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June 30, 2009

1286.ひとまくワインの会

090626_014_640  歌舞伎を楽しむ仲間「ひとまく会」も、20年をこえると幾つかの趣味の会が生まれる。「ゴルフ」「俳句」「映画」「狂言」「ウオーキング」・・・、その中で最も新しいのが「ワインの会」。今回が3回目である。

 会場は横浜・元町にある「リストランテ・グランドゥーカ」。イタリア・ワイン専門家のひとまく会員のお話を聞きながら、ワインとシチリア料理を楽しんだ。

090626_016_640  いただいたのはシチリア・ドゥーカ・ディ・サラパルータ社のワイン7種類。14人の参加者で14本空けたので、ほろ酔いは通り越した。
 シチリアといえばコーサ・ノストラ、カポたちも酔いつぶれたワインに違いない。

 サラパルータ社は1824年創業。まだスペイン・ブルボン家が支配していたシチリア王国時代である。
 サラパルータ公爵ジュゼッペ・アッリアータ卿が、自分の館で客人をもてなすためにワンを自家醸造したのが始まり。
 「シチリアの大地の恵みを最大限に生かした、高品質なワイン」が、創業者のモットーである。

 まずウエルカム・ドリンクとして「ブリュット・リゼルヴァフレッシュでエレガントな辛口スプマンテ、いわゆる発泡ワインである。
 グレカニコとシャルドネぶどうを、シュール・リー法(酵母の上で熟成させる)で造る。
090626_001_640  アンティパストに合うということで、マグロのカルパッチョやタコ・イワシ、ラタトユイの乗った「ミスト」がテーブルに並んだ。

 トマト味の自家製パンをつまみながら飲んだのは「コルヴォ・グリチネ。ソフトな味わいの白ワインである。

090626_003_640 3本目は「コルヴォ・ビアンコ。シチリアの伝統的な品種インツォリアとグレカニコを使ったワインで、ミディアムボディとしっかりした味。
090626_004_640  パスタや貝類に合うそうで、テーブルの料理は「スパゲッティ ノルマ」、ナスとトマトソース、チーズというポピュラーなシチリア料理である。
 映画「ゴッド・ファーザー」で、一家の食卓シーンにたびたび登場したスパゲッティだ。

090626_005_640  今度は「コルヴォ・ロゼ」。ネレッロ・マスカレーゼやネーロ・ダーヴォラなど、シチリアのブドウをバランスよくブレンドした辛口のロゼで、口に含むとほのかな苦味とすっきりとした酸味が広がる。
 美しいバラ色を残すため、温度管理など熟成には手間がかかるそうだ。

 5本目は「コルヴォ・ロッソ、ロゼと同じ品種のブドウを使った赤ワイン。
 スラヴォニア産のオーク樽で熟成したバランス良い味わい、深いルビー色が美しい。

 「コルヴォ」とは烏の意味。以上、サラパルータ社のポピュラーな4銘柄。

 6本目からは、は本日のスペシャル。まずビアンカ・ディ・ヴァルグァルネーラ(シチリア・ビアンコ
 創業者サルバルータ公爵の「白い館」の名を冠したワインである。
 複雑で深みのあるドライフルーツのような香りと、しっかりしたボディのエレガントなワインだった。
090626_006_640  バターを使った魚料理に合うそうで、本日は「マグロの頬肉のソテー」がメインディッシュだった。

 最後は「ドゥーカ・エンリコ(シチリア・ロッソ、シチリアの伝統品種ネーロ・ダーヴォラ1種類だけで造ったフルボディの赤ワインである。
090626_018_640  サラパレータ社のワインの品質向上に大きく貢献した、エンリコ公爵に捧げられたワイン。円熟したなめらかさと余韻の長さが特徴で、気品に満ちた最高級品とのこと。

 手作りのデザートを味わいながら、ワイン談義は夜遅くまで続いた。

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June 29, 2009

1285.出羽・史跡散策

090624_007_640090624_006_640090624_640  「旧米沢城」

 今最もホットな観光スポット。兼継の「愛のかぶと」を見るために、多くの観光客が訪れている。

 米沢は、関ヶ原の合戦で西軍に味方して破れた上杉景勝が移封された土地。
 関白秀吉の五大老となって、会津若松120万石の城主となった景勝。兼継もまた家老の身ながら、米沢30万石を与えられた。
 しかし家康に敗れた景勝は、ここに移されで謹慎、30万石に減封された。そのため兼継も、6万石となる。
 大阪夏の陣では徳川方についた景勝と兼継、その武勇が広く謳われて上杉家は安泰し、明治維新までこの地を治めた。

090624_008_640090624_009_640  米沢城の本丸跡には上杉神社がある。戦国の名将上杉謙信(写真左)と江戸時代の名君十代鷹山(右)を祀る。
 鷹山についてはブログ1246号でも紹介したが、彼の「国家と人民」のあり方を論じた「伝国の辞」は、アメリカのケネディ元大統領が度々引用したように、当時としては考えられない「民主国家論」だった。

090624_016_640090624_018_640_2  減封された米沢にあって、「人こそ組織の財産なり」と家臣をリストラせず、財政改革を進めた直江兼継。
 不況のなかで、藩主の生活費を7分の1に削減して有為の人材を登用、新田開発や産業振興によって藩政を改革した上杉鷹山。
 二人は、米沢の人々の誇りである。

 明治になって二の丸跡に建てられた上杉伯爵邸は、今市民に開放されている。
     

090624_070_640090624_068_640    「慈恩寺」

 羽前・寒河江にある慈恩寺は、出羽一の名刹。弥勒堂を中心に三ヵ院、四十八坊からなる大寺院だった。
 寺伝によれば746(天平18)年、インド僧バラモンによって建立されたという。

 寒河江が摂関家藤原氏の荘園となって以来、慈恩寺は勅願寺として栄えた。江戸時代になると、寺領は18ヵ村に拡がり幕府より2800石の後朱印を与えられている。

090624_087_640090624_072_640_2 国重要文化財の本堂に祀られている本尊は、阿弥陀如来(重要文化財)。
 隣の薬師堂には、重要文化財の薬師三尊(薬師如来日光菩薩、月光菩薩)と十二神将が安置されている。
 平安後期に彫像された仏像群は、躍動的な彫刻と評判を呼び、海外での展覧会にも出品された。
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 また慈恩寺の祭礼、5月5日の「一切経会」で奉奏される「舞楽」は、国の重要無形文化財に指定されており、難波の四天王寺の楽人林越前がこの地に伝えた。
 林家は一子相伝でこの「舞楽」を継承、現当主は79代にあたる。

 出羽の山村で、「燕歩」「安摩」「陵王」「太平楽」など、雅な舞楽が演じられる事はあまり知られてはいない。

090624_084_640090624_078_640090624_077_640   「旧堀米家」

 江戸時代、代々名主を務めた堀米四郎兵衛。豪農であると同時に、最上川舟運を仕切った紅花商人でもある。

 エジプトからシルクロードを経て伝わった紅花栽培は、この村山地方に根付き「最上紅花」として珍重された。

 最上川から庄内へ、そして京に届けられた紅花の「紅」は、貴族のあでやかな衣裳や口紅として重宝される。同じ重量の米の100倍もした紅花は、江戸享保以降全盛期を迎えた。

090624_080_640090624_076_640090624_081_640    堀米家の敷地は、3000坪。長屋門・座敷蔵・後朱印蔵を構え、江戸末期には167名の農兵を組織し、百姓一揆など地域の治安に備えた。
 今も残る「武者蔵」は、その時の武具を備蓄した「兵器蔵」である。

 戊辰戦争によって農兵団は解散させられたが、堀米家が紅花で稼いだの財の巨大さを想像させる。

 堀米家の邸宅・敷地と古文書類は、28年前に10代目当主より河北町に寄贈され、現在は「紅花資料館」となっている。 

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June 27, 2009

1284.さくらんぼ狩り

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090624_048_640090624_053_640 同郷の仲間達との恒例の「さくらんぼ狩り」。
 今年も山形県のほぼ中央、村山にある旧知の農園に出かけた。
 鹿児島ではサクランボが獲れないため、郷里の親戚や知人に送ると喜ばれる。

090624_052_640090624_050_640090624_067_640  山形県は日本一のさくらんぼの産地。2500haの果樹園があり、1万3500tを生産する。
 隣の町、東根の佐藤栄作さんが開発したルビーのような「佐藤錦」をはじめ、「ナポレオン」「南陽」「シャボレー」「紅秀峰」など十種類近い品種が植えられている。

090624_056_640090624_055_640_6090624_058_640  さくらんぼは、外来の果樹。1876(明治9)年に、当時の農商務省がフランスやアメリカから苗木を輸入、山形県で試験栽培したのが始まりである。

