« March 2011 | Main | May 2011 »

April 30, 2011

1798.戦火のナージャ

011_640  「黒い瞳」('87)の巨匠ニキータ・ミハルコフ監督が撮った、「太陽に灼かれて」('94)の続編。

 16年前に製作された前編は、古いロシアへの郷愁を切り裂かれた男女の切ない愛で描いたノスタルジック・ラブストーリー。
 アカデミー賞外国語映画賞や、カンヌ国際映画祭グランプリを受賞した名作だった。

51mnrrpqm9l__sl160_  監督自らも6歳の娘ナージャと共演、その微笑ましいシーンは今も印象に残っている。

 そのナージャが今回はヒロイン。ロシア革命の英雄でありながら、スターリンに粛清された父親の面影を追う。
 その父親は今回もミハルコフ監督が演じているが、処刑を逃れ一兵卒として独ソ戦争に従軍しているという設定。
 ナージャの母親の恋人で、父親を逮捕し収容所に送ったKGBの幹部(オルグ・メンシコフ)が、その秘密に迫るというストーリー。

338721_100x100_006  数千万人という犠牲者を出した独ソ戦の攻防を、圧倒的な臨場感でリアルに描いているが、その苛烈な戦闘シーンの間に語られる詩的な感性に満ちた自然描写は、ミハルコフ監督ならではのものである。

338721_100x100_004  「衝撃シーン」と「爆笑シーン」のモンタージュも、彼の得意とするところ。
 スターリン体制を笑い飛ばしながら、痛烈に批判する。

338721_100x100_003  ラストシーンは、瀕死の童貞少年兵の願いで裸体をさらす、看護兵ナージャ・ミハルコフの長い長いカット。
 6歳の幼児も、美しい女に成長した。

338721_100x100_002  原題は「太陽に灼かれて・2(EXODUS)」。すでに撮影が開始されている第3部は、「THE CITADEL」、日本ではどんなタイトルが付けられるだろうか。

 歴史に翻弄された父と娘の過酷な運命を、壮大なスケールで描くニキータ・ミハルコフの3部作。「戦火のナージャ」はその第2部である。

 映画の冒頭で、今回の大震災に対してのミハルコフからのメッセージが流れる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 28, 2011

1797.躑躅・つつじ・ツツジ

110426_126_640_2110426_086_640_2110426_058_640_2   
 左から「皇居東御苑・二の丸庭園」「六義園」「「根津権現」。

 都内にあるツツジの名所三ヶ所を巡った。
 来月上旬までが盛りである。

110426_143_640110426_139_640110426_137_640110426_121_640
 「二の丸庭園」は、1630(寛永7)年3代将軍家光が築いた江戸城最初の庭園。
 家光は、ここで隠居した秀忠と茶会を行っている。

 現在の姿になったのは、43年前。9代将軍家重の時代の庭絵図面をもとに、池泉回遊式庭園を復元した。

110426_093_640110426_084_640110426_082_640110426_092_640
 「六義園」は、川越藩主・柳沢吉保が1702(元禄15)年に自ら設計した回遊式築山泉水庭園。

 5代将軍綱吉の側近を務めた吉保は老中・甲府藩主にまで出世したが、将軍の没後は失脚しこの六義園に蟄居した。

110426_004_640110426_006_640_2110426_028_640_2110426_057_640_2
 「根津権現」は、もともと甲府宰相松平綱重の屋敷地。
 後に6代将軍家宣となる綱豊はここで生まれた。

 綱豊が5代将軍の養嗣子となり江戸城西の丸に移ったあと、この地の産土神が祀られて根津神社となった。
 来月5日まで、「つつじ祭り」が開催されている。

110426_038_640110426_042_640110426_033_640
 初夏を彩る「つつじ」の数々。
 左から「オオムラサキ」「キレンゲ」「トコナツ」。

110426_024_640110426_035_640110426_032_640
 「ゴヨウツツジ」「「アケボノ」「ヒノデノクモ」など、今回目にした「つつじ」だけでも10種以上だが、世界では500を超えるという。

110426_061_640 今回「つつじを愛でる、ひとりウオーキング」の行程は、以下の通り。
 月島~門前仲町~大手町・・・「皇居東御苑」・・・平川門・・・白山通り・・・不忍通り・・・「六義園」・・・本郷通り・・・日本医大通り・・・「根津権現」・・・根津~日比谷~月島
 (~地下鉄、・・・ウオーキング。昼食・休憩入れて5時間、18892歩) 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 26, 2011

