七福神は仏教の「七難即滅、七福即生」の経文が起源。仏の教えを守れば、天才や火災、水害・旱魃・盗難など七難は消滅し、長寿・裕福・清廉・威光などの七福が得られるというのだ。
成立は室町時代。仏教や道教、神道の神仏七体をひとつにまとめた、神仏混交の信仰である。
江戸時代に入って現在の七神仏となり、また七福神を順番に参詣する風習が、庶民の間で広がった。
鎌倉の七福神は国宝級のものも多く、国宝館など別の場所に安置されているケースもある。
また本堂内は撮影禁止のため、ここでは実物の紹介はできない。右のパンフレットで、メージしてほしい。

さて4番目は、中国道教の老僧「寿老人」。安全・健康・長寿の神である。
祀られているのは日蓮宗の寺「妙隆寺」。室町幕府六代将軍足利義教と対立した、日親上人が修行した寺として知られている。
上人は「鍋冠り日親」という異名を持つ荒行僧で、たびたびの拷問にも屈せず82歳の天寿を全うしたことから、この寺には寿老人が祀られている。

小町大路から大町に出ると、本覚寺に着く。前日が「十日戎」の大祭、その後片付けで境内は雑然としていた。
しかし普段閉まっている夷堂がまだご開帳で、恵比寿さんに会うことが出来た。
「いざなぎ」と「いざなみ」の間に生まれたのが、夷三郎。諸般の事情!で日向の高千穂から海に流されたという。
その夷が攝津の国武庫の浦に流れ着き、祭神恵比寿となったのが西宮神社。だから戎講の大本はこの神社、毎年1月10日の「十日戎」はここからテレビで中継される。
以上の経緯からも分かるように、恵比寿は七福神の中でただ一人日本出身の神様なのだ。
商売繁盛、家運隆盛、五穀豊穣の福神である。

本覚寺から鎌倉の市街を横断、およそ1時間近く歩いた由比ガ浜の先に、御霊神社がある。
平安末期、鎌倉・湘南地方の領主、鎌倉党の頭領・権五郎景政が祭神である。
毎年その命日である9月18日には、伎楽や舞楽・田楽などに使われる特異な面つけた十人衆が、街の中を練り歩く。
この十面のなかに「福禄寿」があるのだ。
福禄寿は南極星の化身といわれ、背は低いが頭が長く、鶴を伴っている。福・緑・寿の三徳を備え、長寿・家禄永遠を司る福の神。

鎌倉七福神めぐりのゴールは、御霊神社の隣にある長谷寺。
736(天平八)年開創の古刹。本尊である十一面観世音菩薩は、9.18mもある本邦最大級の木彫仏である。
その長谷観音を祀る観音堂の隣に、大黒堂がある。
本尊の大黒天は室町期の作で、神奈川県では最古の尊像とされ、宝物館に安置されている。
だから堂内にあるのは、そのレプリカ「出世開運大黒天」である。
米俵の上に足を懸け、大きな袋を担いで小鼓を持つ愛らしい神。もともとインドでは破壊の神、中国では武神だった大黒天も、渡来するとすっかり日本に馴染む。出世・開運・財富招来の福の神となった。
長谷寺の小高い丘から眺める鎌倉の街と相模湾、その向こうには三浦半島も見える。
江ノ島の弁財天もふくめ、八つの社寺を回る巡拝は、20数年前から始まり年毎に盛んになってきた。
今回のシニア・ボランティアガイドによるツアーだけでも、100人を超えた。
腰にぶら下げた「万歩計」は、自宅から数えて19、651歩。直線にすれば7キロ強の距離だが、広い寺社の境内をウロウロしたので結構歩いたことになる。
帰途、鎌倉駅前での打ち上げで飲んだビールで、カロリー減は帳消しとなったが。
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