 現在も愛好家の多い「ナポレオン」が、その外来種なのだそうだ。

 今年は天候の影響で育ちが早く、「佐藤錦」は先週でほとんど収穫は終わっている。農園では私たちのために、1本の「佐藤錦」の木だけを収穫せずに残して置いてくれた。
 品質は例年に劣るが、甘みの強さはさすがである。
 2キロ箱に「ナポレオン」と半分ずつ詰め、それぞれに送ってもらった。

 秋には、「ラ・フランス」と「リンゴ」の収穫に、この地を訪ねる予定だ。   

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June 26, 2009

1283.トランスフォーマー/リベンジ

333193_02_01_03 「シンドラーのリスト」('93)「プライベート・ライアン」('98)「ミュンヘン」('05)などシリアスな作品を制作・監督する一方、「ジュラシック・パーク」や「インディ・ジョーンズ」シリーズなど、超娯楽作品を送り出すスティーブン・スピルバーグ。
 金属生命体が暴れまくる「トランスフォーマー」は、後者の中で最も徹底した娯楽作品である。20090220011fl00011viewrsz150x_5

 また彼は、新しく開発されたデジタル映像技術を、すぐ取り入れることでも有名だ。ハリウッドで初めてフイルム・カメラをハイビジョン・カメラに切替えたのも彼だし、VFXも絶えず最新技術を導入する。
 今回の「トランスフォーマー」は、まさにその先端技術、CGの限りを尽くして機械を変身(トランスフォーム)させた。

 前作に引き続いて、スピルバークと一緒に製作総指揮を担当し、監督したのはマイケル・ベイ。斬新なパワーアクションとスピーディーな展開を得意とする、CM出身の監督である。

 彼が監督した作品は必ず当たる、というのが業界の定説になっている。
 30歳で映画監督デビュー、最初の作品「バッド・ボーイズ]('95)は1億4000万㌦、次の年の「ザ・ロック」「アルマゲドン」は3億5000万と5億5000万、「パールハーバー]('01)も4億5000万㌦と大ヒット、そして2年前の「トランスフォーマー」は7億㌦以上の興業収入を上げた。

 出演者の方も、前回の俳優が顔を揃える。

333193_100x100_004_5  前作では高校生だった主人公はもう大学生。スピルバーグ秘蔵っ子のシャイア・ラブーフである。「インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国」「イーグル・アイ」('08)と立て続けに出演した。
Tf2_dtop7_1024x768_3  お相手のミーガン・フォックス、前作では可愛いガールフレンドだったが、今回は「初体験」も済ませたセクシーな女に変身した。

 アメリカ特殊部隊の大尉ジョッシュ・デュアメル、技術軍曹タイリース・ギブソンもお馴染み。カンヌ国際映画祭で男優賞の受賞経験を持ジョン・タートゥーロは、同じ捜査官役である。
 そして主人公の両親には、ベテラン俳優のケヴィン・ダンとジュリー・ホワイトが扮する。

 そういえば、スピルバーグの製作する娯楽作品の方は、親子というか家族が登場する。その一家が、ハラハラドキドキしながら家族の絆を深めていく冒険物語となる。子煩悩な彼の一面を見せてるのだろう。

333193_100x100_003  トランスフォームする金属生命体、前作は13体だったが今回は50体以上。それが敵味方に分かれて闘うのだから、区別がつきにくい。
 ディセプティコンが敵でオ-トロボが味方、メガトロンスタースクリーム、ブラックアウトが敵でオプティアスが味方?
 先日テレビで前作が放送されたのでメモして置いたが、それでもよく分からなかった。ガンダム世代はすぐに覚えるのだろうが。

  今週は「ターミナーター4」「スター・トレック」「トランスフォーマー」と、SF大作映画週間だった。 

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June 25, 2009

1282.スター・トレック

001_640 40年前ジーン・ロテンベリーが創作した「スター・トレック」。このSFアドベンチャー物語は、1966年にテレビ・シリーズとしてスタートした。

 日本でも、若山玄蔵のナレーションが評判で、調査船「U・S・Sエンタプライズ」の宇宙大作戦は、子供達をテレビの前に釘付けしたという。
 そして2005年の第5シリーズまで、番外編を加えると数百本の数になるらしい。
 映画もまた、1979年ロバート・ワイズ監督が製作して以来10本を数える。

 この超人気番組や映画を、なぜか一回も見ていなかった。10年ほど前仕事でラスベガスに出かけた折、泊まったヒルトンホテルに「スター・トレック博物館」があって、模型の宇宙船に乗ったり出演者たちのコスチュームを見て何となくストーリーを知った程度だった。

329887_100x100_007  今回の作品は、1966年のオリジナルを再構築した「リ・イマジネーション」版なのだそうだ。
 主人公である青年ジェームズ・T・カークの成長の物語、宇宙に進出していく人類の運命と希望を描いている。
 最近流行の暗く悩めるスーパー・ヒーローや、昨日のブログ「ターミネーター」のように、科学技術の急速な進歩の果てに地球を破壊してしまう 恐ろしさ等は描かない。あくまでも未来は明るいのだ。

329887_100x100_004  科学的な小道具は古典的である。タイムスリップ、ブラックホール、物質転送装置などSF映画では使い古したものだが、現代のVFX技術が見事に生かされている。
 見てはいないので比較は出来ないが、40年前は工夫に工夫を重ねて映像化したに違いない。

 出演者たちも当然、現代の若手スターたちである。
 カークを演ずるのは、新星クリス・パイン。「スター・トレックの良心」バルカン人と地球人の間に生まれたミスター・スポックはザッカリー・クイント(テレビ俳優)。
 韓国出身のジョン・チョウ(「アメリカン・ビューティ」)やゾーイ・サルナダ(「ターミナル」)、アントン・イエルチェ(「ターミネーター4」)たちが、宇宙船「エンタプライズ」の乗組員だ。

 ただひとり、レナード・ニモイが未来のスポック役で登場している。テレビや映画を見た人は懐かしいだろう。彼こそ元祖スポット役で、テレビ「スター・トレック」でスターとなり、2本の映画シリーズの監督も務めた長老!なのだ。今回はプロデューサーを兼ねている。

329887_100x100_005  ニコラス・メイヤーなど数多くの監督達が手がけてきた「スター・トレック」、今回は「M.・I:Ⅲ」('06)で長編映画初デビューのJ・Jエイブラムスが監督した。
 「明るい未来とシンプルなSF」を目指したそうだ。
 脚本は、「M・I:Ⅲ」や「トランスフォーマー」を書いたロベルト・オーチ&アレックス・カーツーマン。
 そうだ明日は、「トランスフォーマー・リベンジ」を見に行こう。

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June 24, 2009

1281.ターミネーター4

T600_800x600 冷徹無比、黒づくめの殺人機械「ターミネーター」。アーノルド・シュワルツェネッガーの代表作は、この3部作だった。

 1984年の第1作「ターミネーター」は、人類の希望の星ジョン・コナーの将来の母親となる女性を、未来のジョンが助けた。この時はシュワちゃんが怖かった。
 1991年の第2作は、10代のジョンを助けるため未来のジョンが活躍した。今度はシュワちゃんも人類の味方だった。
 2003年の第3作は、20代のジョンを未来のジョンが助けた。シュワちゃんは苦悩した。

Johnconnor_800x600  そして今回は、30代になったジョン・コナーである。
 邦題は「ターミネーター4」となっているが、決して4部作目ではない。
 原題は「THE TERMINATOR SALVATION」。新たなシリーズが始まったのだ。

 監督も代わった。「チャーリーズ・エンジェル・シリーズ」のマックGである。当然これまでジェームズ・キャメロン監督が描いてきた、壮大な世界観からは離れる。

 物語の設定を「審判の日」の後に、つまりスーパーコンピューター「スカイネット」が人類絶滅のために起した核戦争後の2018年とした。未来から来たターミネイターが、現代の人類を攻撃するのだ。
 絶望的な未来から、修復可能な現代へという視点はない。

331380_100x100_006  30代になったジョン・コナーは、生き残った数少ない人類軍のリーダーとして登場する。その役は、「ダーク・ナイト」でスターとなったクリスチャン・ベイルが演ずる。
 シュワちゃんの後継者は、サム・ワーシントン(「ジャスティス」'06)。半分人間で半分機械、記憶を失った彼は初めから人類の味方だ。そしてこれまでは描かれなかった「ターミナーター誕生の秘密」が明かされる。

331380_100x100_005  将来ジョンの父親になる青年はアントン・イエルチェ(「スター・トレック」'09)。彼が殺されれば、人類軍のリーダー・ジョンは存在しない事になるので、彼を機械軍(スカイネット)から救出せねばならない。このあたりの発想は、前シリーズを引き継ぐ。

 ヒロインはブライス・ダラス・ハワード(「スパイダーマン」'07)。名匠ロン・ハワードの娘だ。

 脚本を書いたのが、「007/慰めの報酬」のポール・ハギスと「ダークナイト」のジョナサン・ノーラン。
 かって人間の作ったコンピューターに支配される「機械軍」と、ナマの人間との壮絶な「戦争映画」が誕生した。

