60)「リオ・ブラボー]('59)「静かなる男]('52)「拳銃無宿]('47)。

 「黄色いリボン」の共演者は、ジョン・ドルー(「オール・ザ・キングスメン」'49)、ジョン・エイガー(「西部の愚連隊」'64)、ベン・ジョンソン(「アトランタ・ブギ]'96)。

51kw06fj7hl__sl500_aa240__3   「我が家の楽園」

 こちらは初めて見た作品である。1938年と旧い映画だが、フランク・キャプラ監督は、この作品でアカデミー賞の監督賞と作品賞を獲っている。
 一風変わった人物が出てくる人情喜劇でだが、当時の社会情勢を風刺した作品でもある。

 、ジェームス・スチュアートとジーン・アーサーが恋人同士という役。
 「自由の魂」でアカデミー賞最優秀男優賞を受賞したライオネル・バリモアがジーンの祖父役で監督の作品にこめた気持ちを代弁する。

190pxjames_jimmy_stewart_air_force  ジェームス・スチュワードといえば、ジョン・ウエンと対極にあるヤンキー。前者が強さ・逞しさとすれば、こちらは優しさ・誠実さである。
 といっても素顔は硬骨漢で、第2次世界大戦では陸軍のパイロットとして活躍している。
 この写真は、映画の登場人物のものではなく正真正銘の陸軍大佐のスナップ、最後は准将になった。

 1997年に89歳で亡くなったが、印象に残っている作品を年代順に並べると、「ウインチェスター銃’73」('50)「グレンミラー物語」('54)「裏窓」('54)「テキサス魂]('70)「ラッシー」('78)、最後の作品は「アフリカ物語」('80)だった。

 共演のジーン・アーサーは、「スミス都へ行く」と「シェーン」('53)ぐらいしか覚えがない。1991年に91歳で亡くなっている。

 今回の「鑑賞会」は、1930年代から40年代にかけてハリウッドを背負った2大監督の作品だった。
 ジョン・フォードは、アカデミー賞監督賞最多受賞者。「男の敵]('35)「怒りの葡萄]('40)「わが谷は緑なりき」('41)「静かなる男]('52)の4本。
 フランク・キャプラは、「ある夜の出来事]('34)「オペラ・ハット]('36)「我が家の楽園]('38)の3本と続く。

 「これだけの力量を持った監督は、なかなか出てこない」とは、鑑賞会ナビゲターの圓尾さんのコメント。       

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November 25, 2008

1096.シネマ歌舞伎

Flier_l_640 前夜に続いて「歌舞伎」を見た。といっても映画館での鑑賞。「人情噺文七元結(ぶんしちもっとい)」、松竹が開発した「シネマ歌舞伎」の第6作目である。

 シネマ歌舞伎は、ソニーのHD高性能カメラで歌舞伎の舞台を収録、編集のうえデジタルプロジェクターで上映する。
 5年前の第1作「野田版鼠小僧」以来、「研辰の討たれ」「ふるあめりかに袖はぬらさじ」などの話題作が上映され、映像の美しさと臨場感が話題となっていた。

 ただテレビ放送用の歌舞伎舞台中継制作を経験し、また最近ナマの歌舞伎をよく見るので、シネマ歌舞伎の方は敬遠してきた。
 そして初体験。一言で言えば「感動した!」。

 松竹の開発したシネマ歌舞伎は、1秒間の映像のフレーム数が60である。ハリウッドのデジタルシネマがフイルムと同じ24に対して3倍近い。だから臨場感が違う。そして美しい。シロやクロが決してつぶれない。
 もう一つは、音響である。数十本のマイクで収録した音、役者のセリフはもちろん劇場内の笑いやざわめき、そして掛け声を、大船にあるサウンドスタジオで映画のノウハウを駆使して編集、リアルに再現してる。
 さらに今回は、山田洋次監督の編集である。ロングとアップのモンタージュは、映画とはまた違った新鮮な映像表現だった。

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 さて作品の方。
 三遊亭円朝の口演を、榎戸賢治が脚色した人情噺、1902(明治35)年に歌舞伎座で初演された世話物のひとつである。
 無類の博打好きで借金持ちの主人公、年を越せそうにない親を見かねて吉原に身を売ろうとする娘。事情を知った女将から、50両を借りて帰る主人公が、大川端で会ったのは・・・・。
 笑いと涙の人情喜劇が展開する。

 主な配役は、主人公の左官・中村勘三郎、女房・中村扇雀、娘・中村志のぶ、金を無くした手代・中村勘太郎、吉原の女将・中村芝翫。
 勘三郎と扇雀の江戸っ子夫婦のやりとり、芝翫の説教にかしこまったり泣いたりする勘三郎。
 最大の見せ場は、大川端のほとりで手代を助けようと、迷いに迷う勘三郎の侠気と人情である。

 シネマ歌舞伎だけに、アップに耐える演技が必要。汗だくになりながら主人公を演ずる勘三郎は流石である。
 「歌舞伎」をみて、初めて涙を経験した。

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November 24, 2008

1095.ひとまく会

Kabukiza200811b_handbill  歌舞伎座の4階席で、最後の演目を楽しむ「ひとまく会」。今月は、「三代目中村時蔵50回忌追善狂言」と名打った「八重桐廓噺(やえぎりくるわばなし嫗山姥」を鑑賞した。

 三代目中村時蔵は、初代吉右衛門の弟で先代の勘三郎の兄。昭和歌舞伎を担った立女形で、芸格の高い演技が評価され、昭和の名優のひとりといわれた役者である。
 「嫗山姥」に出演している五代目時蔵、錦之助、歌昇は孫、梅枝はひ孫に当たる。

 「八重桐廓噺」は、近松門左衛門の世話物浄瑠璃「嫗山姥(こもちやまんば)」(全五段)から、二段目を歌舞伎化したもの。

 通称「しゃべくり山姥」と言われ、紙衣で登場した元遊女の荻野屋八重桐が、一人で語る「しゃべり」が最大の見どころ。幕切れには、超人的な力を持った八重桐が豪快な立ち回りを見せる。
 近松の浄瑠璃は、謡曲の「山姥」に源頼光伝説を絡ませたものだが、歌舞伎の方は「足柄山の金太郎」誕生説話である。

 八重桐は、三代目時蔵が何度も演じた当たり役。その子四代目も襲名の時に演じ、今回は五代目が三回目の八重桐を演ずる。
 八重桐の夫坂田時行(金時の父)を梅玉、源頼光の許婚澤潟姫を梅枝、腰元を歌昇という配役。

 ところで今月は「吉例顔見世大歌舞伎」と銘打っている。
 いわゆる11月は「歌舞伎正月」で、江戸の頃は今月から来年の10月まで、芝居小屋は役者と1年契約を結んでいた。そして今月の興業は、新メンバー揃って出演し挨拶する慣わしだった。
 現在は前進座以外、ほとんどの役者は松竹との専属契約となっており、「顔見世」の意味は薄れた。 

