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June 30, 2010

1589.ザ・ウォーカー

012_640  核戦争で世界文明が崩壊した時代。オゾン層が破壊されて、紫外線が生き物たちの視力を冒す。

335900_100x100_005  その荒廃したアメリカ大陸を、西へ向かってひたすら歩く男がいる。人呼んで「ザ・ウォーカー」、それがデンゼル・ワシントンである。

 サングラスをかけイヤホンで音楽を聴きながら、30年も歩き続ける。バックパックに隠し「たただ一冊の本」を届けるために。
 彼の行く手を阻むものには、容赦ない。寡黙なデンゼルの腕は冴える。

335900_100x100_004  秩序なき世界で、僅かに生き残った人々を支配する独裁者が、ゲイリー・オールドマン。彼がその支配力を強めるために欲しいのが「ただ一冊の本」だ。
 両者の戦いは、そこから始まる。

 「プレデーター」や「マトリックス」シリーズを手がけたジョエル・シルヴァーが、「フロムヘル」('01)のヒューズ兄弟を監督にして製作した。
 アレン+アルバートのスケール溢れるスタイリッシュなヴィジュアル・センスを買ったのだ。

335900_100x100_002335900_100x100_003  オスカー俳優デンゼルの存在感がこの作品を支えているのだが、「ダーク・ナイト」('08)にも出演したイギリスの俳優ゲイリーの快演ぶりも見ものだ。

335900_100x100_008  そしてもうひとり、独裁者の街から抜け出そうとデンゼルについていく娘ミラ・クニスがいる。
 彼女は「マックスペイン」('08)にも出演したロシア・キエフ出身の女優である。

 「キリスト教社会」と無縁な人にとっては、理解しがたい部分もある。
 「なぜ文明が崩壊したのか。そして文明を再建するために、『一冊のその本』がなぜ必要なのか」と。
 終末論としてのある前提で、話は進むからだ。

 観終わった後、なぜかデンゼル・ワシントンに「座頭市」と「三蔵法師」がオーバーラップする。

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June 29, 2010

1588.テレサ・イン・ネバーランド

014_640 パブリック・リレーションズの会社を経営している友人から、彼自身が翻訳・出版した本が届いた。
 「テレサ・イン・ネバーランド~マイケル・ジャクソンに捧ぐ」、彼の知人であるテレサ・J・ゴンサルベスが書いた、「恋人」マイケルとの愛の思い出である。

016_640 テレサは今年51歳。
 12歳の時「ジャクソン・ファイブ」のアルバムでマイケルの写真を見て熱烈なファンになり、毎日のようにファンレターを書き続ける。
 それから4年後、テレサはマイケルの母に招待され、ラスベガス公演中のジャクソン一家と一緒に過ごす。
 そして20歳、2人はニューヨークのマンションで結ばれる。

015_640 テレサの原著は、マイケルの死後5ヶ月になる昨年9月にアメリカで出版された。
 原書名は「リメンバー・ザ・タイム」。1991年発売されたアルバム「デンジャラス」に収録されているマイケル・ジャクソンの楽曲名である。

 「覚えている?二人して恋に落ちた時のことを。僕らは若くて純粋だった・・・・」。
 若き日の恋を追憶するロマンチックな曲。テレサにとって、2人だけの歌だった。

 翻訳した友人は、日本版のタイトルを「テレサ・イン・ネバーランド」とした。
 ネバーランドは、マイケルが最後に居住した邸宅兼遊園地「ネバーランド」ではなく、あのピーターパン物語に登場する空想の国である。

013_640  彼は「あとがき」にこう記す。

 「この本は、ピーターパンのネバーランドに迷い込んだテレサの悲しくも大胆な告白であり、あのマイケルをそのネバーランドに引き込んだマイケルへの愛情と行動力を書いたものであり、彼女の誘いを受け入れたマイケルの人間味があふれたストーリーである」と。

 友人が同封したメモによると、今後彼の会社では「電子出版」に参入するとのこと。この翻訳本はその「実験」として、まず活字版で刊行したそうだ。

 マイケル・ジャクソンが不慮の死を遂げて1年、映画の世界でも昨年の「マイケル・ジャクソンTHIS IS IT」に続いて、「キング・オブ・ポップの素顔」が先週末から公開されている。

 テレサ・J・ゴンザルベス著 山口明雄訳
 「テレサ・イン・ネバーランド~マイケル・ジャクソンに捧ぐ」
 定価:1200円(税込み) 発行:アクセスイースト   

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June 28, 2010

1587.全国地名保存連盟

021_640 先日開催された全国地名保存連盟の第28回総会で、これまで5期会長を続けてこられた犬養智子さんが退任し、新たに宇野茂彦さんが会長に就任した。

 宇野さんは中央大学教授、連盟発足時からの会員で、この5年間副会長を務めてこられた。

 全国地名保存連盟は、「歴史を伝える文化である地名・町名を保存し、後世に伝えよう」と1983(昭和58)年に発足した市民運動組織である。(写真は会報創刊号)

 発端は、東京・旧牛込区に78あった町・丁目を8つの新地区名に変更しようとした新宿区に対する反対運動で、劇作家・飯沢匡さんら住民が3年間にわたって粘り強く区当局と交渉、町名変更を白紙撤回させた事に始まる。

 その後同じ問題を抱える全国各地からの声もあって、町名問題の根幹にある「住居表示に関する法律」の改正を求めるために、全国組織としてスタートした。

 当時の会員は、東京・狸穴の町名保存運動に携わった木内信胤さん(世界経済調査会理事長)と松山善三さん(映画監督)を中心に、黒川紀章さん(建築家)、林修三さん(元内閣法制局長官)、村尾次郎さん(東京教育懇話会代表)ら、学界・経済界・マスコミ関係者・芸術家・伝統芸能関係者など1000名を超えた。

 連盟は、法改正実現のために国会議員に働きかけ、218人の超党派の「地名保存国会議員連盟」も誕生、1年後には法改正を実現した。
 現参議院議長の江田五月さんが当時の議連副会長、衆議院議員の与謝野馨さんが事務局長として議員達の取りまとめに精力的に動いたが、現在も会員として協力している。

 その後は「地名資料・情報センター」を設立するなど、各地での地名保存運動や地名復活運動をサポートしてきた。
 また「平成の大合併」時には、極端な地名変更に対する異議申し立てや、地元で反対運動を進める人たちの支援と、地道ではあるが着実な活動を進めている。

022_640  会が発足して27年、会報も71号に達した。ホームページやブログで、会の活動を紹介するなど努力を重ねているが、会員の高齢化や新入会員の減少など、問題も抱えている。

 今回の総会では、会の運営を担う人たちの若返りを図る事として、会長以下一部の役員が交代した。
 犬養会長から頼まれて、この5年間会の運営に携わった私も、今期で退任する。

 なお会報1号~70号と関連資料は、「江戸・東京博物館」の図書室にも保管されており、誰でも閲覧できる。

 「全国地名保存連盟」
 〒176-0012
 東京都練馬区豊玉2-13-15
       ℡ 03-3994-4021
       fax03-5984-5792

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June 26, 2010

1586.Flowers

009_640 先日の「RAILWAYS」と同じく、「ROBOT」の作品。「時代」を映像化するのが流石に上手い。
 監督も同所属の小泉徳宏(「タイヨウのうた」'06)が担当した。

335990_100x100_001   6人の大女優を配した「資生堂TSUBAKI」のコマーシャル作品といってもよい。
 企画して製作総指揮に当たったのが、広告界の巨匠・大貫卓也。資生堂のコマーシャルで名を売った彼だからだ。