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June 23, 2009

1280.さつま今昔(13)

086    「かくれ念仏」

 半世紀ほど前、鹿児島県霧島山麓の村の小学校で「給食拒否」の騒動があり、地元紙が大きく取上げたことがある。
 給食に出された「鶏肉」が問題になったのである。
 この「事件」によって、これまで地元の一部にしか知られてなかった「カヤカベ教」の存在が明らかになった。

085  カヤブキの壁に本尊を隠して祈る宗教、周囲の人たちはこう噂していたが、表向きは「霧島講」。山岳神道のひとつである。
 だから、天照大神が霧島高千穂の峰に降臨した時、鶏をともにしていたので、「神鳥」として敬っていたのだ。

 しかし信仰の実態は、「阿弥陀如来」を本尊とする真宗(一向宗)だった。薩摩藩による「一向宗禁制」を逃れるため、山岳信仰を取り込んで偽装した。
 いわゆる「かくれ念仏」である。

 1963(昭和38)年、京都の龍谷大学は「鹿児島における禁教と開教に関する調査研究」として、このカヤカベ教の実態調査を行い、はじめて学問的にその存在意味を明らかにした。
 調査は足掛け3年にわたって行われ、筆者もコーディネイトと取材を兼ねて同行したが、教えを秘匿しようとする信者や教えそのものが「口誦伝承」のため、調査も取材も難しかった事を思い出す。

 「カヤカベ教」ほど特異な存在ではないが、鹿児島各地には「かくれ念仏」の遺跡や伝承が多く残っている。
 また薩摩藩による厳しい詮議と、門徒に対する無残な拷問の記録も残っている。

081_exposure084_exposure   故郷南さつま市には、山中の岩屋の中に阿弥陀仏を隠して拝んだ「相星かくれ念仏」の遺跡が保存されている。
 こうした「かくれガマ」は、隣の知覧・川辺(南九州市)にも幾つか残っている。

 1858(安政5)年、加世田郷小松原の蔵元(米倉庫)を襲った「加世田一揆」は、一向宗門徒である農民と下級郷士による叛乱だった。厳しい年貢の取立てと宗教弾圧に対する怒りが、上級郷士に対して爆発したのだ。
 3日間続いた一揆は、日新寺(曹洞宗)の僧の仲介によって納まったが、10人の首謀者は鹿児島の宗門改め所に引き立てられ、言語を絶する取調べを受けた後、種子島などに流された。

 江戸末期、加世田唐仁原の番役(門徒講の指導者)儀兵衛は「かくれ念仏」が発覚して、鹿児島に護送。割り木責めと重石責めの拷問を受けたが白状せず、半身不随のまま一生を終えた。
 また加世田益山の寺園伝蔵は、1915(大正4)年84才で亡くなったが、明治初めの「禁圧解禁」まで18回もの拷問による取調べを受けた事を証言している。(「日本残酷物語」第3巻)
 その拷問に使われた重石などは、現在鹿児島西本願寺別院の庭に残されている。

 戦国大名と対立した本願寺門徒の「一向一揆」は、室町から戦国時代にかけて、北陸を中心に度々起こった。信長などかなり手こずり、何度も兵を出す。本願寺の本山があった、大阪の石山を焼き討ちにしたのもそのひとつである。

 江戸時代に入ると、徳川家康は本願寺を幕藩体制下に組み込んだ。官僚化した宗門指導者たちも、幕府の寺請制度を通じて門徒とのつながりを強化し、教団の維持に努めたのである。
 こうして本願寺(浄土真宗・一向宗)は、日本の総人口の半数を檀家として組織する最大教団となった。

 しかし薩摩藩だけは、戦国時代からの掟「一向宗禁制」を変えず、厳しい弾圧を続けた。その凄まじさは、キリシタンに対するそれ以上だったという。
 何故薩摩一藩のみが、このような弾圧を続けたのだろうか。それには幾つかの説がある。

 ひとつは、1587(天正15)年の豊臣秀吉島津攻め(1587年)のとき、一向宗門徒が先導した事の逆恨み説。
 もうひとつは、島津家の家督をめぐるお家騒動(1599・慶長4年)の折、敗れた薩州島津家や家老伊集院幸侃(こうがん)一族が一向宗信者だったからという説がある。

 しかし本質的な理由は、一向宗の宗祖親鸞の平等主義が、薩摩藩としての権威と権力の維持に相反するからである。
 既にそれ以前から、島津日新公は「日新菩薩記」の中で、一向宗の教えが「忠孝に反するので禁制にすべし」と述べている。

 もうひとつ、経済的な背景もある。
 「搾取本願」といわれるほど、教団は門徒から各地の産物を上納させていた。薩摩の「かくれ念仏」にも、「椎茸講」とか「煙草講」「仏飯講」などという名前が残されているように、講を開いては物産を集め密かに京へ送っていた。
 侍の多い貧乏藩であった薩摩にとっては、産物の流失は藩の財政に大きな影響を与えたのである。

 明治維新、そして「廃仏毀釈」。1616を数えた薩摩藩の寺院全てが壊された。侍たちが菩提寺としていた真言・曹洞・臨済・法華宗の寺々である。

089_640  島津家の菩提寺福昌寺も、残っているのは歴代藩主の墓だけである。
 島津家由緒の妙円寺(伊集院)、感応寺(野田)、慈眼寺(谷山)や、名寺一乗院(坊津)も跡形なく消えた。
 ここまで完璧は「神仏分離」を行ったのは、薩摩と水戸だけだった、といわれている。

 1876(明治9)年、「真宗解禁」。京都からは7人の青年僧が、布教のため来鹿した。湧き出るように、門徒衆が彼等を迎えた。
 鹿児島における寺の再建は、真宗からはじまり現在も日本一の「真宗王国」を築いている。

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June 22, 2009

1279.さつま今昔(12)

       「密貿易屋敷」

067_640  日本三津のひとつ、坊津(南さつま市)。飛鳥の頃から260年にわたり、ここから遣唐使が旅立っていった。阿倍仲麻呂、吉備真備、藤原清河、大伴古麻呂ら奈良・京の公家出身の若者達である。
 大伴は、鑑真に同行して秋目浦に帰ってきたが、多くの遣唐使は異郷で亡くなった。

071_exposure_2  その坊津に「密貿易屋敷」と呼ばれる、古い家と蔵が残っている。テレビの紀行番組でも度々紹介されるが、ここは「ヤマキチ」の屋号で知られる海商・森吉兵衛の屋敷跡である。

068_640  この家、外から見れば普通の屋敷だが、中は複雑巧妙な構造になっている。取り外しの出来る階段、船底型の天井、二階の隠し部屋からは、玄関から座敷まで覗い見る事が出来る。

 また唐紙を開けると、港の外れまで遠望できる仕掛けである。
072_640  代々藩の御用商人の傍ら、密貿易を営んできた海商の暮らしが偲ばれるのだ。

 八丈島に流された丹宗庄右衛門や坊津の森吉兵衛と同じく、薩摩の浦々では多くの海商たちが活躍していた。

 阿久根は丹宗家のほかに河南家、志布志の中山家、東串良の田辺家、坊津は森家のほかに重・中村家、加世田の鮫島・森田・吉峯家、指宿の浜崎家など、全国に知られる廻船問屋も多い。

 なかでも指宿・浜崎家は薩摩一の海商と云われた。文化年間(19世紀初め)の全国長者番付で筆頭に数えられ、加賀の銭屋、紀伊の紀伊国屋と並び称された豪商でもあった。
 とくに幕末の八代目の時代が、最盛期である。
 指宿の本宅は家族にまかせ、鹿児島城下に大邸宅を構える。長崎、函館、大阪、新潟、佐渡、那覇に支店を設け、稲荷丸など48隻の大・中帆前船を自由に操った。
 表向きは藩の御用と称し、実質は密貿易である。

 その太平次を藩は保護し、彼はまたそれに応える。特に藩主島津斉彬と親しく、彼は薩摩藩のスポンサーとしてその財政を支えた。

077_640  斉彬が、洋式工場「集成館」で武器や軍艦を製造した資金の出所は、太平次ら海商の懐から出たのである。
 またその後、薩摩藩の若者19人を英国留学(1865年)に送り出した資金も、太平次が出している。


 薩摩は海に三方を囲まれた、古くからの海洋王国である。南北朝時代から戦国時代(13~16世紀)にかけて、東シナ海を押さえた倭寇はみな薩摩人なりと、明の史書にも記されている。
 秀吉の時代は「朱印船貿易」、江戸時代に入って鎖国令(1639年)が敷かれると、彼等は琉球交易の担い手としての藩御用達の海商になる。

 海商たちは、長崎の島々や琉球を中継基地にして、中国・朝鮮や東南アジアから「唐物」と呼ばれる米・絹・綿糸・ビロード・絨毯・薬種・書画骨董などを密輸入、醤油・茶・椎茸・寒天・フカヒレ・干しナマコ・樟脳・陶磁器等を密輸出した。