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November 22, 2008

1094.鎌倉巡礼古道を歩く

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 浄明寺見晴台から望む富士と鎌倉市街。左に遠く江ノ島が見える。
 「ひとまく会課外活動」始めてのウオーキングは、巡礼古道のコースだった。

081119_003_640081119_006_640081119_007_640   朝、鎌倉駅に集合。まずは「鶴岡八幡宮」にお参りして、源頼朝の観音信仰の跡を辿ることにした。

 戦乱の世、常に死を背負った東国の武士たちが、救いを求めたのが観音さまである。
 その観音さま、坂東三十三ヶ所巡礼は、一番札所の杉本寺に始まる。

081119_012_640081119_015_640081119_018_640  鎌倉幕府を開いた将軍にしては質素な頼朝の墓を抜け15分ほど歩いた二階堂に「杉本寺」はある。

 光明皇后が734(天平6)年に建立したこの寺は、鎌倉最古のもの。行基菩薩が刻んだ十一面観音のほか、慈覚大師(851年)、恵心僧都(986年)作の三体が本尊である。
 1189(文治5)年鎌倉で大火事があり、この時三体の観音が自ら境内の杉の根元に避難したという。この年は、頼朝が奥州で義経を討った年で、以来「杉の本観音」と呼ばれるようになった。

081119_022_640081119_024_640081119_028_640   竹林で有名な「報国寺」からモダンな「華頂宮侯爵邸」に立ち寄って、いよいよ「巡礼古道」に入る。
 この道は二番札所岩殿寺へ続く古道で、一人がやっと通れる山道である。

081119_019_640081119_030_640_2081119_032_640_2  およそ40分、庚申塚や磨岩仏、板碑を道標に歩く。
 この古道が発見されたのは、1938(昭和13)年の事で、その後も台風によるがけ崩れなど、度々閉鎖されてきた。
 近年この先の台地が、鎌倉逗子ハイランドとして開発され、古道もハイキングコースになった。

081119_041_640081119_045_640   浄明寺緑地で昼食休憩の後、再び険しい山道に入る。

 「名越切通し」。
 ここはは鎌倉七切通しのひとつで、国の指定史跡となっている。
 岩を切り開いたこの道は、鎌倉から三浦に通じる峠にある防衛遺構だ。幕府の実権を握った北条氏は、最大のライバル三浦氏の本拠地に通ずる名越峠に砦を築く。
 狭く屈曲した道、崖の上の平場には岩石を置き、攻める軍勢を防ぐ仕掛けを作った。

081119_046_640_2081119_043_640_2081119_048_640_2   名越はまた葬祭場でもあったらしい。名越の地名が「難越」から転化したように、険しい峠越えで多くの人が命を失い、ここに葬られた。そして鎌倉の庶民達も、遺骸をここに運び葬ったという。
 周囲にはまんだら堂ややぐら群、小さな無縁仏の石塔が乱立していた。
 そして現在、ここは「捨て猫の名所」になっているようだ。

081119_052_640_2081119_054_640_2  峠を下って30分、日蓮ゆかりの安国論寺、妙法寺を通って本日の史跡巡りの終点「安養院に向かう。
 081119_058_640 この寺は坂東・観音巡礼三番札所、北条政子が開基した寺で、政子の法名「安養院」を寺号としている。
 阿弥陀如来、千手観音、政子尼像が本尊で、寺の裏には政子の墓と伝えられる供養塔もある。

081119_056_640  「禁・札張り」との注意書きにも関わらず、至る所に千社札が貼られている。三番札所ゆえ、それも仕方がないのだろう。皆お参りした証拠を残したいのだ。

 頼朝の墓から始まって、最後は妻政子の寺で締めくくった「ひとまく会・巡礼古道を行く」は、5時間10キロを越えるウオーキング。上り下りの多い山坂で、足腰も凝ってきた。
 秋晴れのなか心地よい汗も流し、最後は鎌倉駅前の居酒屋で「般若湯」と〆る。別名「歩いて一杯の会」である。

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November 21, 2008

1093,50年目のひろしま(2)

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 広島は川の街である。大田川の三角州、広く大きな島に開けた町なので「廣嶋」と名付けられた、との説もある。
 その川の水を引き入れて作られた庭園が、「縮景園」である。ここを訪ねたのは、まさに50年ぶりだった。

081116_032081116_036   国の名勝「縮景園」は、1620(元和6)年に築成された安芸藩主浅野家の別邸である。
 中国の西湖など幾多の勝景を、縮めて表現したのでこの名が付いている。

081116_043_2   原爆で壊滅したが、広島県では戦災前の景観への復元に努めてきた。
081116_040  50年前始めて縮景園を訪ねたときは、櫻や梅、松やもみじはまだ若木で、みすぼらしかった。 しかし今、戦災の痕跡はない。美しい庭園が再現されていた。

 11月下旬、ひろしまは「もみじ」の季節。園内では「もみじ祭り茶会」も開かれていた。

081116_049_2  午後の帰京便までに時間があったので、庭園の後は「県立美術館」「ひろしま美術館」と二つをハシゴする。
 「県立」では、広島出身の画家・平山郁夫、奥田元宋、児玉希望らのスペシャル展、「ひろしま」では話題となったゴッホ「ドービニーの庭」の「黒猫」ミステリー。
 そして終点が「鯉城」である。

081116_052_3   「鯉城」は、中国地方を支配した戦国大名・毛利輝元が築いた典型的な平城。関ヶ原合戦後は福島正則が、その後は浅野家が12代にわたって城主となった。

081116_046_2  日露戦争時には、ここが大本営になるなど軍の要所だったが、原爆で壊滅した。
 5層の天守閣は、焼失ではなく爆風で押しつぶされたという。そして50年前私が広島に来た年、天守閣のみ復元された。
 その年、ここを主会場として「広島復興大博覧会」が開かれたのだ。

 1泊2日の短い旅、まさに青春時代へのSentimental Journeyだった。「ひろしま」を訪ねるのはこれが最後かも知れない。

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November 20, 2008

1092.50年目のひろしま

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081116_009_640   1958(昭和33)年、私は始めてこの門をくぐった。ここは東千田町にある旧広島大学跡地、建物は消えていたが平和のシンボル・フェニックス(不死鳥)やサンゴジュの緑は残っていた。

 先日、入学以来50年目の同窓会に参加するため、広島に出かけた。ちょっと早めに着いたので、わが青春の地を歩いた。
 ここは、世界の大学から送られてきた種や苗木で造園された「緑のキャンパス」だった。

081116_054_640 081116_053_640  1950年、「原爆の廃墟に緑を」と森戸辰男初代学長は、世界各国の大学呼びかけた。
 それに応えて、例えばアメリカ・南イリノイ大学からはホルトの木、イギリスのエジンバラ大学からはサンゴジュ、スイスのジュネーブ大学からはオリーブ、イタリアのボローニア大学からはハマヒサガキと、20を超える大学から多くの苗木や種が送られてきたのだ。

 私たちの卒業後20年目に、大学は西条(現在は東広島市)に移転を開始した。10数年の歳月をかけての引越しである。私たちの学部が移転完了したのは、1995年。ただ大学院と夜間コースだけは、旧地に残っている。