 親・子・孫と、昭和の初期から平成までの激動の時代を生き抜いた6人の女性の物語である。

335990_100x100_002 1936(昭和11)年、母・蒼井優はその父(塩見三省)の強引な命で、会った事もない男のもとに嫁がされる。ただ優しそうな彼(三浦貴大)に、気持ちは救われる。
 この昭和の時代は、モノクロのシーン。

335990_100x100_004  生まれた長女・竹内結子は大学教授(大沢たかお)と幸せな結婚。
 1964(昭和39)年の新婚旅行のシーンは、テクニカラーで。

335990_100x100_005
 次女・田中麗奈は、バリバリの雑誌編集者。
 遅筆作家(長門裕之)の尻を叩きながらも、自らの恋に悩む1969(昭和44)年のひとコマ。

335990_100x100_006  三女・仲間由紀恵は、郊外の団地暮らし。優しい夫(井ノ原快彦)と娘の3人。
 1977(昭和52)年、今2人目の娘が生まれる。

335990_100x100_003  2009(平成21)年、仲間の長女・鈴木京香が選ぶのがシングル・マザーの道。 
 妹・広末涼子は、ひとり息子と夫の実家で幸せな335990_100x100_007_2 日々。

 青い色調のカラーで映し出される。

 親・子・孫と家族のつながりの中で、それぞれの恋愛・結婚・別れの物語が、時代と日本の原風景の中でオムニバス風に綴られていく。

 「日本中の女性を元気にしたい」と、キャスト・アーチスト・メディア・企業が一同に集まって製作した映画である。

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June 25, 2010

1585.座頭市~THE LAST

008_640_3 勝新太郎、ビートたけし、綾瀬はるか、そして「座頭市四代目」はSMAPの香取真吾である。
 ラストシーン、「市」はピストルで撃たれた上に、刀で突きさされて息絶える。だから「THE LAST」、もう五代目は無い!?

65200viewrsz90x_3   時代小説家・子母澤寛が、江戸時代の房総半島、飯岡助五郎一家に盲目のバクチ打ちが居た事を知り、短編小説「座頭市物語」を書いた。

 それを原作に映画化されたのが1962年。監督三隅研次、勝新太郎が「座頭の市」を演じた。
 以来1989年まで、勝新の「座頭市」は26作品を数える。

 子母澤の小説は10ページ程の短いものだったので、ストーリーは勝新太郎と、三隅監督をはじめとする田中徳三・森一生・池広一夫・山本薩夫・岡本喜八ら歴代の監督が作り上げてきた。
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  北野武監督の「赤毛の座頭市」や「女座頭市」は別として、共通するのは孤高の渡世人、ニヒルなアウトロー、ある種の達観の域に達した侠客。
 そういう人物像は、多くの監督達と脚本家による共作といっても良い。
 ただ、仕込み杖による逆手きりの殺陣は、勝新太郎が編み出した手だという。

335826_100x100_004_2335826_100x100_003  今回の「THE LAST」は、時代劇初監督の坂本順治(「闇の子供たち」'08)がメガホンを執った。

 そして香取の共演にベテランを配置した。
 浜を支配するヤクザというより海賊の大親分に仲代達矢。
 昔馴染みの百姓に反町隆史、その母親・倍賞千恵子、昔の恋人・工藤夕貴、その夫・寺島進。
 仲代は、勝新時代にも一度出演しているので、「市」に2度殺される事になる。

335826_100x100_001 シリーズとしては初めて結ばれた妻が、石原さとみ。映画の冒頭、新妻は刺し殺されて香取の胸の中で死ぬ。
 だから「最初で最後の純愛座頭市」という、キャッチフレーズで売る。

 ただこの「市」の性格設定に、多くの「座頭市フアン」が戸惑っているのも事実だ。
 ウイークデーの午前中には違いないが、座席数400の有楽座には6人の観客しかなかった。

007_1024_2006_1024_2  「白と黒」「赤と黒」を基調にした映像は、美しい。
 撮影は、ほとんど庄内映画村で行ったそうだ。
 
 先月庄内を訪ねたおり、映画村の宇生社長に話を聞いたが、田圃も畑も農家の小屋に浜辺の作業小屋も、全てこのロケのために2年前から準備したそうだ。
 オープンセットというより、実際に人も住める「本物の村」を作り上げたと言う。

 ただ江戸時代だから電気や水道は通じていない。ロケ隊に必要なのは、発電機と給食設備一式だったと笑っていた。
 すでに、海外からもロケ使用のオファーがきているそうだ。

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 そう云えばこの映画、フランスの映画会社も出資している。ヨーロッパを中心に「ZATOU-ICHI」を売り込むという。

 キューバでは、カストロがいたく気に入って「座頭市」は「おしん」と並ぶ古くからの人気者である。
 アミーゴ勝新を知らぬものは居ない。

 その勝新「座頭市」シリーズ26作品が、先週からCSの「時代劇チャンネル」で放送されている。

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June 24, 2010

(号外)梅雨時・浜離宮

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 この季節、浜離宮の花は少ない。ただ緑だけは濃い。
 「うおがし」への買い物ついでに、ちょっと寄ってみた。

 浜離宮については、このブログでも季節ごとに30回以上は紹介しているので、省略する。
 紫陽花、花菖蒲の写真だけを掲載して「号外」に。

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June 23, 2010

1584.クレイジー・ハート

007_640 落ちぶれた初老のカントリー・シンガーを演じたベテラン俳優ジェフ・ブリッジスが、今年のアカデミー賞主演男優賞。
 T=ボーン・バーネットとライアン・ビンガムが作詞・作曲した「The Weary Kind」が同じく主題歌賞を受賞。
 そのほかゴールデン・グローブ賞など、数多くの賞に輝いた話題作である。

336060_100x100_001 かって一世をを風靡した伝説のカントリー・シンガー。いまはその座を弟子に奪われ、ドサ廻りを続けるアル中シンガー。

 アメリカ・南西部のある町で出会った、新聞記者のシングルマザーとの触れ合いを通じて、「クレジー・ハート」が癒されていくお話。

336060_100x100_004  この作品を見た人なら、ジェフのオスカー受賞は誰もが納得する。
 俳優一家に生まれ1歳で銀幕デビュー、映画歴は60年超ベテラン!
 「ラスト・ショー」('71)ほかアカデミー賞助演賞ノミネイト3回、主演男優賞にも1回(「スターマン」'84)ノミネイトされた。

 その傍らギタリストとしても活躍している彼が、俳優人生の集大成として、渋い演技と歌声を聞かせてくれるのだ。

336060_100x100_006 一方のヒロイン・シングルマザーは、マギー・ギレンホール。前号「マイ・ブラザー」に出演したジェイク・ギレンホールの姉で、父親は監督、母親は脚本家という、こちらも映画一家の出である。

 最近作「ダークナイト」の弁護士役も上手かったが、今回もアカデミー賞助演女優賞にノミネイトされていた。

336060_100x100_007 意外な名優も、後半にちょっと顔を出した。主人公の親友役ロバート・デュヴァル、80歳のオスカー俳優である。
 というのも、この作品で監督デビューした俳優のスコット・クーパーの後見人だからである。

 アカデミー賞を受賞した28年前の作品「テンダー・マーシー」で、デュバルもカントリー・シンガーを演じており、今回の作品でもちょっと歌声を聞かせてくれた。

 ジェフはミュージシャンであるので、ギターも歌も上手いのは当然として、元弟子で大スター役のコリン・ファイル(「マイアミ・バイス」'06)が彼とデュエットしているシーンもいい。
 アイルランド出身の役者が、ちゃんとアメリカのカントリーをこなしているのだ。