074  斉彬の先代・斉興の時代、薩摩藩は500万両の負債を抱えていた。時の家老調所笑右衛門は、「天保の改革」によって逆に軍資金500万両を蓄える。
 テレビ「篤姫」の2回目に平幹二郎が調所に扮して登場したが、この「改革」のベースが海商たちの「密貿易」による運上金だった。
 しかしやがて、この事は幕府の知るところなり、調所はその責を負って江戸藩邸で服毒自殺するのである。

066_640_3  坊津でも享保年間に「唐物くずれ」と呼ばれる、幕府による一切手入れがあった。あまりにも大掛かりな密貿易が上方で露見し、薩摩藩としても隠し切れなかった。

 幕府による詮議の情報が坊津に伝わると、海商たちは持船を隠岐、琉球、清国の港に隠した。その数は70隻を超えたという。
 この事件で、坊津の海商の家から男達の姿が消え、屋敷には婦女子だけが残った。繁栄していた港町は一転してわびしい寒村と化したのだ。

 幕末、再び「海商」の時代になるまでに、半世紀近い年月がかかっている。

 江戸末期、坊津の海商たちは、カツオ漁業にも手を出す。ルソン沖の漁場はまた、密貿易にも都合がよい。
 しかし明治の中頃の大海難事故「黒島流れ」で、多くの漁船と漁師を失う。森家も事実上破産した。
 密貿易屋敷は昭和に入ると旅館となり、谷崎潤一郎や梅崎春生が滞在、ここから「台所太平記」や「幻化」などの名作が生まれた。
 今その屋敷も、歴史の彼方に消えようとしている。

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June 20, 2009

1278.路上のソリスト

Thesoloist_desktop_lg_1_640 '05年4月17日発行「ロサンゼルス・タイムス」のコラム、題して「弦2本で世界を奏でるヴァイオリニスト」。 コラムニスト、ステイーヴ・ロベスが書いた記事は大きな反響を呼んだ。

 名門ジュリアード音楽院でチェロを学びながらも、心の病でホームレスとなった天才音楽家の紹介である。
 「いったい彼に何があったのか?」記者にとっては、まさに格好なネタだった。
 以後現在も、音楽家とコラムニストとの交流は続き、「コラム」の連載も続いている。

333186_01_01_03  昨年には、それまでの3年間の「コラム」が一冊の本にまとめられて出版された。
 映画は、その実話をもとに二人の心の軌跡を追ったもので、他人の人生に深く関わってしまったジャーナリストとしてのモラルや苦悩も描かれる。

 「僕は彼の人生を変えた。取材相手とは適度な距離を保つべきだが、彼は記者人生でただ一人の例外。どうしても関わりたいと思わせるほど、彼の心には深遠なものが宿っていた」とスティーブ・ロペスは語る。

 出演は、ホームレスの天才音楽家にジェイミイ・フォックス。盲目のピアニスト、レイ・チャールズを描いた「RAY/レイ」('04)でオスカーを始め、多くの主演男優賞を受賞した彼である。
 もともとミュジシャンでピアノを得意とするフォックスが、天才チェリストそれも心を病んでいる役を見事に演じている。

 コラムニストの方は、「アイアンマン」('08)にも主演したロバート・ダウニー・JR。「トロピックサンダー」などで、アカデミー賞にもノミネイトされた役者である。
 そして同僚で別れた元妻の役が、キャサリン・キーナー。「カポーティ」('05)など性格女優として活躍している。

 監督にイギリス出身のジョー・ライトを持ってきたのが面白い。
 「プライドと偏見]('05)や「つぐない」('07)など彼の監督作品は端正で、描き方もクールである。
 現在進行形、実在人物が目の前にいるだけに、ことさら感傷的な美談にはしていない。

333186_01_04_03  他企業に買収されリストラが続く「ロサンゼルス・タイムス」の現実も、きちんと背景に組み込みながら、物語りを綴った。
 ただひとつ事実と違うのは、コラムニストは愛妻家で、決して離婚はしていないんだそうだ。
 「人はみな、孤独なソリストなのだ!」と、監督は言いたかったからか。

 ロサンゼルス・フイルハーモニックが演奏する、ベートーベンの交響曲「第3番」「第9」、弦楽四重奏曲15番イ短調など、劇中音楽が素晴らしい。ロス・ダウンタウンにある「ディズニーホール」を使って演奏している。 

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June 19, 2009

1277.レスラー

011_640  「白いドレスの女」('81)「ダイナー」('82)など、カリスマ性のある美貌で80年代はスターとして輝いていた元ボクサーのミッキー・ローク。
 数重なるスキャンダルなどで俳優人生はどん底に落ち、90年代は再びプロボクサーとなり、銀幕を去った。
 そして今世紀、顔のダメージを整形で隠し、脇役として映画の世界(「シンシティ」'05)に戻ってきた。

332729_01_01_03  そのロークが全身全霊をこめて演じた主役は、ゴールデン・グローブ賞を受賞。作品も昨年のヴェネチア国際映画祭で、最高賞の金獅子賞を受賞する。そして多くの批評家協会賞やインディペンデント賞で、主演男優賞に輝くのである。
 ミッキー・ローク映画人生の再起、映画の主人公もまた彼と同じように「世紀の再起」を果たそうとする。

332729_100x100_006  金と名声、家族も失った元人気プロレスラー。老いと孤独を抱えながらも再び栄光の舞台へと舞い戻る。しかし、彼の心臓は薬漬けによってボロボロになっている。
 このギリギリの戦いの中に、落ちてもなお失わない人間としてレスラーとしての尊厳を見るのだ。

 老いたレスラーの悲劇性と、俳優ミッキー・ロークの悲劇性とが何層にも重なり合って痛ましい、とある批評家が書いていた。
 ローク自身も「自分の全てをこの映画に賭ける」と誓い、監督もまたロークの主役を頑なに守り、低予算で映画を作った。

 応援したのは、本物のプロレスラーたちだった。ブッチャーやミラー、キリングス、ロッセリなど本物のレスラーたちが、本物のプロレスファンを前に本物の試合を行い、その中で撮影されたという。
 だからローク自身、3ヶ月かけてプロレスのテクニックを身に付け、満身創痍でプロと戦った。

 監督は「π(パイ)」('98)でアンダンス映画祭監督賞を受賞したダーレン・アロノフスキー。
332729_100x100_005  主人公と不器用な恋をする、子持ちのストリッパーにマリサ・トメイ(「いとこのビニー」でオスカー)。娘役に若手個性派のエヴァン・レイチェル・ウッド(「ダイアナの選択」'07)が出演。

 ロークの友人でロックミュージシャンのブルース・スプリングスティーンが、無償で主題歌を作った。
 この主題歌「ザ・レスラー」は、ゴールデン・グローブ賞主題歌賞を受賞している。

 ラストシーンは、日本のプロレス界を背負ってきた「2代目タイガーマスク」三沢選手の、「リング場での死」を予感させる。 

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June 18, 2009

1276.梅雨空・長谷あじさい巡り

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 長谷・成就院の参道。あじさい見物の観光客で賑わう。
 今月の「ひとまくウオーキング」は、梅雨空のもと鎌倉・長谷の紫陽花を楽しんだ。

090617_005_640090617_010_640090617_011_640  江ノ電・極楽寺駅下車。上杉謙信のご先祖、関東管領上杉憲方の墓にお参りした後、成就院に向かう。

 真言宗大覚寺のこの寺は、鎌倉幕府第3代執権北条泰時が開いたもの。極楽寺切通にあって「泰時の物見寺」と呼ばれた、鎌倉防衛の要衝でもある。

090617_012_640090617_025_640090617_029_640  山門に続く参道は、人間の煩悩の数108段の石段で、その周囲には262本の紫陽花が植えられている。
 左から「甘茶」「十二単」「黒姫」。般若心経の文字と同じ本数なのだ。

090617_038_640090617_039_640   江ノ電の踏み切りを渡ると、権五郎神社。
 歌舞伎十八番「暫」で御馴染み、鎌倉権五郎景政を祀る御霊神社である。
 秋、景政の命日には仮面を付けて神輿の前を練り歩く「面掛行列」が催される。

090617_070_640090617_074_640090617_043_640  神社の隣が有名な長谷寺。
 ブログ1138号「鎌倉七福神めぐり」で既に紹介したので由来は省くが、多くの同名寺の中では奈良の長谷寺と並ぶ双璧である。
 ご本尊の「十一面観世音菩薩」は高さ9.18m、奈良の菩薩とは兄弟仏。同じ楠から生まれている。

090617_044_640090617_054_640090617_055_640  長谷寺は、明月院と並んで鎌倉を代表する「あじさい寺」である。このシーズンは、入場制限が行われるほどの賑わい。
 裏山の散策路には、40種類以上の紫陽花が咲き乱れていた。