  大学移転から13年、広島市の中心部にある4万7000㎡の跡地の再開発は進んではいない。幾つかのプロジェクトも,この金融危機で頓挫したようだ。

081116_014_640081116_013_640  教養部時代の1年半を過ごしたのは、皆実町にあった旧制広島高校の校舎。現在は付属高校の建物になっている。
 木造校舎は全て取り壊されていたが、入学式が行われたレンガ造りの講堂だけは残っていた。
 この建物は、原爆にも耐えたただ一つの戦前の建物である。
 私たちはここから、「安保反対」のシュプレヒコールを挙げながら、平和公園へ向けてデモ行進した。

 旧制高校の伝統を引き継ぐ「薫風寮」の跡地は、テニスコートに変わっていた。毎年5月に開いた寮祭でのファイヤーストーム、あの頃の「情熱」が懐かしい。

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081116_024_640081116_020_640 4年間アルバイトで世話になった「広島市民球場」も、今年でなくなる。
081116_015_640  入学した年に完成したこの球場で、場内案内係を担当した。面積12.160㎡、3万2千収容の大球場だ。

 ここをホームグランドにしている広島カープは、市民の浄財で結成された「市民球団」だった。当時の監督は白石、経費を賄うため選手のユニホームの背中には、百貨店の広告が描かれていた。
 しかしバイト時代の4年間はCクラスを抜け出せなかった。しかし、以来カープファンを自認している。

 初めて赤ヘルに凱歌が上がったのは、1975年10月19日。そして日本一に輝いたのは1979年。私はこの朗報を、出張先のオスロで聞いた。

 今、広島市民球場は、内野席だけが開放されてる。もちろん入場は無料。この日グランドでは、少年野球チームが練習していた。

 夕刻、平和公園を訪ねる。

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November 19, 2008

1091.「甦る文明開化」展(築地編)

 
013_2  築地地域は、隅田川沿いに町人地があるのみで、殆どが大名屋敷だった。切絵図を見ると、一橋、井伊、紀伊、松平など徳川家一門が並ぶ。
 そのためか明治維新直後には武家屋敷は処分され、外国人居留地となった。
 また現在の国立ガンセンターから築地の中央卸売市場一帯は、海軍の施設となる。

014  展示されているこの写真は、外国人宿泊のため建てられた「築地ホテル」の望楼から写したもので、既に幾つかの洋館も建ち始めている(1871・明治4年)。
 このホテルは、東京における初めての和洋折衷建築物だったが、先号で述べた「銀座大火」で焼失してしまった。

 外国人居留地跡については、ブログ941~942号「明石町界隈」で記述したので省略するが、居留地にキリスト教各派の私塾が生まれ、それが現在の有名私立大学の基となったことを展示から紹介しよう。017_7 018_8   
 左の写真は、「海岸女学校」と呼ばれた青山学院大学の前身。明治10年から27年まで隅田川岸にあった。
 次の写真は「東京一致神学校」、現在の明治学院大学である。もともとプロテスタント3派が共同で開いた塾で、その後ヘボンの英語塾と合併して白金に移った。

021019_2  左は立教大学校、右は立教中学校。大学校の方は、明治27年には現在の池袋に移ったが、中学校と女学校は大正12年までこの地にあった。

 ほか工学院大学、関東学院大学、それに女子学院や暁星学院の前身もこの地にあった。
 慶応義塾は、ここにあった中津藩下屋敷を発祥の地とするが、維新前の慶応4年には築地を離れている。

 1873(明治6)年までは、キリスト教禁制の日本。治外法権の居留地を布教の足場と考え、外国のミッションは多くの宣教師たちを送り込み、ささやかな私塾を開いたのである。
 この私塾が、文明開化を先導する多くの人材を育てたのだ。

 「甦る文明開化~日本橋・銀座・築地~」展は、今月末の30日までタイムドーム明石で開催中(地下鉄日比谷線築地駅、有楽町線新富町駅下車5分)。
 入場は無料。

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November 18, 2008

1090.「甦る文明開化」展(銀座編)

012_2 三代広重の「東京名所図会」の1ページ、「尾張町日日新聞日報社」。1874(明治7)年に、銀座五丁目、当時の尾張町1丁目に引っ越してきた。
 馬車や人力車がガス灯の街並みを走る。その向こうに郵便配達夫、パラソルを差した紳士淑女も見える。

 現在の銀座は、1872(明治5)年の大火によって誕生したといえる。
 江戸城和田倉門から出火した火は銀座方面に燃え広がり、銀座の大半と築地は焼失、隅田川でようやく止まった。
 東京府知事は翌日、焼け跡の再建を禁止し、不燃と西洋化を目指した煉瓦造りの街区建設に取り組んだ。

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 車道と歩道を区別し、街路樹とガス灯を供す。建物は列柱とベランダを配した煉瓦造り。
 設計・監督を委任されたイギリス人トーマス・J・ウオーオルスは、故郷の繁華街リージェント・ストリートを念頭に置いた。
 1442戸に上る煉瓦街全体が完成したのは、大火から5年後の1877(明治10)年だった。

 横浜~新橋の鉄道開通もあって、銀座煉瓦街には西洋風の店が並ぶ。時計・貴金属・洋服・西洋家具・西洋レストラン・・・・。丸の内の官庁街、日本橋の商業・金融街、築地の外国人居留地に囲まれて、銀座は文明開化の魁となる。

010 銀座の名物男・岩谷松平は、わが郷里から裸一貫で上京し、日本一の「煙草屋」になった。 
 はじめは薩摩の物産を扱う店だったが、口付き紙巻煙草を発売して大当たり、当時としては珍しい派手な宣伝で庶民を惹きつけた。
 その後近くに電通が本社を置いたが、これは関係ないか。

011  銀座はまた、情報発信の街となる。「日新真事誌」「読売新聞」「東京日日新聞」(現在の毎日新聞)「郵便報知新聞」「朝野新聞」「東京横浜毎日新聞」「東京曙新聞」「時事新報」「国民新聞」など、新聞・雑誌・通信社の本社が銀座に置かれた。
 現在読売は大手町、毎日は竹橋、朝日も築地と本社を移したが、地方紙や地方のテレビ局の支社・支局の多くが、銀座に残っている。

 銀座が明治維新以来今日まで、文化情報の発信基地であることに変わりはない。
 次号は築地編。  

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November 17, 2008

1089.「甦る文明開花」展(日本橋編)

_640  「甦る文明開化~日本橋・銀座・築地~」展が、タイムドーム明石(中央区立郷土天文館)で開催されている。
 今年が明治維新140年の節目に当たる事を祈念して、日本橋・銀座・築地を中心に文明開化の諸相を展示した。
 今号は、まず「日本橋」から紹介しよう。

002  日本橋といえば、江戸時代から五街道の起点となった場所。
 1603(慶長8)年に初めて創架された「日本橋」は、その後何回と架け替えられ、現在は1911(明治44)年に完成した石造2連アーチの道路橋である。