 音楽担当のバーネットはグラミー賞の受賞のミュージシャン、ジェフの古い親友である。
 その仲間スティーブン・ブルトンが、カントリー・シンガーとしてのジェフの演技指導を担当したが、映画の完成直前にガンで亡くなった。
 この作品の主人公を、地でいくようなミュージシャンだったという。
 「クレイジー・ハート」は、その彼に捧げられている。

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June 22, 2010

1583.マイ・ブラザー

006_640 デンマークのスネンサ・ピア監督が、6年前にアフガン帰りの兵士とその家族との葛藤を描いた「ある愛の風景」。

 それをアイルランド出身の巨匠ジム・シェルダンが(「マイ・レフト」'89)、舞台をアメリカの田舎に移してリメイクした。

 「戦争をする国に生きる家族の苦悩」、その家族の崩壊と再生を情感豊かに綴った作品である。

335798_100x100_004  アメフトのスター選手、いまや海兵隊大尉の長男は、ベトナム帰り元海兵隊員の父親にとっては自慢の息子。
 息子にはチアガール出身の美人妻と可愛い二人の娘がいる。

 一方の弟は、出来も悪く親戚からはつまはじき。兄のアフガン出征の直前に、ようやく銀行強盗で服役していたムショから出てきた。

 そして長男戦死の悲報。残された家族を暖かく見守る弟。
 しかし長男は戦場でタリバンの捕虜となりながらも生きていた。そして拷問の末ようやく救出される。
 迎えた家族の前に現れたその彼・・・・・。
 家族を愛する故に、彼は地獄の闇を見てしまったのだ。

335798_100x100_005  長男はトビー・マグワイア(「スパイダーマン」シリーズ)、弟ジェイク・ギレンホール(「ブロークバック・マウンテン」'05でアカデミー賞ノミネイト)という組み合わせ。
335798_100x100_006  トビーの妻はナタリー・ポートマン(「クローサー」'04でアカデミー賞ノミネイト)。
 父親が、脚本家・監督としても知られるサム・シェパード(「きみに読む物語」'04)。

 ベトナム戦争後も、戦場ではなく国に残された家族を描く作品「帰郷」('78)「ディア・ハンター」('78)があったが、「愛する人が深く心の傷を負った時、どうしたら助ける事が出来るのか」は、永遠のテーマになる。

335798_100x100_012 その答を作品が語る。
 「家族の最大の危機に立ち向えるのは、共に育った人間、つまり苦楽を共にした家族だけなのだ」と。

 家族を愛するが故の「主人公の選択と苦悩」、それは遠い国の知らない戦争の世界だけではない。
 私たちの日常生活でも、それが問われている事を作品は訴える。

 弟と家族思いのエリート海兵隊大尉が、帰国後狂気の世界へと追い込まれていく姿を、トビー・マグァイアが上手く演じていた。

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June 21, 2010

1582.モーリス・ユトリロ展

014_640 東郷青児美術館で、4月から催されている「モーリス・ユトリロ展」。 日本では人気のある画家だけに、いまも会場は混雑している。

016_640_4  副題の「パリを愛した孤独な画家」が示すように、ユトリロの作品には、彼が住んでいたパリ・モンマルトルの路地や入り浸った酒場「ラパン・アジル」、そして教会などの風景画が多い。

 今回の展覧会は、美術館のオーナーが所有する「モンマルトルのサクレ=クール寺院」以外は本邦初公開の作品ばかり91点が展示されている。

015_640_4

 初公開といっても、ユトリロの作品は何処かで見たような懐かしい風景画が多い。
 と言うのも彼は同じ風景を、季節を変えたり人物の配置を換えて何枚も描いているからだ。
 入り浸った近所の酒場「ラパン・アジル」の絵(写真・右下)などは、350枚を超えるそうだ。

 作品はともかく、今回の展覧会でユトリロという大画家の人生の詳細を始めて知った。

018_640_2  彼の母親シュザンヌ・ヴァラドンも、フランスでは良く知られる画家である。
 洗濯女の娘だったが、洗い物の届け先のアトリエでルノアールやドガ、ロートレックのモデルとなる。さらに見よう見まねで、彼女も絵を描き始める。
 そして18歳の時、モーリスを私生児として生んだ。

 子どもが7歳の時、スペインの美術評論家が一応認知したため、その姓であるユトリロを名乗る。
 しかし本当の父親は謎のまま、奔放だった母親自身すら確認できないのだ。

 こうした出生のトラウマが、その後のユトリロの人生を決めてしまう。
 10代の頃からアブサンやラムを浴びるように飲み、勤めていた銀行はクビ。18歳でアル中になり、パリ近郊モンマーニで療養生活をおくる。
 この時医師が、治療のために絵を薦める。20代前半、この頃の作品を「モンマニー時代」と分類される(右上真ん中の作品)。

 ユトリロの絵の評価が高くなったのは、「白の時代」。モンマルトルに戻り、路地や広場を描いた。
 幼児の頃から「漆喰」に異常な関心を持った彼は、白い漆喰の壁を良く描いた。冒頭のポスター「カルボネルの家」や右上の「エリゼ・デ・オザール小路」などが代表作である。

 アル中で入退院を繰り返しながら、母親と自分より年下の義父の命で絵を描き続けた「色彩の時代」。
 座敷牢に閉じ込められながら、一枚の絵を描いては安酒一杯を飲ましてもらう。
 親達は、その絵の売上げで豪奢な生活を送ったという。

017_640 51歳で63歳の金持ちの未亡人と結婚させられる。
 ユトリロの絵のコレクターでもあった彼女もまた、彼の尻を叩いて絵の増産を強制した。
 ユトリロの作品に、同じ建物や路地、教会が多いのもこうした背景があったからだ。
 1955年パリ近郊の別荘で逝去。墓はモンマルトルにある。

020_640019_640 10年ほど前に、仕事でパリを訪ねた。その時撮った写真を探してみたら、ユトリロの描いた風景とそっくりのものがあった。
 セーヌ河河畔、モンマルトルの坂道と白い漆喰の壁。
 パリを愛した孤独な画家の世界だった。

 「モーリス・ユトリロ展」は7月4日まで、損保ジャパン東郷青児美術館で。
 入場料・一般1000円
 

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June 19, 2010

1581.RAILWAYS

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 「49歳で電車の運転手になった男の物語」と、内容そのものの副題がつく。 

 仕事一筋、家族を省みる事もなかったエリート・サラリーマンが、50歳を目前にしてふと「人生」に戸惑う。
 そして幼い頃の夢へと転身していく感動のストーリー。

 現役のサラリーマンにとっては、所詮「お伽噺」と受け取られようが、現実にもそんな転身を遂げた人たちは存在している。

Wp_07_1024  宍道湖畔を松江から出雲に走るバタデン「デハニ50形」、島根の風土が郷愁を呼ぶ。

 監督・錦織良成は、一畑電鉄の中間駅「平田」の出身だから、思い入れはたっぷりだ。

335991_100x100_003 母親(奈良岡朋子)の病がきっかけとなって、故郷に帰ってきたサラリーマンが中井貴一の役。

 普通のサラリーマンを演じさせたら右に出るものはいないという彼、その存在が「お伽噺」を現実に引き戻す。
 リストラをクールに進めていく重役候補の顔から、運転手への転身を決断した顔への変化が上手い。