090617_056_640090617_057_640090617_059_640  上の写真左から、「隅田の花火」「エンドレスサマー」「紅額」。
 左の写真は「夏祭り」「海王星」「エーゲ海」。
 西洋あじさいを中心に、2500株以上が植えられているという。090617_065_640_2 090617_062_640 
 
 紫陽花は日本原種の「ガクアジサイ」が、200年ほど前にヨーロッパに渡り、「東洋のバラ」として珍重された。
 その紫陽花が品種改良され「西洋アジサイ(ハイドランジア)」として逆輸入されている。
 家庭の庭先で、今花開く球状の紫陽花は輸入品種なのだ。

090617_013_640090617_072_640  「あぢさゐの 下葉にすだく蛍をば
   四ひらの数の 添いふかとぞ見る」

                (藤原 定家)

 今月のウオーキングは、長谷周辺だけの散策で歩数が少ない。そこで鎌倉駅のいつもの「居酒屋」まで、およそ2キロを歩く。 ドア・ツー・ドアで12871歩。

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June 17, 2009

1275.ガマの油

_640 「さあさあお立会い!御用とお急ぎのな方は、ゆっくりと聞いておくれ!」
 こどもの頃に出逢った「ガマの油売り」。
  その口上と姿が忘れられず、とうとう「映画」を作ってしまった役所広司さん・・・・という「映画」である。

 脚本家も昔から「ガマの油」に拘っていた。筆名うららさん、今村昌平、北野武監督作品のスクリプター福田花子こと中田瑛子さんである。

 そしてカメラは、日本とハリウッドで活躍している東京芸術大学院教授の栗田豊通。
 その他今村組のベテランスタッフが、初監督の役所広司を支えた。

332815_02_01_03_2  シュールで不思議な感じの作品である。

 破天荒な父親(役所広司)と優しい母親(小林聡美)、大人しい息子(瑛太)に恋人(二階堂ふみ)と少年院出身の親友(澤屋敷純一)。

 話は息子の交通事故死から始まる。

 ファンタジックだがメッセージ性の強い作品である。だから観客は支離滅裂なストーリーに疲れてしまう。
 実は、それが監督の狙いなのだ。観客は混乱しながら、見事監督のワナにはまってしまう。

332815_02_02_03  役所に瑛太に小林が上手いのは当たり前だが、新人の二階堂がけなげだ。澤屋敷も本職はK-1選手だが、味を出している。ほかにベテランの八千草薫と益岡徹。
 豪華多彩なキャストである。

 タラーリ、タラーリと流したガマの脂汗、トローリ、トローリと21日間かけて煮詰めたガマの油。
 どんな傷でもたちまち治す「ガマの油」、みんなの心の傷を癒すことが出来るのだろうか。

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June 16, 2009

1274.武田光弘個展

 なぜか知人・知人に「絵描き」が多い。独立美術や二科会、東光会などの正会員であるプロから、サラリーマン時代からの日曜画家まで多士多彩である。
 今月は、彼等から三つのグループ展や個展の案内をいただいた。

090615_019_640 昨日鑑賞した個展の武田光弘さんは、そうした絵描きの中でも特異な「画家」である。
 現職時代は一度も絵筆を握った事の無かった彼が、リタイア後突然パリに住みプロの画家を目指したのだ。
 以来7年、半年近くはパリで暮らす。そして年に一回、東京で個展を開く。
 初めの頃、口うるさい仲間達は「道楽も才能のうち」と冷やかしていたが、今では脱帽している。

090615_003_640090615_004_640090615_008_640    今年の個展の特徴は、10点近い「赤い雨傘」と題する連作である。ロング、アップ、パンダウンと映像の1シーンを切り分けたような作品が並ぶ。

 武田さん自身も挨拶の中で、こう述べている。

090615_010_640090615_006_640   「パリの友人の画家が『赤い雨傘』を見て、映像をやっていた人の絵だといいました。私は長い間メディアの世界にいましたから、絵とは何かを映像という枠組みの中から発想しているのかもしれません。」

 「パリならパリという都市の持つ空間の魅力も、時間や光や空気や音の変化によって様々な姿を見せます。・・・・・その時の私の心象に合致して恐ろしいほど魅力的な姿を見せる瞬間があります。」
090615_018_640090615_014_640   「写真と違って絵でそれを提示するのは難しいのですが、その瞬間の残像の中にあるパリという街の実感を描いてみたいと思ったのです。」

 昨日は初日とあって、夕方にはささやかなワインパーティも開かれた。久し振りに先輩・同輩と「赤い雨傘」を肴に、グラスを交えた。

 「武田光弘個展」は、21日(日)まで ギャラリー八重洲・東京で

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June 15, 2009

1273.ハゲタカ

009_640 昔の仕事仲間たちが、久し振りに映画を製作した。気になったので複数の映画館を覗いてみたら、結構評判がいい。さすが中高年の女性は少ないが、ウイークデイでも「元企業戦士」らが押しかけていた。

 映画の企画は、テレビドラマの放送が終わった2年前から始まったそうだ。しかし準備を進めているうちに、現実の世界が急激に変化し台本の練り直しや、新しい要素を付け加えるなど苦労したようだ。

 「世界同時株安」「100年に一度の経済危機」「格差社会」「労働者派遣法」「サブプライムローン」「リーマン・ショック」「GM破綻」そして中国やインドなどの「国家ファンド」、事実がドラマを乗り越えていった。

Wp01_1024  新聞記者出身の真山仁が書いた「ハゲタカ」。2年前NHKテレビで6回にわたって放送された。その緻密で重厚な構成は、国内はもとより海外でも評価は高く、テレビ界の最高賞「イタリア賞」を受賞した。

 映画の方は、その4年後という設定である。ドラマの最終回が暗示したように、日本のマーケットに失望して厭戦気分に陥った企業買収の「ハゲタカ」が、中国政府系の巨大ファンドから送り込まれた「赤いハゲタカ」と、壮絶な自動車メーカーの買収戦争を行うというあらすじ。
 経済・金融のリアルな世界を背景に、信念・誇り・意地・野望・挫折そして希望を描く人間ドラマである。

333057_100x100_005  出演は、主役の「ハゲタカ」はドラマに続いて大森南朋、初めて登場する「赤いハゲタカ」は玉山鉄二の組み合わせ。

333057_100x100_013  テレビ記者・栗山千明、ハゲタカの元上司・柴田恭兵、老舗旅館主・松田龍平・大銀行頭取・中尾彬、ハゲタカのスタッフ・嶋田久作など、ドラマの出演者がそのままの役で登場する。

333057_100x100_016  急遽加わったらしいのが、派遣労働者の高良健吾。結構主要な役割であるし、実在人物を彷彿させる自動車メーカー社長に遠藤憲一が出演している。
 監督と脚本は、ドラマと同じ大友啓史と林宏司。

 人間ドラマとしての部分は、登場人物が背負っている過去の経緯を知らないと、共感が薄くなるのが難点だが、134分でも足りないストーリー展開上やむを得まい。
 5月にNHKが、しきりにドラマ「ハゲタカ」を再放送していたが。

 昨夜も放送されたが、NHKスペシャル「マネー資本主義」シリーズと、合わせて見ることを勧める。 

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June 14, 2009

1272.たつのおとしご

010_640  平均年齢は軽く70歳を超える演劇集団・たつのおとしご。最近は高齢者劇団も流行ってはいるが、やはり彼等が最高齢だろう。
 年に一回の公演、今年は20回記念としてアガサ・クリスティーのミステリー小説「ゼロ時間へ」を「ゼロ時間のへの殺意」と題して上演した。

 この演劇集団は、20年前に作家の故吉村昭が立ち上げたもので、学習院の演劇部出身者が中心となっている。
 発足当時は、定年60歳を迎えた人たちが主要メンバーだったので、今では80歳が主役級である。
 それだけに、戯曲の選択に工夫がいる。若手が活躍する内容では、役者不足になってしまうのだ。
 今回も体調を崩した人も出て、最初の配役を大幅に変更したそうだ。

 当初は、菊池寛の「父帰る」や小山内薫の「息子」など日本の作家の作品が多かったが、ここ十年は外国作品である。そして6年前からは、「ねずみとり」「招かれざる客」「ホロー館の人びと」など一年おきにアガサ・クリスティーの戯曲を選んでいる。

 今回の「ゼロ時間へ」は、1944年書かれた長編小説。1956年ロンドンのセント・ジェームス・シアターで初演された。
 イギリスのある海浜リゾート、裕福な老未亡人が殺された・・・・・。邸宅には、未亡人の親戚や知人・友人たちが集まっている。
 「すべてがある点に向かって集約していく。クライマックスに!それがゼロ時間。すべてがゼロ時間に集約されう」