                    003004 この地域は、江戸城下町の中心に位置し、商業・金融の町として栄えた。
 明治維新後もその性格は変わりなく、第一国立銀行や駿河町三井組の和洋折衷の建物が、日本橋川沿いに建てられ、近くの魚河岸や問屋街とともに日本橋界隈は賑わった。(写真は、魚河岸から望む日本橋~明治5年~、とその下流江戸橋・荒布橋~明治10年~)

005006 今回の展示の目玉の一つは「開拓使物産売捌所」、旧日本銀行関係資料の展示である。
 開拓使は1869(明治2)年に創設された、北海道開拓のための政府機関。外国人を召請したり札幌農学校を設置するなど、北海道の開発・経営に当たった。
 永代橋際にあったこの物産売捌所は、官営工場や農場の製品を陳列・販売する店舗である。現在有楽町と八重洲にある北海道のアンテナショップ、「どさんこプラザ」の前身!ともいえる施設なのだ。
 1882(明治15)年に開拓使は廃庁となったが、建物は日本銀行に貸与されここで中央銀行としての業務が始まった。

007_640_2  今はなき「物産売捌所」だが、この建物は鹿鳴館などを設計したジョサイア・コンドルの作品として知られている。
 今回その設計図や詳細な絵図が展示されているが、コンドルは隅田川を望むこの建物の設計にあたり、イタリアの水都ヴェネチアを思い浮かべて図面を引いた。
建物は、ヴェネチアンゴシック様式。室内意匠はヴェネシアンにイスラムと日本の趣を取り入れ、赤・青・黄色・紫など鮮やかな色彩で飾り、当時の日本では例を見ない華麗なものだったという。
 建坪85坪、煉瓦造総二階建て、1階は北海道の物産の陳列・販売、2階は接待所として客室・食堂・ビリヤードルームが設けられている。
 敷地内には、本館を凌ぐ大きさの氷室や麦酒貯蔵庫もあった。ここで官製「サッポロビール」が飲めたのだ。

 文明開化・日本橋の一端である。明日は銀座編。  

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November 15, 2008

1088.その木戸を通って

050_640 先月の東京国際映画祭で、特別上映された作品。今年2月に92歳で他界した市川崑監督を追悼して上映されたが、監督にとっては唯一の未公開作品と言える

 作品は、ハイビジョン試験放送のためにフジテレビが制作したもので、日本初の長編ハイビジョンドラマといえる。
 完成した1993年に35mフィルムに変換、ヴェネチア国際映画祭で上映され好評を博した。

 しかしこの作品は、衛星放送で一度だけ放送されたのみで、その後は人の目にほとんど触れることなく眠っていた、幻の名作でもある。
 このたび、ハイビジョンマスターテープから新たにダウンコンバートされ、ヴィスタヴィション映像として日本国内で初公開されたのだ。

 原作は、大作家 山本周五郎が1959年に発表した短編小説。
 城勤めの無為の日々を送る主人公の若侍のもとに、ある日ふらりと訪れた記憶喪失の女。その彼女の純粋さに誰もが心を和ませ、若侍の嫁となる。やがて娘も生まれ、仲睦まじく暮らしていたある日、女は「その木戸を通って」消えてしまう・・・・・。

 紫に煙る雨、緑まばゆい竹林、日本家屋内の明と暗、現実とファンタジーが見るものを不思議な世界へと誘い込む。
 市川監督の実験的な映像が、ハイビジョンという新しいメディアに挑戦する。

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 女・浅野ゆう子、若侍・中井貴一。
 ほかに、フランキー堺、井川比佐志、岸田今日子、石坂浩二、神山繁、榎木孝明と市川作品お馴染みの、懐かしい顔が並ぶ。
 いまや日本映画界を背負うベテラン監督佐々部清が、助監督として市川崑をサポートしている。

 ラストクレジットは、監督直筆の絵コンテをレイアウトした微笑ましいもの。
 この後、大阪、神戸、福岡、札幌と順次上映される。

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November 14, 2008

1087.東京道産酒の会

 北海道で生まれた人、北海道で青春を送った人、北海道での仕事に情熱を燃やした人、北海道にエールを送る人たちの集まりが「東京道産酒の会」。月に一回、地元の酒と料理と会話を楽しんでいる。
 198回の昨夜は、ジャズのナマ演奏を聴きながら秋の一夜を楽しんだ。

 今回のゲストスピーカーは、北海道ワイン㈱のソムリエ、ワインアドバイザーの中澤中さん。お話よりまずテースティング。
 全員で乾杯したのは、「2008おたるヴィラージュ・ヌーヴォー ミューラー・トゥルガウ 白」。
 浦臼町の「鶴沼葡萄畑」で収穫した、今年のミュラー種で醸造したヌーボー・ワイン。摘みたての葡萄のフレッシュな香り、清々しい酸は新酒ならではの味わい。
 フランスワインのヌーヴォーは、この20日から。1週間早い北海道ヌーヴォーを皆さんで楽しんだ。

 北海道ワインは、現社長の嶌村彰禧さんが、34年前甲府から北海道に入植してスタートした。だからまだ34回しか、収穫していない。しかし、試行錯誤しながら北海道らしい純国産のワイン造りに精進している。

 次にテースティングしたのは、同じ浦臼のセイベル13053赤のヌーヴォー。ライトボディの力強い風味のワインだった。

 さて昨夜は今年最後の「道産酒の会」。一年間皆勤賞など、盛りだくさんのイベントでタイムリミット。
 ジャズのナマ演奏は「クレイジー・リズム」「ホワイト・クリスマス」「メモリー・オブ・ユー」。ピアノ中山育美、クラリネット白石幸司、ギター阿部寛、そしてチューバは北海道帯広出身の加藤人の皆さん。

 酒の肴は、馬鈴薯ピーマン浸し、蟹玉子、シシャモ酒焼き、烏賊沖漬け、ホタテと鯛のサラダ、鮭ホイル焼き、牡蠣フライと北海道食材のオンパレード。
 次回は来年2月。
 (昨夜は、携帯電話を忘れたので、写真のご披露はなし)

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November 13, 2008

1086.七夜待 ななよまち

1024_768a 感性の映画である。30代の女性だったら、そのままスクリーンに溶け込む事が出来るのだろう。しかし、私は戸惑い、苛立ち、作品とのコミニケーションがとれないもどかしさを持ち続けた。

 「殯の森」で、カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した河瀬直美の意欲作である。
 初めて舞台を奈良から海外へ、それもタイの森の中に移した。

 タイに自分探しに出た30代のヒロインが、コミュニケーションのとれないことに「戸惑い、苛立ち、もどかしさ」を感じながら七夜を過ごし、やがて癒されていくというストーリである。(という事を納得したのは、映画終了後に手にしたチラシを読んでからである。)

 スタッフもキャストも多国籍である。
 脚本は河瀬と作家の狗飼恭子で書いたが、撮影はフランスの女流カメラマン、キャロリーヌ・シャンプティエが担当した。ゴダールやトリュフォーと組んで映画を撮影してきたベテランだけに、タイの熱帯雨林にヨーロッパの息吹を感じる。
 そしてほとんどのスタッフは、タイの映画人である。

