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May 26, 2010

1561.庄内・歴史の旅

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 右(南)に月山・湯殿山、左(北)に鳥海山を望む庄内平野。
 「塾」の研修旅行は、この地出身の塾生による見事なアレンジで、2泊3日の有意義な旅となった。

 ギリシャの財政破綻から始まった「ユーロ危機」、この問題を江戸末期の庄内藩の経済政策から学ぼう、という大胆な試みである。

 キーワードは「到道館」「荻生徂徠」「三方領地替(義民が走る」「酒田三十六人衆」「本間家」「北前船」「最上川」「戊辰戦争」「奥羽越列藩同盟」「南州遺訓」「六十里街道」「出羽三山」そして「海坂藩と藤沢周平」などなど。

100522_003_640100522_020_640   庄内藩校「致道館」

 鶴ヶ岡城三の丸(現鶴岡市馬場町)内にある藩校「致道館」。
 「論語」子張第十九編「君子學以」から其の名を採った藩校は、庄内藩9代藩主酒井忠徳によって、1805(文化2)年に創設された。
 頽廃した士風を刷新して、藩政を改革しようという試みだった。

 江戸時代300を超えた藩校は、現在大学や高校にその名を残すだけだが、ここ庄内だけは今なお地域の学び屋として存在し、子供たちの「論語」の素読が行われている。

100522_016_640100522_014_640100522_028_640  当時は1万5000㎡と広大な敷地に、孔子を祭る聖廟や養老堂、句読所、学舎、武術稽古所などが建てられていた。

100522_065_640  この藩校の特色は、荻生徂徠が提唱した「徂徠学」を教学とした事である。
 当時の幕府は朱子学を正学としており、老中松平定信は「寛政異学の禁」を通達したが、庄内藩と彦根藩だけはそれに反旗を翻している。

 徂徠学は「治国安民」の学問と言われている。
 道徳的な人間を育成するという観念的な朱子学に対し、政治・経済と直結した実学だったのだ。
 ある経済評論家は最近の著書で、朱子学を新古典主義、徂徠学をケインズ主義とまで比喩している。

100522_057_640100522_063_640  鶴ヶ岡城三の丸にある致道博物館で、庄内徂徠学のバイブルと言われる「徂徠先生答問書」(国の重要文化財)を見せてもらった。

  開校より80年ほど前、江戸で徂徠に学び帰国後も度々質問書を送った家老・水野元朗と、徂徠との往復書簡である。
 徂徠は、質問書に直接朱書で応え返送する。その自筆書簡は、徂徠が真摯に弟子達を導こうとした姿勢を彷彿させる。

100522_012_640_2   画一的な人間のあり方を否定し、多様性を尊重した徂徠学。各人各様の能力を発揮することで、社会の一構成員の役割を担う。
 致道館の「天性重視・個性伸張」の教育が、維新前夜の強い「庄内藩」の礎となったのだ。

 旅は「戊辰戦争」の故地へと向かう。

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