 主婦、元テレビ局政治記者、元輸入商社役員、元出版社編集長、ペンクラブ会員に大学名誉教授、そして数人の元役者。
 不自由な足はそのまま役に活かし、忘れたセリフは度胸で隠し、皆嬉々として役を演ずる。
 その彼等をまとめて演出しているのが、昔の職場の先輩だから、公演を見逃すわけにはいかないのだ。

 来年は5月20日から22日まで。日本橋劇場での5回の公演を予定している。詳しくは下記の「たつのおとしご会」のホームページを。

 http://tatunootosigokai.hp.infoseek.co.jp/

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June 12, 2009

1271.東京道産酒の会

055_640  北海道に生まれた人、北海道で青春を送った人、北海道での仕事に情熱を燃やした人、北海道にエールを送る人たちの集まりが「東京道産酒の会」。
 月に一回、地元で仕込まれた酒と北海道の食材で作った肴を味わいながら、ミーティングを楽しんでいる。

 203回、昨夜のスピーチは会員の小林永和さん。検事出身の弁護士で「裁判員制度」について、各誌に論稿を発表している。
 今回のテーマは、もちろん「裁判員制度」。

 「先月末以降に起訴された、殺人、放火、誘拐など国民の関心の高い重大事件(対象事件)については、国民の中から選ばれた裁判員が審理に参加する」
 「具体的には、8月に入ると全国60ヶ所の裁判所で開始されるが、既に昨年全国の29万5千人に裁判員候補者通知が送られている」
 「その中からひとつの裁判に6人の裁判員が参加し、3人の裁判官と一緒に『審理』『評議』(有罪・無罪を)『評決』(有罪なら刑を)する」

 「裁判員制度は、10年前に設置された『司法制度改革審議会』の答申に基づいて5年前に法制化されたもので、司法に対する国民の理解を増進させ、信頼の向上につなげようという目的を持っている」
 「この制度は、映画などで御馴染みのアメリカの陪臣制度や、フランス・イタリアの参審制度とは異なった日本独特の国民参加方式である」

 「この制度には、いろいろと問題点が多い。まずは国民の負担が大きすぎる。証拠を最小限に絞って、ほとんどの裁判3~4日で終えるというが、誤判、冤罪の恐れはないか。否認事件や、長期事件には対応できない。」
 「初めの頃は、最高裁までこの制度は違憲ではないかと言っていた。私は基本的には反対だ」

 小林会員のスピーチに対し、改革審議会のメンバーだった元検事長の会員からは、「裁判官に普通の国民の常識を伝えるという、重要な役割がある。国民一人一人の良識を信じよう」と制度支持の意見が出されるなど、席ではシンポジュウム並の議論が交わされた。

 昨夜の道産酒は、「黒松千歳鶴」「純米吟風」「北海二七八」。肴は、「烏賊の沖漬け」「蛸刺し」「大目鮭塩焼き」「馬鈴薯バター煮」「アスパラ串揚げ」「氷下魚入りのお握り」ほか。

058_640_4  恒例の「きき酒イベント」(純米酒・吟醸酒・本醸造酒を当てるもの)は、スピーカーの小林会員が優勝。味覚の確かさというより、運の強さだった。
 優勝者と同じテーブルの応援団にも、お酒1本が贈呈される。

 音楽はいつものように、中山育美さんのピアノで「雨に唄えば」「結婚行進曲」「虹の彼方に」。

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June 11, 2009

1270.バンコック・デンジャラス

008_640  B級映画扱いなのか、あまり宣伝しない。気付いた時は、上映最終日だった。
 あのニコラス・ケイジが手を挙げたののだから、決して駄作ではない。香港の双子の監督、オキサイド&ダニー・パンが9年前に製作した「レイン」を、セルフ・リメイクしたのだ。

516w4g0tyml__sl160__2  「レイン」(邦題)はなかなかの名作だった。原題も今回と同じ「バンコック・デンジャラス」。聾唖の孤独な暗殺者の、切ない恋物語りをタイと香港の役者で撮った。

25289_100x100_010_3   邦題は、リュック・ベッソンの「レオン」をイメージしたのかも知れない。孤独な殺し屋ジャン・レノーと孤児になった少女ナタリー・ポートマンのやるせない交流を描いた作品である。

 前作も今回のリメイク版も、「レオン」に比べると荒削りだがアジア版としては成功している。

332760_100x100_007  ニコラス・ケイジの演ずる孤独な暗殺者は、ジャン・レノーに限りなく近い。前作と違うのは、彼が聾唖ではないのだ。その代わり、孤独を癒す女性が聾唖という設定になっている。

332760_04_01_02  香港出身のチャーリー・ヤン、香川京子の若い時にそっくりな清楚な女優である。ウオン・カーウアイ監督の秘蔵ッ子として、「バタフライ・ラブアーズ」など彼の作品には必ず出演している。

332760_100x100_006_2  暗殺者に弟子入りしたチンピラは、シャトリック・ヤムナーム(「沈黙の聖戦」)。タイの人気俳優である。

 暗殺者の完全無欠性と心に秘めた人間性、プロデューサーも兼ねたニコラス・ケイジが、楽しそうに?アクションを演ずる。
 彼の一人芝居の作品とも言える。

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June 10, 2009

1269.消されたヘッドライン

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 「混迷の現代を切り取った本格派・社会派エンタテインメント。濃密なストーリー展開で、アメリカの"巨大な闇″を抉り出す」

 新聞記者が主人公、元同業者としては自省させられる部分が多い。彼ほどハードに取材し、親友の妻まで寝取った事は無いが、大なり小なり友人や知人を裏切り絶縁された経験は持つし、今でも忸怩たるものがある。

 2003年5月からイギリスのBBCで、6回にわたって放送された「陰謀の構図」の劇場リメイク版である。日本では昨年NHK・BSで放送された。
 リメイク版は舞台をアメリカに移し、戦争請負ビジネスと政治の癒着、その中で起こった殺人事件を追う新聞記者たち、国家的な陰謀とその真相をめぐっての駆け引きが、スリリングに描かれる。

 元々6時間のTVドラマを3時間に縮め、政治不信・メディアのあり方が問われる現代の物語にしたのは、3人のベテラン脚本家である。
 「大いなる陰謀」を書いたマシュー・マイケル・カーナハン、「フィクサー」のトニー・ギルロイ、「アメリカを売った男」のビリー・レイ、いずれも欲望とか堕落・飽くなき野望など人間の最も醜い部分を描くのが得意な作家たちだ。

 その脚本をもとに監督したのがスコットランド出身のドキュメンタリスト、ケヴィン・マクドナルド。「ブラック・セピテンバー]('99)で、アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞している。
 劇映画でも、主役がオスカーを受賞した「ラストキング・オブ・スコットランド]('05)を監督、ドキュメンタリーを合わせると、今回が5作品目である。

333436view005333436_100x100_016   出演者にもオスカー俳優が並ぶ。
 主役の辣腕記者ラッセル・クロウは「グラディエイター」('00)で、編集局長役のヘレン・ミレンは「クイーン」('06)で受賞している。

333436_100x100_011333436_100x100_002   記者の親友で上院議員はベン・アフレック(「パールハーバー」)、クロウに鍛えられる新人女性記者はレイチェル・マクアダムス(「きみに読む物語」)。
 またクロウと不倫した議員夫人に、話題のショーン・ペンの夫人でもあるロビン・ライト・ペンが出演している。

333436_100x100_003  「新聞は事件をいくらでも歪めて伝えられるのだ」
 「(新聞社の)オーナーは、売り上げしか興味ないのよ」
 今日のジャーナリズムの頽廃を象徴するセリフだが、主人公たちを決してかっこよく描いていないところが良い。

 しかし邦題の「消されたヘッドライン」は,何とかならなかったのか。原題「STATE OF PLAY」の意味が、すっかり消えてしまった。 

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June 09, 2009

1268.ブログの薦め(2)

 私の場合は、欧米型と日本型のほぼ中間といえる。
 「情報発信」をベースに、自ら体験した事、自ら歩いた場所、楽しんだ映画や芝居それに展覧会など、「批評」はなるべく抑えて紹介している。
 また参加した会合についても、普遍的な内容に絞って、かつプライバシーに注意して報告する。そうした会合や組織のPR係りを、自認しているからだ。

_640  もうひとつ、ブログで「ふるさとと東京」との情報交流も試みる。
 私の出身地は九州・鹿児島の西南端、静かな農漁村である。限界集落と言われながらも、人々は元気に頑張っている
 その村の動きを、都会の人たちに伝えようとキーを叩く。
 
Imgp0895_640  とくに「焼酎」の話題が多いのは、村出身の後輩たちと焼酎バー「黒瀬」を運営しているだけでなく、私たちの村には七つの本格焼酎の蔵元があり、「黒瀬杜氏」「阿多杜氏」を輩出している「焼酎の故郷」でもあるからだ。