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331106view009  メインのキャストは、この5人。ヒロインの長谷川京子(NHKドラマ「海峡」)にフランス人の「ゲイ」、グレゴワール・コラン(「王妃マルゴ」)。
 タイのオーディションで選んだ子役とその母親(実際の親子)、そしてタクシー・ドライバーのキティポット・マンカン(タイのコメディアン)。
 それに幻想的なタイの僧侶・村上淳(「ナビイの恋」)。

331106view002331106view006   脚本はあったが、セリフの台本はなかった。役者たちは、朝この日撮影される状況のメモだけ渡されてアクションに入る。
 タイ語にフランス語に日本語。お互いに言葉は通じない。ただ心と体とのふれあいだけだ。とくに、タイ古式マッサージによるお互いのコミュニケーションが癒しとなる。

 これから見る人、とりわけ我々の世代の人は、事前にチラシを読む事を勧める。そうでないと、「生の営みの根源を見直す」という、河瀬直美のこの作品に懸けた「トライ」を、見逃してしまうからだ。

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November 12, 2008

1085.ICHI ・市

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 「ICHI」とローマ字のタイトルにしたのは、配給がワーナー・ブラザーズ映画だから、ではないだろう。
 「タイタニック」のVFXなど国際的なクリエイターとして知られる、曽利文彦監督の想いが込められているのだろう。彼にとっては、「ピンポン」以来6年ぶりの実写映画なのだ。

 「市」といえば、日本を代表する傑作時代劇「座頭市」。勝新太郎が演じ、ビート・タケシも演じた。
 強烈な個性を持った二人の「座頭市」を乗り越えるには、「女」しかない。
だから曽利は「離れ瞽女(ごぜ)」を主人公にした。

329862view011  瞽女とは、三味線をひき唄をうたって銭を乞い歩いた、盲目の旅芸人。普段は集団で村々を廻るが、男と通ずると群れを追われ「離れ瞽女」となる宿命にあるという。
 映画「離れ瞽女おりん」という名作もある。

 一方の「座頭市」は、子母澤寛の代表作のひとつ。新聞記者を勤めながら、旧幕臣を取材して書いた「新撰組始末記」をはじめ「新撰組遺聞」「新撰組物語」など、池波正太郎や司馬遼太郎らに大きな影響を与えた大作家である。
 1962(昭37)年には、この「座頭市」で第10回菊地寛賞を受賞している。

 さてこの「名作」をどう脚色するか。曽利は浅野妙子を持ってきた。テレビ「大奥」、映画「NANA」と、時代劇・現代劇を問わず女性の心理描写をしっかりと書き込む脚本家である。そして、若い層にもきちんとアピールする。
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 この難しい役に綾瀬はるかを選んだのは、曽利監督の賭けだったかも知れない。「僕の彼女はサイボーク」('08)で韓国人監督のもと、個性的な演技を見せた。アイドルから女優への脱皮である。
 その彼女に殺陣指導したのが、久世浩。「市」の売りは、仕込み杖からの逆手居合い斬り。単なるチャンバラとは違う。
 「たそがれ清兵衛」「隠し剣・鬼の爪」「武士の一分」の殺陣師・久世が鍛えた綾瀬の腕は。スタントなしで全て自分でこなしたそうだが。

329862view005329862view012329862view004   綾瀬を取り巻く出演陣は、大沢たかおに窪塚洋介、そして中村獅童。窪塚と中村、前作「ピンポン」でも対峙したが今回は宿場の主導権を巡っての殺し合い。さてどちらが生き残るのだろうか。

 音楽担当に、ハリウッドで活躍するリサ・ジェラルドを持ってきたのも国際派・曽利らしい。彼女は、アカデミー賞に輝いた「グラディエイター」の音楽も担当したオーストラリア出身のアーチストである。
 そしてラストに、主題歌を韓国のソンミンが情感たっぷりに唄う。

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November 11, 2008

1084.まぼろしの邪馬台国

048_640 「島原の宮崎です。映像の夕日の輝き、あの赤色が何ともいえない。対馬のシルエットが生きてました。色は歴史ですね」

 突然の電話をもらったのは、1977(昭52)年12月5日の夜。この日をはっきり記憶しているのは、私が制作した韓国古代史関連のドキュメンタリーが放送された日だからである。

 それからおよそ20分、宮崎さんは熱っぽく語った。
 「伽耶の国の紅葉も素晴らしい。新羅の石仏は金色に輝いてましたね」
 私はただ相槌を打つだけだった。

 盲目の古代史研究家、とくに面識があったわけではない。「まぼろしの邪馬台国」が出版され、古代史ブームが起こった60年代、たまたま九州に勤務していたので、宮崎さんの講演は何回も聴いた。ただそれだけの関係である。

330244view004_2   「色彩」に対する拘り、盲目の彼がなぜ? 当時こんな疑問を抱いたが、この作品をみて初めて諒解した。
 彼が捜し求めた邪馬台国は、「色」だったのだ。

 御輿来海岸の干潟と夕日。干潟の「干」は卑弥呼の「卑」に通ずると、映画の中で宮崎康平(竹中直人)が、妻和子(吉永小百合)に語る。
 「魏志倭人伝」の記述を辿りながらの、夫婦の旅の中である。

 偶然だが、前々号のブログで紹介した「レッドクリフ」と共通する時代である。「三国志」65巻の中の「魏志」巻三十、「東夷伝」倭人の条、通称「魏志倭人伝」。
 239年倭の女王卑弥呼魏が明帝に朝貢との記録しか、当時の日本をを知るすべはない。妻の手と心臓の目で「色彩」を捉えた彼は、邪馬台国畿内大和説に真っ向から反論し、九州島原付近を比定した。
 これが「まぼろしの邪馬台国」であり、1965(昭40)年第1回吉川英冶賞を受賞した論稿なのだ。

330244view005  同名の映画は、邪馬台国ミステリーではなく、貧苦の中でロマンを求めた「元気な夫婦」の物語である。
 脚本を「功名が辻」の大石静が書き、「明日への記憶」の堤幸彦が監督した。
 「島原の子守唄」を作った詩人、島原鉄道元常務、そして古代史研究家の宮崎康平。その破天荒な言動、独断的な行動をしっかりと支えた和子夫人。
 堤監督はその二人を、ユーモアたっぷり、情感豊かに描いた。

 出演者は、吉永・竹中ほかに、窪塚洋介、風間トオル、平田満、柳原可南子、黒谷友香、麻生祐未、由紀さおり、余貴美子、大杉漣、江守徹、石橋蓮司、ベンガル・・・。
 漫談の綾小路きみまろや長崎出身のキャスター草野仁などがサービス出演?