 その彼によって、新しい家族の絆を結ぶのが、中井の妻・高島礼子と娘・本仮屋ユイカの役。
 祖母思い、そして戸惑いながらも父の変貌に眼を見張る本仮屋が可愛い。

335991_100x100_002  元甲子園のエース、肘を痛めて仕方なく運転手の道を歩むのが、新人・三浦大貴。ご存知、山口百恵の長男である。

 ほかに、橋爪功、佐野史郎、宮崎美子、遠藤憲一、笑福亭松之助・・・。敵役がひとりもいない作品である。

Wp_02_1024  一畑電鉄の全面的な協力で電車を走らせただけに、鉄道ファンはたまらない映画となった。
 その中心となった電車が、昭和の初期にここで作られた「デハニ50形」。国内の鉄道を走る電車としては、最も古いものだ。

005_640  学生時代、友人の故郷でもある出雲地方には何回も足を運んだが、この橙色の電車に乗るのが楽しみだった。
 この電車が線路を走るのは、多分このロケが最後だろう。

 製作は、日本アカデミー賞を受賞した「ALWAYS 三丁目の夕日」のROBOT。
 今回はCGやVFXはほとんどなく、島根の田園と宍道湖をたっぷりと見せてくれた。

 「豊かで晴れ晴れしい映画だった」と、ある映画評論家がエールの言葉を贈っていた。

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June 18, 2010

1580.BOX

003_640 副題の「袴田事件 命とは」が訴えるとおり、「これは冤罪だ、という自分の姿勢を鮮明にしないと、卑怯だと思った」と述べる高橋伴明監督の力作。

 1966年の袴田事件で一審の死刑判決に関わり、悩み続けながら40年後の2007年、ついに「無罪を確信していた」と告白して世論に衝撃を与えた元裁判官を主人公に、人が人を裁くことの難しさを描いた。

 死刑囚や冤罪事件をテーマにした作品は多い。しかし最高裁が特別抗告を棄却し、現在なお再審請求(第2次)中のナマの事件を、実名でストレートに描く作品は初めてだろう。

 そうした高橋監督の熱い思いに拍手を贈る。そしてただ声高に正義を叫ぶのではなく、丁寧に「命とは」と問いを発しているのはさすがだ。
 「人を裁くことは、自分も裁かれる」ことなのだ。

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 またキャスティングも上手い。
 不器用な生き方しか出来なかった判事役・萩原聖人にしても、元ボクサーである死刑囚役・新井浩文にしても、ノンフィクションを思わせる人物描写である。

336399_01_04_03  足利事件での菅谷利和さんのケースのように、冤罪の生まれる暗い構図を多くの人びとが知った今、権力の暴走の描き方にはリアリティを感ずる。

 なぜ犯してもいない罪を、人は「白状」してしまうのか。
 石橋凌の部長刑事や村野武範の刑事、大杉漣の検事などを前にすると、その事を納得する。

 高橋監督に意気をを感じ、岸部一徳や国村隼などもワンシーンだけの登場だ。死刑囚母親役の吉村実子も久し振りの映画出演だった。

 裁判員制度がスタートした今、「あなたなら死刑といえますか?」と観客に問う作品。
 都内では2館でしか上映されていないのが、残念である。
 

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June 17, 2010

1579.告白

002_640 昨年の本屋大賞を受賞したベストセラー、250万部を売り上げた湊かなえの「告白」の映画化。

 監督はCMディレクター出身で、「下妻物語」('04)「嫌われ松子の一生」('06)「パコと魔法の絵本」('08)の中島哲也。
 これまでの原色の映像とは全く違う、モノトーンが印象的である。

20100308003fl00003viewrsz150x  「娘は事故死ではありません。このクラスの生徒に殺されたのです」と、37人の生徒の前で淡々と話す女教師(松たか子)の「告白」から映画は始まる。

 続く告白は「可愛そうに。あの子は昔から優しい子なのに」と、犯人Bを溺愛する母親(木村佳乃)のモノローグ。

335612_100x100_010  優等生でもある犯人A(13歳新人)の告白は「才能を生かした殺人・・・これから行う犯罪史に残る偉業」。

 引き篭もりの犯人B(13歳新人)の告白は「ボクはあいつが出来なかったことをやり遂げた」。

 そして少女A(13歳新人)「先生・・・命は重いですか?」。

 物語は、関係者の独白形式で綴られる。その虚実入り交じった「告白」により、真相が明らかになっていく仕組み。

335612_100x100_011_3  一見陰湿な殺人ミステリーが、中島監督のPOPな感覚によってサスペンス、人間ドラマ に昇華されていくのが見ものだ。
 ウザイ新人教師(岡田将生)の登場がその象徴。
 またオーディションで選ばれた37人の新人が、自然体で今の「中学生」を演ずる。

 そしてヒロインの最後のセリフ。
 後味は悪いが、観客ひとりひとりの感性がそれをどう受け止めたか、それがこの映画のキーポイントとなる。
 なぜか映倫は「+15」とした。

 主題歌は、イギリスのレディオヘッドの「Last Flowers」。

 先週に続いて、今週も興行成績はトップである。

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June 16, 2010

1578.第76回東光展

012_640001_640 毎回このブログで紹介している「東光展」、いつもは5月の連休中に開催されていたが、東京都美術館が改装休館のため今月に延期。
 その上会場は「上野の森美術館」。狭いのでおよそ1200点の会員・会友・公募入選作品が、3回に別けて展示された。

 幸い何時も招待状を送ってくれる高校の先輩と大学の後輩が、同じ期間に展示されていたので、上野まで出かけるのは一回で済んだ。

 「光は東方より、輝かしい夜明け」を合言葉に、昭和の始めに結成された美術団体の公募展も76回目を迎えた。
 二科会とは異なり東光会は「洋画家」だけの集まりである。

004_640 003_640  先輩で会員の阿久根律子さんの作品は「ふるさと残雪」。
 ここ数年「蓮華」など静物が中心だったが、今年は久し振りにエネルギッシュな作品だった。
 油絵具を叩きつけるような筆捌き、どんな心境の変化があったのか、今度聞いてみよう。
 主婦時代の趣味としてスタートした画歴、今では国際コンクールにもたびたび入選するプロの画家である。

008_640009_640  後輩の会員・木原容子さんは、元高校美術教師。体調を崩し長期療養に努めていたが、5~6年前から絵を再開した。
 今年も題は「ひまわり」。会場が狭いため、絵の大きさを30号に制限され構図に苦労した、との添え書きがあった。
 毎年同じ画材だが、昔に比べて明るいトーンになっていく。

 東光展は今月23日まで。3期に分れるので、出品作品には注意。このあと大阪や広島など、全国を巡回する。

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June 15, 2010

1577.ブライト・スター

Img002_640 副題に「いちばん美しい恋の詩」とあるように、「世界で最も美しい詩」を生み出したイギリス浪漫派の詩人ジョン・キーツと、彼が愛したただ一人の女性ファニー・ブローンとの純愛物語である。

336015_01_04_03  英米文学には弱いので、不覚にも彼の名を知らなかったが、イギリス人で知らない人はいないという著名な詩人だそうだ。

 1795年馬車屋の家に生まれ、困窮生活の中で詩を作り続けたが結核で逝去、25歳の若さだった。
 詩人としては5年という短命だったが、死後シエークスピアと比較されるほど讃えられ、現在でもイギリスの教科書には必ず彼の詩が登場する。

336015_01_06_03_2  監督は、「ピアノレッスン]('93)でカンヌ国際映画祭パルムドール受賞の女性監督、ジエーン・カンピオン。
 ニュージランド出身の彼女は、ロンドン留学中にジョン・キーツの詩と恋人の存在を知り、長年映画化の夢を暖めてきたという。

 キーツの役はイギリスの俳優ベン・ウイショー(「バヒューム」'06)、恋人ファニー・ブローンはオーストラリアの女優アビー・コーニッシュ(「キャンディ」'06)。
 ガリガリに痩せたウイショーと健康的な美しさを見せるアビーの組み合わせが、この純愛の行く末を冒頭から暗示した。