1796.サラエボ、希望の街角

010_640  ボスニア紛争で敵兵にレイプされて生まれた子供、その母としての愛を描いた「サラエボの花」('06)はベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した。

 監督のヤスミラ・ジュバニッチは、1974年サラエボ生まれ。紛争中は多感な10代の少女だった。
 この映画は、彼女の第2作。紛争終結から15年、現在のサラエボの街角を舞台にした作品である。

338130_100x100_003  ヒロインは、クロアチの舞台俳優ズリンカ・ツヴィテシッチが扮する客室乗務員。
 ボスニア紛争で両親を虐殺された彼女は、同棲している恋人と愛の結晶作りに奮闘中。

 彼氏は、戦争の後遺症でアル中になった航空管制官。こちらもクロアチアの人気俳優でプロダクション経営者の、レオン・ルチェフが演ずる。
 その管制官、酒の失敗で停職中だが紛争時代の戦友に勧誘されて、イスラム原理主義に傾注していく。

338130_100x100_005   なかなか妊娠できない彼女、信仰にのめり込み彼女の気持ちを受け入れられない彼。その溝は広がっていく・・・・。

 かってのサラエボ、イスラム・セルビア正教・カトリックなど、異なる民族と宗教がおおらかに共存していた自由の街だった。
 しかし今、人々の間からかってのような寛容性が失われ、不和が深まっていく。
 二人の間から「希望の街角」は失われていくのか。ジュバニッチ監督は、女性らしい繊細な目で描いていく。

338130_100x100_002338130_100x100_001_2  ヒロインを演じたズリンカは、歌手・ダンサーとしても活躍しているクロアチアの看板女優。
 イキイキとした表情、可愛く魅力的な女性である。
 女流監督は、彼女の中に己を信じて前向きに生きていく「女性の強さ」を見せた。

 ボスニア・ヘルツエゴヴィナ、クロアチア、ドイツ、オーストリアの合作。言語もボスニア語・クロアチア語・セルビア語が飛び交う。

 2月中旬から「岩波ホール」で公開されていた作品だが、2ヶ月遅れて「銀座シネパトス」で上映されるようになった。
 岩波ではシニア料金1500円だが、こちらは1000円。それに自転車で出かけられるので、地下鉄代も不要。
 ただし、劇場の下を走る日比谷線の騒音は覚悟しなければならない。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

April 24, 2011

1795.ザ・ライト

009_640  見終わった今もまだ「マユにツバ」をつけているが、「これはオカルト・ホラーの類いではない、真実の物語」と製作者はアッピールする。
 事実日本での上映に際し、「カトリック中央協議会」はこの作品を推薦している。

 「エクソシストの真実」と副題にあるので、40年ほど前にヒットしたホラー映画「エクソシスト」の同類と勘違いするが、衝撃度は異なる。

338794_01_06_03 エクソシストとは、ローマ・カソリックの司祭の役職のひとつで、バチカン公認の「悪魔払い儀式」を行う人を指す。
 バチカン大学の養成講座を受け、一定の資格が与えられるのだ。

 この映画では、アメリカ在住14人のエクソシストのひとり、シカゴ近郊に住む司祭がエクソシストになるまでの「衝撃の真実」が語られる。

 信仰を見失いかけていたアメリカの若い神学生、恩師に薦められてバチカンで講座を受ける。そしてイタリアでも一流といわれるエクソシストの神父のもとで、実習を受ける。
 それまで、悪魔の存在に疑問を持っていた青年がそこで目にした真実とは・・・・。

338794_100x100_001 伝説のエクソシストを演じるのは、オスカー俳優アンソニー・ホプキンス。あの「ハンニバル」レクター博士の魅力を、再現する。
 憑依した少女への悪魔祓い、自ら悪魔に取り付かれてしまった苦しみを、迫真の演技で見せる。

 悪魔の存在を納得する事で、神への信仰を深めていく若い神父は、アイルランド出身の若手俳優コリン・オドノヒュー。
 彼を助ける女性ジャーナリストにブラジル出身のアリーシー・ブラガ(「プレデターズ」'10)、青年の父親はベテランのルドガーハウアー(「ブレードランナー」'07)という配役。
 監督はスエーデン出身のミカエル・ハフストローム(「1408号室」'07)。