 宮崎さんは1980(昭55)年に亡くなったが、和子さんは今も元気に活躍中と聞く。 

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November 10, 2008

1083,焼酎バー「黒瀬」(102)

017_640 年に一度の「ふるさと会」を愉しんだ。テーブルには、「つけあげ」(さつまあげ)と地元の焼酎が並ぶ。
 久し振りに、ふるさとの「お湯割り焼酎」だけで満足した。

 さて並んだ焼酎を紹介しよう。いずれも「黒瀬」で評判の銘柄である。

020_2 今最も話題の焼酎は、吹上焼酎の「小松帯刀である。あの「篤姫」で大活躍する、薩摩藩家老の名前を銘柄にした。
 明治の初め若くして亡くなった帯刀は、幻の宰相とよばれる。
 その帯刀の末裔が経営する蔵元が、先祖のの名を冠した。決して、大河ブームに便乗したのではない。既に、20数年前からこの銘柄は地元で愛飲されてきた。
 灘の親会社からは、同名の日本酒も発売されている。こちらは、あやかりである。

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 「より芋焼酎らしさをひきだす白麹を使用し、南薩摩産の黄金千貫で仕込みました。」(萬世
 「黒麹造りを得意としている黒瀬杜氏が、木樽蒸留機で蒸留し無ろ過で仕上げた渾身の一品です。」(蔵田山
 我が家の旧家近くにあった萬世酒造が、吹上砂丘の松林に新しい蔵を作った。ここから銘酒が生まれている。
 美術館を併設した松鳴館を、ぜひ訪ねてほしい。

018  「造り手の一人として愛をこめて醸造、蒸留した製品達です」
 宇都酒造四代目・宇都尋智さんからのメッセージ。三代目の建夫さんは、南さつま市観光協会の会長としてふるさと会に駆けつけてくれた。
 白麹を使って淡麗に仕上げた「天文館」、創業以来の銘柄「金峰」は黒麹、自前の米で麹をつくる「かせだんもん」、2~3年貯蔵した「」が並ぶ。

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 老舗の本坊酒造からは「桜島」と「貴匠蔵」。
 「春に咲く桜の如く、華やかにして、美しき味わい。」と詠うのは黒麹仕立ての「桜島」。
 「かめ壺でじっくり仕込んだ南薩摩の伝統香る芋焼酎。」は「貴匠蔵」。

 焼酎の蔵元としては日本トップ企業の薩摩酒造、本坊酒造から分社して隣の枕崎に 蔵を作った。
 今回も懐かしい「白波」がテーブルに並んだ。
 「基本を守り、心を込めて。香り立つやわらかな風味、飲むたびに味わいを感じさえる奥深さ。歴史と風土に育まれた本物の味わい。ここに、芋焼酎の原点があります。」
 薩摩酒造からのメッセージ。

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November 08, 2008

1082.レッドクリフPartⅠ(2)

329757view005  「M:1-2」(ジョン・ウー)×「パイレーツ・オブ・カビリアン」(クレイグ・ヘイズ)×「中国人民解放軍」(チャン・ジンチョン)=アクション・アドベンチャー・スペクタル史劇。
  この作品の仕掛けは、こんな数式で表現できる。

 ジョン・ウーは、「男たちの挽歌」で香港ノワールを完成させた監督。ハリウッドで製作した「M:Ⅰ-2」で660億円を稼いだ。その後「ウイドトーカーズ」(02)「ペイチェック」(03)とヒット作を飛ばす。若い頃から黒澤明に心酔、彼の作品には黒沢の「7人の侍」が色濃く反映する。
 ジョン・ウー監督の作品に欠かせないのは、アクション監督のコリー・ユン。彼もまた黒澤の大フアン、アクション俳優をこなしながらもフランスでは、「トランスポーター」の監督を務めた。
 美術・衣装のティム・イップも同じ香港の仲間。「グリーン・ディステイニー」でアカデミー賞を受賞した彼が、今回も見事な「美」を生み出す。

329757view001_2 VFX監督のクレイグ・ヘイズがいなければ、こんなに壮大なスペクタルは生まれなかっただろう。
 「パイレーツ・オブ・カビリアン」「ダイハード」などのVFXを担当したアメリカのオーファーネージ社のスペシャリスト。今回も1000人のエキストラを80万の軍団に仕上げる等、1000箇所のCGシーンを作った。

 そのエキストラは、毎度お馴染みの中国人民解放軍の兵士たち。今や中国本土でなければ、スペクタル・アクションは撮れない。それがまた、解放軍のビジネスなのだ。
 何百何千のエキストラを見事に動かし、壮大な合戦シーンを組み立てるには、第二監督を務めたチャン・ジンチョンしかいないという。
 「HERO」で見せた腕を今回も発揮、「解放軍将軍」の仇名通りの演出力だった。

 以上の数式の中で「演技」を見せたキャストに移ろう。

329757view006329757view007  トニー・レオンが、スマートに知将周瑜を演じた。豪傑風でないのがいい。
 前作「ラスト・コーション」に続いて、今回も新人女優と全裸の濡れ場を見せる。今回は、台湾のスーパーモデル・リン・チーリンとだ。この作品唯一のラブシーンだが、前回は女スパイ、今回は愛妻小喬が相手。このシーンは、後編の伏線とも言える。

 上の写真は後編のスチールだが、右が小喬、左の男が敵役曹操。「さらば我が愛/覇王別妃」の主役だったチャン・フォンイーである。

329757view002  もうひとりの主役、諸葛孔明は金城武。日本の役者というより国際俳優として活躍している。
 「劉備が三顧の礼で迎えた賢人にしては若い」との評もあるが、史実ではこの時の孔明の年齢は、金城よりも若かったそうだ。

 あと日本人俳優としては、中村獅童が周瑜配下の指揮官・甘興を演ずる。こちらは、なかなかの豪傑面だ。

 日本側といえば、映画音楽は岩代太郎が担当し、演奏は東京都交響楽団である。岩代が作曲した主題歌は、チベット人のアランが歌う。
 アランは坂本龍一によるプロデュースで、NHKの環境プロジェクトのイメージソングを歌うなど、現在日本でも大活躍している。彼女は、人民解放軍付属音楽学院出身という異色の履歴を持つ。

 このように「レッドクリフ」は、多国籍の優れた映画人の結集から生まれた作品といってよい。
 「この映画は、アジアの映画でも、ハリウッドの映画でもなく、世界の映画である」(ジョン・ウー監督)

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November 07, 2008

1081.レッドクリフ PartⅠ

001_640  先月18日、東京国際映画祭のオープニングに上映された特別招待作品。招待客はブラックタイで臨んだ。
 100億円の制作費は、中国・台湾・香港・韓国・日本からの出資。日本側の窓口となったのがエイベックス・エンタティンメントだが、そのトップは映画祭のチエアマンでもある依田巽さん、というわけだ。

 我々の世代なら誰でも知っている「三国志通俗演義」。1800年昔の史書「三国志」65巻を背景に、伝説や通説となった英雄豪傑の活躍を描いた明の歴史小説が映画の原本である。なかでもそのハイライト「赤壁の戦い」が、この作品の中心となる。「赤壁」、つまり「Red Cliff」である。

329757view001  時は208年、中国は後漢・献帝の御世。地方の覇者劉備(りゅうび)と孫権(そんけん)の武将周瑜(しゅうゆ)の連合軍5万が、南下する後漢の丞相(総理大臣・総司令官!)曹操の大軍80万を迎え撃った闘い。
 結果は、周瑜の部下黄蓋の火攻めの計で曹操は大敗し、天下が魏・蜀・呉三国に分かれた。
 赤壁(チービー)は、長江(揚子江)の中流、湖北省武漢の先にある壁岸。