Brightstar_1024x768_bBrightstar_1024x768_c  イギリス・ベッドフォードシャーの古い館を中心にロケした映像が美しい。
 まるで「フェルメールの絵」を思い浮かべる映像美が続く。

 ツリガネスイセンやラッパスイセンが咲き乱れるカントリー、19世紀の中流家庭のフアッション、昨年のアカデミー賞では衣裳デザイン賞にもノミネイトされた。

 「輝く星よ
  その誠実なきらめきは 夜空に高く孤独を知らぬ
  ・・・・・・・・・・・・・・・・
  恋人の豊かな胸を枕にその柔らかなうねりを感じつつ
   目覚めよう 甘き不安の中で
  静かに彼女の息づかいを聴き
  永遠の生か恍惚の死を求めん」

 ラスト、クレジットロールが流れる中で、ジョン・キーツが恋人ファニー・ブローンによせた「ブライト・スター」の詩が朗読される。
 もしキングス・イングリッシュに堪能だったら、その詩の「韻の響き」の美しさに酔う事が出来たのだろうが。

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June 14, 2010

1576.孤高のメス

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 ある地方都市の市立病院に赴任してきた外科医(堤眞一)。アメリカで修行を積んだエリートでありながら、「目の前の患者を救いたい」との信念から地方病院を選んだ。
 その彼が、当時はまだタブーだった「脳死肝移植」のメスを握る。

 原作は大鐘稔彦の同名小説。30年間、外科医として4000回の執刀経験を持つ現役医者が、「メスは熟達の医師が持てば名器になり得るが、一歩間違えると凶器になる」と、3年前に刊行したベストセラーの映画化である。

336173_100x100_007_2  物語の時代は20年前。
 外科医のもとで、手術を担当した看護師(夏川結衣)の日記が、ストーリーを紡ぐ。
 
 患者のたらいまわし、医師不足、手術ミス、地域医療、臓器移植と、当時の医療が抱えていた病弊を鋭く突いているが、これらの諸課題は今もなを、解決されてはいない。
 それだけに、作品が問う社会性の意味は大きい。

 「映画化は無理だろう」という原作者を説得したのは、「ミッドナイトイーグル」('07)の成島出監督。身近な人を医療ミスで亡くしているだけに、作品に拘った。
 厖大で緻密な原作を、うまく脚本化したのが加藤正人(「クライマーズ・ハイ」'08)。「看護婦の視点」で描く事で、人間的な情感が出た。

336173_100x100_005  そんなシナリオを、堤眞一が渋く押えた演技で見せる。正義の医師ブラック・ジャックと大上段には構えず、野心も気負いも無い医師をユーモアも交えながら演じる。

 ほかに脳死した青年を成宮寛貴、その母・余喜美子、市長・柄本明。
 敵役の外科部長・生瀬勝久のエゲツなさが上手い。

336173view016  もう一つの見どころは「手術シーン」である。
 日本初の生体肝移植を手がけた、順天堂大学の肝胆膵外科の全面的な協力の下撮った。
 「この作品で一番に挑戦したのが、『手術シーン』のリアリティの追求だった」と成島監督は語る。
 それが命の大切さを訴えるメッセージにもなるし、人が人を信頼し敬愛する事につながるのだ。

 すでに「脳死肝移植」は、タブーではなくなった。来月からは「改正臓器移植法」が施行される。
 今後は、本人の意思が不明でも家族の承諾があれば脳死移植が可能となる。

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June 12, 2010

1575.北鎌倉・花散策

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100610_020_640100610_022_640 「岩煙草(イワタバコ)」。
 谷間の岩壁に生える。葉がタバコに似ているので、こう呼ばれる。若葉は食用に、果実は胃腸薬。
 北鎌倉の名刹の裏の岩壁で、いま花が満開だ。

 今月の「ひとまく・鎌倉ウオーキング」は、北鎌倉で緑と季節の花を訪ねた。

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 鎌倉五山第二位「円覚寺」、臨済宗円覚寺派総本山。
 北鎌倉駅のすぐ前に、およそ6万㎡の寺域が広がる。

 鎌倉幕府八代執権・北条時宗が、「元寇の役」で戦死した敵・味方の兵士の菩提を弔うため、宋の禅僧・無学祖元を招いて建立した。

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100610_033_640100610_042_640100610_045_640    この季節、境内にはいろいろな種類の紫陽花が花を咲かせていた。
 日本原種の「ガクアジサイ」、「西洋アジサイ」「紅額」・・・・などなど。

100610_051_640_2100610_047_640_6100610_049_640   縁切寺として有名な「東慶寺」。
 北条時宗の菩提を弔うため建立されたこの寺は、明治の頃まで尼寺だった。
 寺格も高く、代々名門の出の女人が住職を務めている。5世用堂尼は後醍醐天皇の皇女、17世は足利義明の息女、20世は豊臣秀頼の娘が住した。

 尼寺だけに境内には、美しい花が咲き乱れている。「花の寺・日本百選」のひとつ、この季節は「ハナショウブ」と「イワタバコ」。

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 東慶寺を一山越えると、同じ「花の寺・百選」の「浄智寺」がある。
 五代執権時頼の三男が若くして没したため、その菩提を弔った寺である。
 初期の伽藍は壮大なもので、鎌倉五山の第4位に数えられている。

 梅・ボタン・シャガ・夏椿・タチヒガンなど、季節ごとに花で彩られる。庭の白雲木の花も見事だ。

100610_120_640100610_122_640100610_119_640   葛原ヶ岡の峰を渡り、天柱峰・葛原岡神社・化粧坂の切通しを下ると、扇ヵ谷に入る。

 ここにも、花の名所として知られる「海蔵寺」がある。
 六代将軍宗像親王が、古刹の寺跡に建立した寺だが、新田義貞の鎌倉攻めで焼失した。その後、鎌倉御所の足利氏満の命で再建された臨済宗・建長寺派の寺である。

 本堂と庫裡の背後に作庭された、禅宗風の瀟洒な庭園が美しい。松竹梅そして蓮につつじと季節の花が楽しめる。

 この後「薬王寺」「浄光明寺」と鎌倉ウオーキングは続くが、所用のためここで「ひとまく」の仲間達と別れた。
 ドアtoドア、1万6127歩の散策だった。   

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June 11, 2010

1574.息もできない

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 衝撃的な作品、鮮烈な韓国映画である。

 3月末に日本でも公開されたが、都内では2~3箇所の単館上映。ようやく有楽町でも上映されたので観る事ができた。

 「世界が泣いた」「世界が震えた」と、多くの国際映画祭や映画賞でグランプリ・主演男優賞・主演女優賞を受賞。日本でも昨年の「東京フイルメックス」最優秀作品賞と観客賞と、ダブルで受賞している。

 335197_100x100_003 韓国独立系作品で活躍している、俳優のヤン・イクチュンが脚本を書き、製作・監督・編集を1人で担い、主演した。

 冷酷・粗暴な借金取りのチンピラ(ヤン・イクチュン)が、男勝りの勝気な女子高校生(キム・コッピ)と運命的に出会い、「崩壊した家族」のトラウマから解き放されていく姿を描く「純愛物語」。

335197_100x100_007  「国」によって心の傷を負わされた父や母の世代と、現代の若者達の世代との葛藤ガテーマである。
 当時32歳だったヤン監督が、暴力的な親のもとで育った苦しみを、全て吐き出すように脚本を書いた。