 後輩が「ボケ防止に役立つ」と、ブログ開設を勧めてくれたことに今は感謝している。
 毎日「何かブログのネタはないか」と触覚をめぐらし、暇があるとデジカメ片手に歩きだす。
090527_257_640090527_258_640   「三社祭」「神田祭」「山王祭」はもちろん、富岡八幡宮など下町の「夏祭り」「秋祭り」にはほぼ全て出かけた。
 神輿を担いだ佃の住吉神社の祭りは、4回連続して紹介した。

 頭の体操である。
 手の運動でもある。
 短い文章で、起承転結に綴る訓練は、多分脳を活性化してくれているかもしれない。

 エッセイ風の短編だけでなく、先日は友人に勧められ20回を超える「ルポルタージュ・ブレトンウッズの黄昏」を連載してみた。
090527_260_640  30年ほど前に、ある出版社に頼まれて書いたルポだが、もう一度参考資料や著作を読み直して、今日の世界同時不況の遠因を考えて書き直してみた。
 ケインズやハイエク、フリードマンなど、久し振りに経済関係の難しい本を開いた。ホコリを被っていたそれらの古典も、少しは日の目を見たようだ。
 現在は、明治100年をきっかけに制作したテレビ番組「さつま今昔」の平成版を、いくつかのキーワードを元に連載している。

 著名人のブログは時々「炎上」する。しかし我々「高齢者」に、攻撃をしかけるような人はあるまい。
 そんな事で、毎日気楽にキーを叩いている。 (終り)

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June 08, 2009

1267.ブログの薦め

(ある組織の会報に、原稿を頼まれた。平均年齢70歳以上の会なので「<健康のための>ブログの薦め」と題して書いた。以下その内容を再掲する)

  memo memo memo memo memo memo

090527_252_640  65歳、「高齢者」の仲間に入ったのを機に始めたブログが、1250号を超えた。
 当初は、週1本の割合で恐る恐る書き始めたが、今はもう週6本のペースとなった。
 「ボケ防止にいい」とその道の専門家でもある後輩に唆されてスタートしたのだが、今やすっかり、老後の日常に組み込まれてしまった。

 ブログとは、ウエブログの略。ウエブは、くもの巣→網→ネットワークを意味する。つまり、ウエブに残される記録の意味である。
 簡単に言えば、日記風に書かれたホームページである。

 10年ほど前から始まったこのブログ、「誰でも簡単に情報が発信できる」と、あっという間に広がり、いまやブロガー(ブログを投稿する人)の数は全世界で7千万人以上と言われている。
そして毎日150万を超える投稿が、インターネットの上を飛び交っている。

090527_254_640  日本には1千万超のブログがあるようだが、投稿数では世界の37%を占め、日本語ブログが英語・中国語を抑えているという。
 それは、日本人のブログの主流が日記やエッセイ風、携帯電話からも投稿できるなど、若い人たちが気楽に参加しているからだそうだ。
 「ニッポンのブログは、"情報発信"ではなく単なる"放電"に過ぎない」と、海外のメディア評論家から揶揄されるのも、その点にある。

 一方欧米のブログは、社会事象やニュースを自分なりに読み解く、ジャーナリスティックなものが中心で、日本人に多い「匿名」ではなく、きちんとアドレスや本名を名乗って主張する。

Images  オバマ大統領が、選挙戦術のひとつにブロガーたちを組織化し、ボランティアに取り込んで見事成功したのも、そうした背景があったからである。
 地方遊説のスケジュールは、ブログで伝えられ、ボランティア・ブロガーたちが動員に駆け回る。一口2百ドルの小口献金は、ブログを通じて呼びかけられ、日本円にして640億円も集めた。

 もちろん日本でも、政治家やジャーナリストのブログは欧米のそれに近い内容をだが、タレントや役者たちのブログは、日記やエッセイクラスだ。

                            ( 続 く )

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June 07, 2009

1266.糸之さん、おめでとう

009_640  同郷で旧知の花柳糸之さんが、松尾芸能賞を受賞した。皆で受賞をヨイショしようと、350人がディズニーランドのヒルトンに集まった。さすが花柳糸之社中を率いる師匠である。

 受賞はNHK紅白歌合戦など、歌手の魅力を引き立てるためのの振り付けと、バックの群舞の演出、歌謡と舞踏の融合をはかったその功績が高く評価された。

008_640_2 001_640005_640   糸之さんは、故花柳啓之さんの内弟子。一人立ちした後、国際的に活躍するなかで、美空ひばりの妹弟子として、彼女の舞台を支えてきた。

 今日のパーティーでは、そのひばりさんのコンサートのビデオや、弟子の演歌歌手・神野美伽の唄を聞きながら、盃をかわした。

 ハプニングは、神野美伽さんの唄をバックに踊る糸之さんと、全員で踊った「おはら節」。
 今日のお昼、楽しい4時間だった。

 花柳 糸之(本名 中村節子

 鹿児島県出水市出身 高校卒業と同時に上京。花柳流四天王の故花柳啓之に師事、内弟子として14年間修行。美空ひばり(花柳美之)は同門。
 1962年免状取得後、「NHK紅白歌合戦」の振り付けを担当、以後今日まで糸之社中を率いて振り付け・群舞を担当。ほか「NHK歌謡ホール」「日本rコード大賞」など。
 また博覧会や海外での大型イベントのセレモニーを演出するなど、国際的にも活躍。日本に「チアリーディング」を紹介し、大学・高校などでその普及と指導に当たっている。
 「渋谷・鹿児島おはら祭」副審査委員長。

 松尾芸能賞

 舞台芸術の振興・発展に貢献した人への顕彰。今年度は、坂東三津五郎、前田美波里、松坂慶子、市川段四郎さんらが受賞している。

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June 05, 2009

1265.夏時間の庭

Wall011024_768Wall021024_768 パリ郊外、イル=ド=フランス地方の田園が舞台。
 ここには、印象派の芸術家たちが、夏の陽光や草木の柔らかな緑をモチーフに求めた風景がある。

 そこは「誰にでも思い出が輝く場所」だった。3人の子供達は、緑に囲まれた家と数々の美術品を、母親から遺産として受け継ぐ。しかしそれを、誰がどう引継ぎ守っていくのか、家族たちにとっては現実の壁が立ちふさがる。そして3人が決断したのは・・・・。
 ラストシーン、孫の少女が希望の光を指し示すが。

Wall031024_768  オルセー美術館開館20周年記念作品である。
 バルビゾン派のコローやルドーの本物の絵が飾られ、アール・ヌーヴォーの家具が部屋並べられて撮影は進む。それらは日用品として使われ、美術館での陳列とはまた違った美しさを醸し出す。

20090302012fl00012viewrsz150x  主役の3人の兄弟・妹は、シャルル・ベルリング(「父と息子」'03)、ジェレミー・レニエ(「ロルナの祈り」'07)、ジュリエット・ビノッシュ(「イングリッシュ・ペイシェント」でオスカー受賞)。
 クリイント・イーストウッドの息子カイルがちょっと顔を出す。

 カメラワークがいい。「イントゥ・ザ・ワイルド]('07)など、大自然を詩情あふれるタッチで撮る名手エリック・ゴーティエがフイルムを回す。「モーターサイクル・ダイアリー]('03)で、カンヌ国際映画祭技術賞を受賞したあのカメラマンである。
 監督は、映画評論家出身で脚本家でもあるオリヴィエ・アサイヤス(「パリ、ジュテーム」'06)。

 地味な作品だが評判はい高い。ウイークデーでも銀座テアトルシネマは満席。前日に指定席券を確保していたので、行列せずにゆっくり見られた。

 この秋、世田谷美術館では「オルセー美術館パリのアール・ヌーヴォー」展が開催される。映画に登場した幾つかの作品も展示される予定。 

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June 04, 2009

1264.重力ピエロ

Wp02_800600 「陽気なギャングが地球を回す]('06)、「アヒルと鴨のコインロッカー」('07)、「死神の精度」('08)、「フイッシュストーリー]('09)、そして「重力ピエロ」。
 伊坂幸太郎原作の映画を観たのは、今回で5作目。軽快な語り口、心を動かすセリフ、伊坂ワールド・・・・・・、その中でもこの作品は最高の傑作だった。

S_photo_18  連続放火事件と謎の落書き(グラフティ・アート)、数々の伏線がひとつに絡み合いながら、全ての謎が解けていく。そこには主人公一家が、長く封印してきた悲しい過去があったのだ。
 家族とはなにか、正義とはなにか。哀しい、切ない、苦しい、しかし愛しい物語が展開していく。

S_photo_05S_photo_09   出演は主人公の兄弟に加瀬亮(「それでもボクはやってない」'07)と岡田将生(「天然コケコッコー]'07)。
 その両親に小日向文世と鈴木京香。ほか古高由里子、渡部篤郎。

 監督は、長編映画監督デビュー作「ランドリー]('01)で「サンダンス・NHK国際映像祭作家賞受賞の、森淳一。原作出版直後から映画化を志し、伊坂と交渉してきた相沢友子が脚本を書いた。