 さて映画の方、これは前編だが2時間25分の長大作である。「赤壁の戦い」が始まる直前までだが、そこに至るエピソードが早いテンポで展開する。
 曹操に追われる劉備の軍師・諸葛亮こと孔明(金城武)と周瑜(トニー・レオン)との友情を軸に、周瑜とその妻小喬(リン・チーリン)との情熱的な愛、三国一の美女小喬に恋焦がれる敵将曹操(チャン・フオンイー)がからむ。

329757view004  英雄・豪傑たちのスペクタクルも事欠かない。
 劉備(ユウ・ヨン)の義兄弟関羽(バーサンジャブ)は、武勇と信義を持ち合わせた名将。その義理堅さから商売の神様・関聖帝君になった人物である。
 もう一人の義兄弟は、張飛(ザン・ジンシェン)。1人で1万の敵に相対する豪傑の活躍ぶりは、なかなかの見ものだ。
 さらにもう一人、趙雲(フー・ジン)。劉備の子供を救った長坂の戦いは、小説でも1章を成す。 

 見ものは、軍師孔明と知将周瑜が編み出す戦法である。その後日本でも戦乱の時代に軍師が参考にしたという、巧みな「兵法」がダイナミックに映像化される。
 現代映画技術の全てが注ぎ込まれて、アクションに次ぐアクションが展開される。それが映画の醍醐味なのだ。

 話は逸れるが、「三国志」は多くの故事・ことわざを残した。受験勉強時代、必死に暗記したが、そのいくつかを紹介しよう。

 「三顧の礼」
 劉備が孔明の庵を三度訪れて、ついに軍師として招く事が出来たという故事。礼を厚くして賢人を臣下に招く事をいう。

 「水魚の交わり」
 君臣でありなが友と同じように信頼した劉備と孔明の間柄をいう。その関係を、義兄弟である関羽や張飛が嫉妬するほどのものだったらしい。原文の一部だが「情好日密。関羽張飛等不悦。先主(劉備)曰、孤之有孔明猶魚之有水。願勿復言」(三国蜀志・諸葛亮伝)とある。

 「泣いて馬謖(ばしょく)を斬る」
 孔明の知遇を得ていた馬謖が、魏との闘いで命令に背いたため大敗、蜀の中原攻略は失敗した。その責を追求して孔明は彼を斬った。そして遺族を厚く世話する。(「十八史略)

 「危急存亡の秋(とき)」
 劉備亡き後に蜀が劣勢に陥った時、孔明が発した上奏。「今天下三分、益州罷敞。比誠危急存亡之秋也」(諸葛亮出師表)

 「死せる孔明生ける仲達を走らす」
 五丈原の戦いの途中で孔明は病死したが、魏の将・司馬仲達はそれが蜀の計略だと恐れて退却したという故事。

 故事を並べると、ページは尽きぬ。映画の仕掛け、キャスト・スタッフについては次号に。

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November 06, 2008

1080.日展

081103_640 大学時代の後輩から招待状が届いたので、国立新美術館に出かける。「日展」、第40回日本美術展覧会である。

 日展は、日本最大の美術団体。1907(明40)年、時の文部大臣牧野伸顕(現総理の曽祖父)が「文明国として世界に誇れる芸術文化の育成」を唱え、文部省美術展覧会(文展)を開いたことに始まる。
 その後帝展、文展、日展と改革を重ねたが、二科会や東光会と異なり、いわゆる官主導の「官展」の系統を継ぐ。
 現在は、日本芸術院から別れた社団法人「日展」が主催する公募展となった。

081103_003_640_2081103_009_640081103_011_640  展覧会は、日本画・洋画・彫刻・工芸美術・書の5部門に分かれた大規模な展示。
 国立新美術館3フロアーの殆どを占めており、なかなか見応えがある。

081103_007_640081103_005_640  友人の作品は、洋画部門に展示されていた。
 題は「ひまわり」、長い間闘病生活を続け、ようやく5年前から絵筆を取るようになった。そして今回、初めて日展に入選した。
 東光会の会員でもある彼女の作品は、このブログでもたびたび紹介してきたが(331号、625号、919号「東光展」)、年々そのタッチが明るくなるのがうれしい。

081103_019_640081103_017_640081103_016_640  秋のひととき、近くの六本木ミッドタウンの散策を兼ねて、美術鑑賞はいかが。

 「日展」は12月7日まで。入場料は1200円。金曜日は、午後8時までオープンしている。  

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November 04, 2008

1079.花クルー・ツアー・秋

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   (トリトンから眺める晴海通り)

081102_051_640081102_036_640 朝潮運河沿いに、「花・緑・水」をテーマにしたテラスを有する 「晴海アイランド・トリトン・スクエア」。
 季節ごとに催される花クルー・ツアーに、毎回参加している。
 600種・10万株の花や植物を、専門家のガイドで楽しむツアーである。ようやく歩けるようになった連れあいも、久し振りに加わった。

081102_016_640081102_021_640081102_023_640  秋は紅葉の季節、トリトンでもいくつか見られるが「ナツツタ」が鮮やかだ。ブドウ科の落葉ツル性の植物だ。
 シソ科宿根草の「ブルーサルビア」も、夏から秋と長く花が楽しめる。
 隣の「ローズマリー」もシソ科の植物。ラテン語で「海の露」、常緑低木の植物。

081102_032_640081102_041_640081102_042_640  今回は、冬咲きベゴニアを中心に案内してもらった。
 「レックスベゴニア」「リーガスベゴニア」「レッドウイング」と、同じシュウカイドウ科でも花は多用だ。
 冬を越し4月頃まで楽しめる。

081102_030_640081102_043_640081102_037_640_2   ツツジ科常緑低木の「ヒメイチゴノキ」、別名「ストロベリーツリー」。
 シソ科常緑多年草「アシュガ」に同じシソ科の「プレクトランサス」。
 コンパクトカメラでは、ここまでが限度。もっとアップだと、綺麗なのだが。

081102_008_640081102_011_640081102_010_640_2  この日トリトンススクエアでは、恒例の「晴海インフィオラータ」が開催されていた。
 インフィオラータとは、イタリア語で「花の絨毯」。13世紀ごろから、コルプス・ドミニ(キリスト聖体の祝日)では花を道に撒き行列する習慣があり、最近では著名な画家やファッションデザイナーが参加して、モザイク風の花のデコレーションで道を飾るようになったという。
 今ではイタリアの街だけでなく、日本ではこの晴海、アメリカではニューヨークとフィラデルフィア、カナダ・トロント、フランス・ルルドでインフィオラータが催されている。

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 「晴海インフィオラータ」は、5日(水)の夕方まで開催(夜間ライトアップ)。
 大江戸線「勝どき駅」下車、5分。
 また花のテラスや水のテラスも入場は自由。