 母親を殴るしか、社会の重圧から逃れ得ない父親、殴られっぱなしで抵抗しない母親。その連鎖は子どもに向けられる。
 「教えてくれよ、女子高校生。どう生きりゃいい?」、このセリフにヤン監督の全てが込められる。

335197_100x100_002 女子高校生役のキム・コッピに存在感がある。ベトナム帰りで精神に異常を記した父親と、妹をいじめる事しか「存在」を主張できない兄。そのトラウマが、チンピラの「本当のやさしさ」に引かれていく。
 彼女は今回の役で、韓国の映画賞・新人女優賞のほとんどを獲った。

335197_100x100_004  もう一人、主人公の甥を演ずるキム・ヒスが上手い。「親切なクムジャさん」('05)で印象に残った子役だが、今や韓国では最も注目を集めているいるようだ。

 2時間10分の上映時間の半分以上が、殴る蹴るというむきだしの暴力シーン、それを救うのは2人のキムの笑顔だけだ。

 「息もできない」クライマックスに、観客は席を立つことも出来ない。
 

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June 10, 2010

1573.田中一村~生涯と作品

_640 友人の美術評論家・大矢鞆音さんから、先日出版された著書が届いた。
 「田中一村~生涯と作品」、東京美術が「ABCアート・ビギナーズ・コレクション」として刊行している、美の巨人達の作品の魅力を紹介するシリーズの一冊である。

 大矢さんは、父・兄・弟が日本画家という美術一家の生まれ、美術関連出版の編集者時代に田中一村を知り、作品集、巡回展、記念美術館の設立をプロデュースした「田中一村研究」の第一人者。

010_640_2  彼は本の「まえがき」にこう書く。

 「画家田中一村が人びとに知られるようになったのは、テレビ番組によってである。絵のインパクトとともに、人生の終章を迎える五十歳のときに、全てを捨て南の島・奄美への移住を決行したという、そのひたむきな生き方も多くの人の心をとらえたようである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 異端の画家ー、当初はそんな風に感じられた。しかし、一村について調べていくなかで、もしかしたら正統な日本画家ではなかったか、と思うようになった。」

011_640_3 本のカバー表「ビロウとアカショウビン」(部分)もそうだが、オオタニワタリやダチュラ、ガジュマル、アダンなど奄美の自然を題材にした独自の花鳥画に、多くのファンの眼が集まるが、大矢さんは一村の若き時代にも注目する。

 2年前、彼は奈良県立万葉文化会館での「生誕100年記念 田中一村展ー原初へのまなざし」をプロデュースした。
 この展覧会では、奄美作品はほとんど出品されず、幼少期から千葉在住時代の作品を並べた。
 にもかかわらず、全国から訪れた2万5千人の入場者を魅了したという。

013_640   1908(明治41)年、彫刻家・稲村の長男として生まれた一村は、7歳で「米邨」の雅号を持った南画の神童だった。
 その後17歳で東京美術学校入学したが、すでに南画の世界では名を成す存在であり、学校を中退して独自の世界を歩んでいく。

 1958(昭和33)年「院展」に2作品を出品するも落選。既製画壇に受け入れられなかった事が引き金となり、一村はひとり奄美に旅立つのである。

 大矢さんは、南画から出発した一村の「独学人生」を、時代毎に6つ章で分析する。そして「南の琳派」誕生で結ぶ。

005_640  「一見華やかな画面でありながら、一枚ベールをかぶせたような渋さも秘めている。南画調の大らかさと琳派の様式美を併せ持ったこの不思議な魅力こそ、一村作品の深みとなって見る者を魅了する。私はそれを『南の琳派』と名付けたい。」(65ページ)

 大矢さんから送られてきた「田中一村カレンダー」を、毎日眺めながら、私も伝説の画家の生涯に想いを馳せている。

 大矢鞆音著「田中一村~生涯と作品」(東京美術刊)
                     定価1800円(本体)

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June 09, 2010

1572.初夏・上高地(3)

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 針葉樹の中で唯一落葉する「カラマツ」。梓川の河畔には、30mを超えるカラマツの天然林がある。

 旅の半日、ネイチャー・ガイドの解説で、梓川周辺の森を散策した。

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 この季節、上高地を代表する花は「ニリンソウ」。
 キンポウゲ科のこの高山植物は、1本の茎から2輪ずつの花茎が伸びる。直径2cmの花びらは萼、まれに緑色のものもあるという。
 河童橋から明神・徳沢へ抜ける道を歩くと、多くの群落に出会う。

100601_230_640100601_023_640_3  左の写真「エゾムラサキ」は、森の中でよく見かける初夏の花。直径5ミリの小さな花が、集まって咲く。
 「ワスレナグサ」の仲間でその名の通り、北海道と上高地にだけ生息する。

 右の「ラショウモンカズラ」も紫の花。源頼光が羅生門で討ち取った鬼の腕に似ていので、この名が付いた。

100601_158_640_2100601_159_640_3  漢方薬になる「ヤマエンゴクサ」(左の写真)と「テングクワガタ」(右)。
 それに「シロバナエンレイソウ」「コチャルメルソウ」「ネコノメソウ」「アマドコロ」「コミヤマカタバミ」「オオバキスミレ」・・・・・。

100601_137_640_7   上高地では、5月中旬から6月上旬にかけて、一斉に高山植物の花が咲く。

 ガイドの説明のメモを頼りに写真を並べてみたが、当たっているだろうか。

100601_160_640_2100601_163_640100601_173_640                                            上高地を代表する樹木といえば、「ケショウヤナギ」。
 日本では梓川流域と北海道にだけ分布する珍しいヤナギである。
 幼木や新枝が、夏にかけて白ロウ質で覆われ、白く化粧したように見える。

 真ん中の写真は「オオバヤナギ」。15mもある樹木の枝に花をつけていた。
 その隣は、たぶん「イヌコリヤナギ」。梓川沿いや湿原で見かけた。

100601_161_640_2 標高1500m、上高地は植物の宝庫だ。
 湿原付近には「カラマツ」、梓川沿いには「ケヤマハンオキ」「オノエヤナギ」「ケショウヤナギ」、湿性林には「サワグルミ」「ハルニレ」、針葉樹林には「ウラジロモミ」「ダケカンバ」と、さまざまな樹木があり、この季節には一斉に芽吹く。

 初夏・上高地の旅、久し振りに森林の命をわけてもらった。

100601_111_640_4  「ようやく五月、上高地では雪が消え、ケショウヤナギの柔らかな緑が萌え、小さな玉芽のほころびかけた落葉樹の梢ごしに、穂高の岩肌が残雪と頃合の彩を見せはじめる。
 ウグイスのさえづりのおびただしい路傍には、ニリンソウの群落が小さな花をつけはじめる。」(北杜夫の作品から)

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June 08, 2010

1571.初夏・上高地(2)

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 「上高地帝国ホテル」、1933(昭和8)年開業した日本初の山岳リゾートホテルである。
 日々の喧騒を離れ、ここでくつろぎの時を過ごすのが、上高地を訪ねるもう一つの目的だった。

100601_148_640 大正池でバスを降り、田代湿原を見ながら森を歩くこと45分、ハルニレやダケカンバの向こうに、上高地帝国ホテルの赤い屋根が見える。

 春・夏・秋とシーズンを変えながら、2年に1回のペースでホテルを利用してきた。
 今回が6回目、2年前は出発の前夜に連れ合いが怪我をして、キャンセルするというハプニングだった。
 だから4年ぶりの帝国ホテルになる。

100601_041_640 スイス風の赤い屋根がシンボル。4階建ての山小屋風建築が、特徴である。
 北東側の部屋にはベランダがあり、ウグイスのさえずりを聞きながら、穂高連峰の雄大な峰々を眺めることが出来る。