 映画の撮影は、東北大出身の伊坂が執筆の拠点としている仙台市を中心に、宮城県の蔵王や大倉ダムなどで行った。初めて東北大学の構内が開放されたのをはじめ、宮城県・仙台市が全面的に協力した。
 仙台市政令指定都市20周年を記念する第一回仙台シネマに認定された。

 「本当に深刻な事(重力)は、陽気(ピエロ)に伝えるべきなんだよ」
 作品の主題である。

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June 03, 2009

1263.山陽路・城郭探訪

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 小豆島から岡山へ。山陽路、三つの城を歩いた。
 江戸時代、一度も城主が変わらなかった薩摩の人間としては、城主の変遷に興味をいだく。
 多分そこには、多くの人間臭いドラマがあったに違いない。

090527_186_640090527_178_640090527_175_640  「備前・岡山城」

 1573(天正1)年、秀吉の五大老宇喜多秀家の父・直家が、岡山・旭川の河畔に築城した。
 1600年、秀家が関ヶ原の戦いに敗れ八丈島に流された後は、筑前・名島から小早川秀秋入封。
 しかし1年で姫路藩主池田輝政の次男忠継と交代、以後池田家が維新まで城主を務める。石高31万5000。

090527_165_640_2  岡山城の手前、旭川の中洲に綱政が13年の歳月をかけて築園した「後楽園」は、日本三名園のひとつとして「特別名勝」に指定されている。
 
 池田家は、外様ではあるが関ヶ原の戦いで徳川方に組み戦功をあげ、西の守りとして播磨国を与えられた。
 初代輝政は、姫路宰相百万石と称せられる。
 池田家の現在の当主は、天皇家の外戚でもある。

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090527_192_640090527_193_640  最もドラマチックなのが「播州・赤穂城」だろう。
 ここも宇喜多家の所領であったが、関ヶ原の戦後は池田輝政の領地となり、1631(寛永8)年に弟輝興が居城とした。
 しかし14年で家が絶え、常陸・笠間から浅野長直が移封、赤穂藩5万3500石となる。
 そして1701(元禄14)年、長矩の江戸城中刃傷事件で城明け渡し。

 以後、下野・烏山から永井家、続いて備中・西江原から森家が入り維新を向かえ、城は取り壊される。
090527_195_640090527_199_640   現存しているのは、一部の城郭と大手門前にあった筆頭家老大石家の長屋門だけである。
 この門の前に、「主君刃傷」の悲報を持った早駕籠が到着したのだ。

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090527_224_640090527_248_640 090527_227_640  「世界文化遺産・姫路城」

 白漆喰の城壁の美しさから、別名「白鷺城」とも呼ばれている。
 広大な城域に、大天守、西・乾・東と三つの小天守、櫓、渡櫓、櫓門、土堀を配した構図は、日本の城郭建築の最高傑作と言われる。
 秀吉が天守を築いたあと、1600(慶長5)年に城主となった池田輝政が拡張工事を行い、今日の姿となった。

090527_230_640090527_228_640   外様の池田家は17年後鳥取へ移され、その後は譜代大名が次々と入れ替わりながら、城主を務める。
 まず、豊臣秀頼の未亡人千姫を妻にした本田忠政が伊勢・桑名から入封。続いて大和・郡山から奥平、そして出羽・山形から松平、榊原が陸奥・白河から、松平が越後・村上、本田が陸奥・福島、榊原が越後・村上、松平が陸奥・白河、最後は酒井忠恭が上野・前橋から移ってきて維新を迎える。
 
090527_237_640  1600年から270年、この間10の大名家が国替え、平均して滞在期間は27年。ほとんどの城主が暖かい瀬戸内から寒い北国へ移封、大名一家も大変だったろうが、付いていく家来衆はたまらなかっただろう。
 譜代だけに、文句は言えない。徳川家にとっては「支店長交代」ぐらいの感覚なのかも知れないが。

090527_211_640  姫路城では現在、千姫の住まいであった西の丸の「化粧櫓」や、侍女たちの部屋「百間廊下(長局)」などを、特別公開している。

 城全体を見学するのに、およそ2時間を費やした。さすが日本一の名城である。

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June 02, 2009

1262.オリーブの小豆島

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090527_103_640090527_101_640_3090527_100_640_2    高松からフェリーで1時間、オリーブの小豆島に渡る。広島や大阪に住んでいたのに、瀬戸内の小豆島は初めてだった。

 小豆島でオリーブが栽培されてから、今年は101年。明治政府の要請で、香川・三重・鹿児島で試験栽培が行われたが、ここでしか成功しなかったそうだ。
 そして今では、島を代表する特産品となっている。

Summary2090527_109_640_3090527_102_640_2  島の中心部にある「道の駅・オリーブ公園」。
 20年前エーゲ海に浮ぶミロス島と姉妹島となり、その記念としてギリシャ風の建造物が並ぶ。
 右上の写真は「エリエストローダ」。ギリシャ語でオリーブの輪、女神へその想いを伝える愛のスポットだという。

090527_096_640090527_146_640090527_132_640   愛といえばこの小豆島は、「二十四の瞳」の島である。

 「昭和3年4月4日、農山漁村の名が全部あてはまるような、瀬戸内海べりの一寒村へ、若い女の先生が赴任してきた・・・・・・」
 小豆島に生まれた壺井栄は岬の分教場を舞台に、昭和の時局のなかで若い教師と子供達の愛の物語を書いた。

090527_145_640090527_138_640_2 090527_137_640_3  作品は、55年前に木下恵介監督の手で映画化されて大ヒット、「岬の分教場」は島を訪れる人が必ず立ち寄る、観光のスポットとなった。
 学校は29年前に廃校となったが、教室は当時のまま残されており、昭和を伝える大切なモニュメントとなっている。

090527_114_640090527_128_640 090527_111_640  小豆島は、瀬戸内海の中で淡路島に次ぐ大きな島である。それだけに奥も深い。

 日本三大渓谷美のひとつ「寒霞渓」は、瀬戸内海国立公園の中心的存在だそうだ。
 「錦屏風」「玉筍峰」など、「表十二景」「裏八景」と呼ばれる自然の岩山が連なる。初夏の新緑も心地よかったが、秋の紅葉は日本一と島のガイドは自慢していた。

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090527_154_640090527_149_640  蛇足だが、もうひとつ「愛のスポット」を紹介しておこう。
「エンゼルロード」、天使の道である。
 本島から余島まで、四つの島が干潮の時だけ結ばれる。潮が引き、細い砂浜が浮き上がる。
 ドラマ「ラブレター」の舞台となり、NHKも取上げた。そして、「恋の成就」を願う若い人たちが押しかける。
 朝干潮だった。静かな天使の道を歩いた。

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June 01, 2009

1261.初夏・淡路~鳴門

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090527_043_640090527_049_640   明石海峡大橋。ここを渡るのは9年ぶり、仕事で「ジャパンフローラ2000(淡路花博)」に出かけて以来の事である。
 全長3911m、世界最長のつり橋。橋の主塔は海面から300mというから、東京タワーに次ぐ高さである。
 工事中の1955年、阪神・淡路大震災に遭遇、地盤がずれ1m長くなった。震源地が丁度この橋の真下だったのだ。

090527_055_640_2090527_052_640090527_054_640   花博の跡地に幾つかの公園が点在している。
 「国営明石海峡公園」、安藤忠雄の設計で知られる兵庫県立「淡路夢舞台」に「あわじ花ざしき」「県立淡路島公園」など。

 また近くには、大震災で現れた「野島断層」を、そのまま保存・展示する「北淡震災記念公園」もあり、国の天然記念物に指定されている。

 公園の花は、春から夏への端境期のため少なかったが、ゴールデンウイークには多くの人が訪れたそうだ。
 ここで少し休憩して、南淡へのルートを走る。

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090527_073_640090527_076_640250pxoh_naruto_bridge_inside  大鳴門橋は、兵庫県と徳島県を結ぶ大橋。明石海峡大橋より3年早い、1985年に開通した。

 全長1629m、主塔の高さは144m。上下2層式になっており、下は将来「四国新幹線」を通す予定だった。
 しかし明石の方が、予算が無くて道路専用橋になってしまい、新幹線の夢は消えた。

090527_078_640 その下層を利用して4年前に出来たのが、徳島県立遊歩道「渦の道」である。
 橋の途中450メートルまで、渦潮を見学しながら歩ける。
 
090527_075_640  鳴門海峡は、イタリア・シシリーの「メッシーナ海峡」、カナダ・バンクーバーの「セイモア海峡」と並んで、世界の三大潮流と呼ばれている。
 海峡のの底がV字型に落ち込んでいるため、干満時に渦潮が発生する。特に大潮の時は、直径20mにも及ぶ激しい渦潮となるそうだ。

 残念ながら、訪ねた日は中潮という事で、大きな渦には出会わなかった。
 そこで、記念写真屋さんから頂いた、取って置きの写真を転載しておく。

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