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November 03, 2008

1078.ギンザ・ジャズ・フェスティバル

081102_640  連休の中日、中央区は「まるごとミュージアム」で賑わった。無料のバスや船でやってきた人たちが、パンフレット片手にご近所を歩き回る。そこでこちらは、夕暮れの銀座へ出かけた。

 「ギンザ・インターナショナル・ジャズ・フェスティバル2008」、世界各国・日本から14グループ・70名のアーチストが、銀座の街で同時多発的にライブを行うのだ。

 入場料は無料だが、6ヵ所のホールライブ・23公演は予約制になる。インターネットで8つの公演に応募したが、当選したのはひとつだけ。ただ1ヵ所からは招待状が届いたのでライブをハシゴした。

081102_005_640  「アルマーニ銀座タワー」で開催されたのは、イタリアのジャズ界を代表するトランペッター、ファブリッツオ・ボッソが新たに結成した「ラテン・プロジェクト」の演奏。
 アルゼンチン出身のサックス奏者、ジャヴィエル・ジロットと組んだセクステットで、アフロアメリカンのルーツを即興ジャズで聞かせてくれた。
 日本発上陸の演奏は、トランペットとサックスの見事な融合を見させてくれた。
 17時からおよそ1時間、立ち席を含め200人の観客は切れのよいビートに魅了する。

 終演を待たずに銀座四丁目の交差点を駆け抜け、三菱UFJの「プライベート・バンキング・オフィス」へ。銀行のロビーでは「パリジ・ミュゼット・トリオ」の演奏が始まる。

 ミュゼとは、南フランス地方の農民達が用いた楽器の一種で、バグパイプやオーボエに近い。この楽器のために作曲されたワルツなどがミュゼット、それがアコーディオンで演奏されるようになり、今ではフランス・ポピュラー音楽の一つのジャンルとなった。
 映画「昼下がりの情事」や「パリの屋根の下」のバックに流れるアコーディオンの曲が、ミュゼットである。

 演奏されたのは、「甘いよろこび」「パッション」「ボヘミアンドリーム」など14曲。「パリ・ミュゼット」の伝承者で作曲家でもあるフランソワ・パリジとMandaceのギター、ベースはFrasqueのトリオ。081102_001_640 それにゲスト・ヴォーカリストAWAによる「セ・シ・ボン」「枯葉」「バラ色の人生」の3曲が披露された。

 AWAは、アフリカのセネガルにルーツを持つ若手フレンチ・ジャズ・シンガー。近々デビュー盤「ラムール」も発売されるとあって、月末には恵比寿で日本初のライブも予定されている。

 第4回目になる「ギンザ・ジャズ・フェスティバル」では、このほか「アンディ・スニッツアー・クインテット」(アメリカ)、「エミリー・クレア・バーロウ」(カナダ)、日本からは「寺井尚子カルテット」「カルロス菅野~熱帯スパージャム」など11チームが演奏した。

 イベントを主催しているのは、銀座通連合会の国際ブランド委員会。銀座通りや晴海通りに店を構えるアルマーニやシャネル、ティファニー、カルティエ、ブルガリ、ルイ・ヴィトンエルメスなどいわゆるブランド店の組織。会場も、そうした店内が中心だった。

 午後7時30分、二つの会場で2時間半のライブを楽しんだ後、馴染みのスタンディング・バーでドライマティーニを。総理愛用の高級ホテル・バーのおよそ三分の一の値段、往復の電車代含め今夜の支出は1,200円。

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November 02, 2008

1077.出羽・味覚の旅

081031_095_640  「蚤虱馬の尿する枕もと」

 芭蕉一行が、3日間も逗留した「封人の館」を抜け出羽の国に入る。
 最上、尾花沢を抜けて目指すは東根、果樹王国である。

081031_053_640081031_052_640081031_051_640   東根はさくらんぼ生産量日本一を誇る。
 奥羽本線の駅の名も「さくらんぼ駅」。駅前には、「佐藤錦」生みの親・佐藤栄助翁とこどもたちのブロンズ像が建てられていた。
 さくらんぼのシーズンは、5月から6月。今年の初夏、隣の村山で「さくらんぼ狩り」は楽しんだ。
081031_059_640081031_060_640081031_063_640    そして秋は、「ぶどう狩り」に続いて「りんご狩り」の季節。
 今年はよい天候に恵まれて香りも味も上々、樹上完熟した「サンふじ」や「王林」を心行くまで味わった。
 来月は「ラフランス」も実る。

081031_099_640081031_100_640  帰途、天童を通って山寺へ。

 「閑さや岩にしみ入る蝉の声」

 芭蕉の句でも有名なこの寺、正しくは宝珠山立石寺(りっしゃくじ)。860(貞観2)年に開かれた天台宗の山寺である。麓の根本中堂から山門を抜け,2000段近い階段を登って奥の院までは、およそ1時間かかる。
081031_114_640  若い頃一度登ったが、今回は時間が(高齢者仲間の旅!)なかったので、眺めるだけにした。
 友人の山形の実家で、きのこ料理といも煮をご馳走になって、秋の旅を終える。

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November 01, 2008

1076.こけしの里・鳴子

081031_046_640081031_039_640081031_041_640_2   紅葉を愛でた後、鳴子温泉郷に宿をとる。
 鳴子、東鳴子、川渡、中山平、鬼首と5つの温泉地を有する鳴子温泉郷は、「温泉番付」で東の横綱。
 硫黄泉、炭酸水素塩泉、塩化物泉、含アルミニュウム泉、含鉄線と、日本の温泉11種の泉質の8つが鳴子にはある。

081031_043_640081031_045_640  鳴子温泉駅の前の通りは、谷内六郎のイラストが入った行燈が並び、湯巡りの足元を照らしてくれる。
 もともと「鳴子」の地名は「啼子」。源義経が兄頼朝に追われ奥州平泉に逃れる途中、北の方が亀若丸を出産。なかなか産声を上げなかった赤子が、この温泉に浸かって始めて啼いた、という伝説に由来する。
 これは、芭蕉と同行した曽良の「奥の細道随行日記」の記述。

081031_032_640_2081031_037_640_2081031_021_640_2  鳴子はまた「こけし」の故郷のひとつ。東北各地の温泉場の木地師に伝承されたこけしは、素朴なみちのくの心を伝えてきた。
 肘折系(山形)、津軽系(青森)、南部系(岩手)、土湯系(福島)、木地山系(秋田)、遠刈田系(宮城)など、11の系統に分けられるこけし。鳴子は最も旧い生産地と言われている。

081031_025_640081031_034_640081031_022_640  といっても、「こけしの歴史」はそんなに古いものではない。
 今から200年前の文化・文政の頃、奥山で木地業を生業とする人々が、我が子の玩具として本業の合い間に作ったのが始まりという。それが湯治場のおみやげ品となって、全国に拡がった。

 前髪を含めた独特の描き方、胴模様は写実的な大輪菊、頭ははめこみ式で、首を回すとキイキイと鳴る。鳴子こけしは、初々しいみちのくの山の娘の雰囲気を持つ。
 小さなこけし2体を、みやげに買った。 

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