100601_053_640 夕方、ホテル裏の森を散策していたら、日本ザルに出会った。
 彼等は、世界で最も気温の低い所に生息するサルだそうだ。厳冬下、閉鎖された帝国ホテルの軒下には、多くのサルが身をよせているという。

100601_052_640_2100601_055_640  サルの後を付いて行くと、ホテルレストランの厨房裏に着いた。
 中では、今夜のフランス料理の仕込み中。石組みの壁からかすかに漂う逸品の香りを、サルたちも楽しんでいた。

100601_070_640100601_063_640 
 吹き抜けのロビーラウンジの真ん中に置かれているマントルピースが、山小屋の雰囲気を漂わす。

 夕方、初夏といっても外は10度を切る。赤々と燃える炎を眺めながらのドライマッティーニは、楽しみの一つなのだ。

 明日もきっと晴れるだろう。

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June 07, 2010

1570.初夏・上高地

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 左から「西穂高岳」2909m、「ジャンダルム」(3163m)と続いて中央が「奥穂高岳」3190m、日本では3番目に高い山だ。
 「吊尾根」を経て「前穂高岳」3090m、「明神岳」(2931m)は右に隠れる。
 上高地・梓川河畔から見た穂高の峰々である。
 
 先週、久し振りに上高地を訪ねた。

100601_034_640100601_164_640_2  上高地、槍、穂高・・・・ここは日本を代表する「自然の聖地」。

 陽に輝く山並みと梓川、緑深い森、生命あるものたちの久遠の営み、自然が築き上げた最も美しい場所である。

 1888(明21)年から7年間、日本に滞在した英国人牧師ウオルター・ウエストンは、槍ヶ岳や穂高連峰を踏破して「日本アルプスの登山と探検」を書いた。
 上高地は、こうして世界中に知れわたる。

 昨日は、その彼に感謝する「ウエストン祭」が、梓川ほとりの記念碑の前で行われた。

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 上高地の入り口は「大正池」。着いた夕方は小雨のぱらつく天気だった。

 1915(大正4)年、「焼岳」(写真右)の噴火によって、梓川がせき止められて出来た自然のダム。
 昔は、立ち枯れの木々が神秘的だったが、もうほとんど残っていない。

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                          翌朝、初夏の緑が眩しい河畔の森を抜け「河童橋」へ。
 ここは、芥川龍之介の小説「河童」の舞台となった上高地の名所である。

100601_123_640_3100601_122_640_4  河童橋越しの穂高連峰は、観光ポスターで御馴染みなので敢えて省略するが、いつ出かけてもカメラマンや絵描きの姿を見かける。

 お昼前、明神までのトレッキングに出かけた時は、銀座並みの混雑だった。

100601_204_640100601_205_640100601_220_640  上高地への旅のとき、必ず足を延ばすのが明神池。
明神岳の土砂が湧水をせき止めてできた池である。

 河童橋から梓川左岸を歩いて50分で、池に着く。

100601_199_640 この池は、鏡池ともよばれる聖域でもある。
 その昔、九州からやってきて信濃を開発した海人、安曇族の祖神・綿津見(わたつみ)の子、穂高見(ほだかみ)を祀る穂高神社の奥宮。
 古くから、この地は「神降地」「神河内」とよばれ、「上高地」の語源となった。

100601_200_640100601_198_640_2 釜隧道が開通するまで、上高地を訪ねる人たちは、安曇の島々から徳本峠(とくごうとうげ)を超えて、5時間の道のりを歩いてきた。

 ウエストンもまた、杣人・嘉門次の案内でこの道を登った。
 明神池の入り口には今も嘉門次小屋があり、彼の顕彰碑が建つ。
 小屋で食べた信州蕎麦は、思いのほか美味かった。

100601_234_640100601_239_640100601_240_640   

 帰途は、梓川右岸の木道を歩く。
 上高地ビジターセンターまでおよそ70分、自然が築く造形を楽しみながら、ホテルに戻った。

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June 05, 2010

1569.庄内・歴史の旅(番外編③)

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              「クラゲづくしの水族館」                  

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 北前船が寄航していた加茂の港。ここにある鶴岡市立の小さな水族館は、最近脚光を浴びている。
 昨年から展示をはじめたクラゲが発展して、いまや35種以上と、世界一種類の多い水族館となった。

100522_223_640100522_224_640_3 加茂水族館を有名にしたもう一つの理由が、写真左の「オワンクラゲ」である。
 2年前に、アメリカ・ボストン大学名誉教授の下村脩さんが、この「クラゲの研究」でノーベル化学賞を受賞したからだ。

 オワンクラゲは、傘の縁にGFP(緑色蛍光タンパク質)があり、ブラックライトを当てると右の写真のように発光する。
 昨年下村博士は、帰国した折にこの水族館を訪ねている。

100522_201_640100522_211_640 冬には3㎜だった「ミズクラゲ」は、春になると数cmになる。
 海水浴場の嫌われ者は毒を持つ「アンドンクラゲ」。
 羽黒山山頂にある「梵鐘」にそっくりな「ツリガネクラゲ」は傘径2㎝。

100522_214_640  なかでも傑作なのが、左の「アカクラゲ」。
 説明書によればこのクラゲ、傘径30cm、蝕手を伸ばすと長さ3mになる。強い毒性を持ち大量発生して漁業被害をしばしば起こす。

 戦国時代、信州の真田軍はアカクラゲを乾燥して作った粉を、目潰しに使った。そこで別名「サナダクラゲ」ともいう。
 またこの粉末を吸うと、クシャミが止まらない。故にもう一つの別名が「ハクションクラゲ」。

 猿飛佐助や霧隠才蔵など真田十勇士が、ハクションクラゲの粉を撒いて隠れていた敵の忍者達をやっつけた・・・・。
 「クラゲアイスクリーム」200円を嘗めながら、こんな空想にひたった。

 「庄内・歴史の旅」本編・番外編とものこれが最終回。   

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June 04, 2010

1568.庄内・歴史の旅(番外編②)

      「海坂藩の面影」

Semishigure  '04年NHK金曜時代劇で放送、大ヒットした藤沢周平原作「蝉しぐれ」。
  藩の派閥抗争を背景に、父を切腹させられた主人公・文四郎(内野聖陽)が、藩主の側室となった幼馴染の福(水野真紀)を命懸けで助け出す姿を描いた名作。
 翌年には、市川染五郎、木村佳乃で映画化され、日本アカデミー賞各部門で優秀賞に選ばれた。

100522_233_640100522_232_640   4月末に鶴ヶ岡城址にオープンした「藤沢周平記念館」、旅の最後にここを訪ねた。
 記念館では開館記念して、「『蝉しぐれ』の世界」と題した特別企画展が開催されていた。

 館内には、作品の創作過程がわかる直筆原稿や創作メモ、物語の舞台となった「海坂藩」の面影が、多くの資料で紹介されていた。

M040919a_31b8e2f081f5ecbe8_3  '02年に映画化された「たそがれ清兵衛」(真田広之・宮沢りえ)、'04年の「隠し剣 鬼の爪」(永瀬正敏・松たか子)、'06年の「武士の一分」(木村拓哉・檀れい)など、藤沢周平の歴史小説は「海坂藩」という架空の小藩が舞台となっている。

Photo_1_2 といっても全くの想像の世界ではない。彼が生まれ育った庄内地方、そこを治めた酒井家の庄内藩の数々の歴史的事実が、フィクションの基になっている。

 藤沢は予てから「名もない普通の人をえらいと思う」と、語っていた。6年間にわたる闘病生活、その後の業界紙記者生活の苦労、その中から歴史小説、伝記小説が生まれた。

009_640  彼の作品には、東北の小藩の下級武士や江戸市井に生きる人々が、多く書かれている。
 登場する剣の使い手も、決して上級武士ではない。せいぜい1人ぐらいを雇って、奥方も畑仕事をする貧乏暮らしである。

100522_079_640  鶴岡市では、藤沢周平の書いた小説の原風景を訪ねる「城下町ロードマップ」を発行した。
 「蝉しぐれ」はもちろん、テレビでも放映された「三屋清左衛門残日録」「秋太刀馬の骨」など、作品の所縁の場所には案内板があった。

 左の写真は、ブログ1509号('10.03.20)でも紹介した映画「花のあと」のロケ地、鶴ヶ岡城址である。

100522_004_640100522_006_640   「藩校・致道館」の前には、「義民が駆ける」の作品紹介の看板があった。
 この長編小説は、まだ映画化されてはいないが、珍しく「庄内藩」や実在の人物が実名で登場する歴史小説である。
 実はこの小説、今回の歴史の旅のテキストのひとつでもあった。

 天保の頃、「三方国替え」の幕命に反対した庄内の農民たちが、大挙して江戸に上り幕府に強訴、ついに取り下げさせた「義民一揆」を描いたものである。

100522_235_640  「三方国替え」とは、11代将軍家斉の子を藩主とする川越藩が、肥沃な庄内平野の富裕な米を狙って転封を願い出た事から始まった。時の老中たちは、交代は露骨なので庄内藩を長岡に、長岡藩を川越にと目論んだのである。

 この事件は、一般に「二君に仕えず」という農民の忠誠心の顕れとされている。 
 しかし藤沢はそれだけの奇麗事ではなく、隠田がばれたり年貢の取立てが厳しくなる事を恐れたというのが、したたかな農民達の本音であると、リアルに描いている。
 また、農民達を裏から金銭的に支援した豪商・本間家も、酒井家家臣に貸した金の取立てが出来なくなる事や、利権を失うとの現実的な判断があった、としている。

 山紫水明の地、庄内に残る藤沢文学の面影。今回の旅のもうひとつの目的でもあった。   

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June 03, 2010

1567.庄内・歴史の旅(番外編①)

100522_103_640_2   「出羽三山」

 特別天然記念物・羽黒山の杉並木の中に、ひっそりと立つ国宝・五重塔。
 高さおよそ30m、平安時代(920年ころ)に平将門が建立したと伝えられる、東北最古の塔である。

100522_236_640  「庄内・歴史の旅」の合い間を見て、出羽三山にお参りした。
 といっても月山や湯殿山までは時間の余裕がないので、羽黒山への「奥参り」に留めた。

100522_099_640100522_100_640 羽黒山は、蘇我馬子によって殺された崇峻天皇の第一皇子・蜂子が、593(推古元)年に創立した「羽黒派古修験道場」の山で、出羽三山の始まりである。

100522_093_640100522_107_640  三山は、祖先の霊魂が鎮まるお山、生命の糧を司る山の神・海の山が鎮座している霊山として、古くから人々の信仰を集めてきた。

 老杉が生い茂るおよそ2キロの参道を登ると、宮内庁が管理する蜂子皇子の陵墓もあった。

100522_115_640_3100522_109_640_2  羽黒山頂には、国指定重要文化財の「三神合祭殿」があった。
 萱葺木造建造物としては日本最大を誇り、月山・羽黒山・湯殿山の神々が祭られている。
 冬場、標高の高い月山(1984m)湯殿山(1504m)にはお参り出来ないので、ここに祀ったという。
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 ここからは少し離れるが、南谷別院は元禄年間に芭蕉が出羽三山を訪ねた時に逗留したところである。
 現在は杉林の中に、その跡を留めるのみである。

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  「涼しさや ほの三日月の羽黒山」

 「雪の峰 いくつ崩れて月の山」

 「語られぬ 湯殿にぬらす袂かな」 

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June 02, 2010

1566.パーマネント野ばら

_640 人気漫画家・西原理恵子の同名作品の映画化。

 土佐の海辺の町、小さな美容室「野ばら」が舞台。
 「はちきん」たちが、情けない男に振り回されながらも、「どんな恋でも無いよりまし」とたくましい。
 大人の女性の、おかしくも切ない恋ごころが描かれる。

 監督は気鋭の吉田大八。「腑抜けども、悲しみの愛を見せろ」(07)「クヒオ大佐」('09)でも見せたように、騙されても騙されても「人との繋がり」を求める女たちの、「どうしょうもなさ」「愛すべき可笑しさ」を描くのが上手い。

Wp2_1 子連れバツイチのヒロインは、8年ぶりの主役・菅野美保。恋人の高校教師が、江口洋介という組み合わせ。

 加えて男運の悪い女たちが、次々と登場する

335988_100x100_004335988_100x100_007  子どもの頃からの遊び仲間、フィリッピン・パブのママが小池栄子。浮気と金の無心ばかりの夫には、頭にくる。
 もう一人の池脇千鶴は、ギャンブル狂で行方不明の旦那を心配する。

335988_100x100_009335988_100x100_006  「野ばら」を切り盛りするヒロインの母・夏木マリだって、男を次々とっ変えてきたが今度は亭主の宇崎竜童に逃げられた。

 そして「野ばら」の常連、パンチパーマの「はちきん」おばさんたちの下ネタ会話が凄い(役者名不明)。

 原作者・西原理恵子の故郷、高知県宿毛市でロケした。
 美しい空と海が眩しい。それが切ない恋物語に深い余韻を残す。  

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June 01, 2010

1565.春との旅

100522_292_640 「ある日、突然ーひとりの老人が家を捨てた。」
 「孫娘、春があとを追った・・・。」

335616_100x100_005  足が不自由な元漁師の祖父(仲代達矢)は、頑固で我がままだ。居候先を見つけるために、親類縁者を訪ねる旅に出た。
 後を追う孫娘(徳永えり)は、仕事を失った18歳。母親を亡くして以来5年、祖父を世話してきた。

335616view006  北海道日本海側の漁村・増毛から東北・気仙沼・鳴子・仙台そして再び北海道・日高に。
 2人のロードムービーは、人間の尊厳・気高さそして愚かさを語る旅だった。
 現代版「リア王物語」、現代版「姥捨て物語」である。

 原作・脚本・監督の小林正広が、8年間胸に温め続けてきた作品である。
 「パッシング」('05)でカンヌ国際映画祭パルムドールにノミネイト、「愛の予感」('07)ではロカルノ国際映画祭でグランプリと、家族や人と人との繋がりを丁寧に描いてきたベテラン監督である。

335616_100x100_014335616_100x100_015   仲代・徳永コンビが訪ねる先には、名優・ベテランが待ち受ける。

 仲代の兄夫婦は大滝秀治と菅井きん、弟夫婦は柄本明と美保純。
 仲代が頭の上がらぬ姉、鳴子温泉の老舗旅館の女将は淡島千景、ムショに入っている弟の内縁の妻が田中裕子。
335616_100x100_007335616_100x100_016   家を出て行った徳永の父親が香川照之、その後妻が戸田菜穂。

 それぞれ出番は少ないが、存在感は確かだ。小林薫なんかワンシーンである。

 そんな中での、徳永エリの体当たりの演技が光る。「フラガール」で初めて会った若手だが、成長は著しい。

335616_100x100_004  作品の評価は高い。シナリオ段階から仲代は惚れ込んだ。「生きる事に貪欲な老人」を見事に演じきった。ある評論家は、邦画今年前半ではベスト1とする。

 久し振りに涙した。仲代の演じた老人の立場に、より近づきつつあるからだろう。
 

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