338794_100x100_002  昨秋、アメリカでは多くの市民から「悪魔祓い」の要求が出たため、急遽カトリック司祭たちが召集されたと、ニューヨーク・タイムスが伝えている。
 イタリアでも悪魔に憑依されたという市民が増え、バチカンはエクソシストを増やした。
 彼等は、無報酬で信者達を訪ね、「悪魔祓い」の儀式を続けているという。

 人知の及ばない世界、想像を超える悲劇が続く世界。
 3月下旬にに公開される予定だった「ザ・ライト~エクソシストの真実」は、1カ月遅れて今上映されている。 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 22, 2011

1794.新緑の江ノ島を巡る

110420_009_640110420_013_640110420_011_640_3
 片瀬海岸と2本の橋で結ばれた「江ノ島」。
 島の湧出から数えて1450年、それを記念に作られた「龍灯篭」に迎えられて「弁天橋」を渡る。

 久し振りの「ひとまくウオーキング」は、江ノ島周遊。幹事の友人でもあるボランティア・ガイドの案内で、穏やかな海風を浴びながら4時間のウオーキングを楽しんだ。

110420_016_640_2110420_020_640_2  島の入り口に建つ青銅の鳥居。
 「弁財天と五頭龍」の伝説がある江の島は、古くから信仰を集めてきた聖なる地だった。

 現在は旅館として残る「岩本楼」(岩本院)は江島神社の総別当で、江戸のころは勅使や将軍、大名の本陣として利用された所である。

110420_037_640110420_028_640    江島神社は、三つの「宮」から成り立つ。
 最初の「辺津宮」は、1206(建永元)年に将軍・源実朝に請願して建てられた。
 海の守護神である田寸津比賣命(タギツヒメノミコト)が祭神。

Eten18  この地で最も信仰を集めたのが、宮島・竹生島と並ぶ日本三大弁財天の「八臂弁財天」と「妙音弁財天」。
 とくに妙音は「裸弁天」とも呼ばれ、江戸時代には芸能・音曲上達祈願のため多くの人たちに崇められた。
110420_038_640  旧像は、弘法大師が島の岩屋で参篭中に彫ったものと伝えられているが、こちらは室町初期の作品。

 インド由来のこの神は、観世音の化身とも市寸島賣命(イチキシマヒメノミコト)のお姿とも言われている。

 法隆寺夢殿を模した奉安殿に祭られている裸弁天は、7年前に塗り替えられたためか艶かしい姿で琵琶を奏でていた。

110420_047_640110420_050_640  辺津宮から10分、「中津宮」はその市寸島比賣命が祭神。853(仁寿3)年創建と伝えられる。
 境内には、江戸歌舞伎中村座や市村座から寄進された石灯籠などが並ぶ。

 そういえば歌舞伎「白波五人男」の弁天小僧菊之助は、この江の島・岩本院の稚児出身。
 「知らざあ言って聞かせやしょう。・・・・・以前を言やあ江の島で年季勤めの稚児ヶ淵・・・、岩本院で講中の枕探しも度重なり、とうとう島を追い出され・・・・弁天小僧菊之助たァ俺がことさ」

110420_049_640 東京オリンピックでヨットレースの会場となった「江の島ヨットハーバー」を眼下に眺めながら、参道を歩くと「奥津宮」に着く。

110420_088_640_3110420_090_640_2   ここは江島神社のもと本宮。お旅所とも言われ、夏には岩屋のご本尊が避暑に参る。

 多紀理比賣命(タギリヒメノミコト)が祭神で、神門の天井に描かれた「八方睨みの亀」が有名。
 どこから見てもこちらを睨むこの絵は、江戸琳派の画家、酒井抱一の作品。

110420_070_640110420_069_640 島の南側は、相模湾を臨んで岩壁が続く。
 悲恋物語や歌舞伎に登場する「稚児ケ淵」を抜けて到着したのは、「江の島岩屋」。

49  広重の「名所図会」にも描かれている岩屋は、長い歳月をかけて波の浸食によって穿かれた洞窟。

110420_115_640110420_110_640_2  奥行き152mと56mの二つの岩屋は江の島信仰の源で、弘法大師や慈覚上人など多くの名僧が参篭したという。
 
 この奥は富士山の人穴に通じていると伝えられ、頼朝も追われてここから鎌倉へと逃れたそうだ。

110420_082_640_3110420_083_640110420_098_640_2
 最後の江の島の見どころをいくつか。

110420_075_640  島の中央にある展望灯台は高さ60m海抜120メートル。
 南に大島、西に富士、東に三浦半島を望む観光スポット。

 周囲は、イギリスの商人サムエル・コッキングが明治時代に開いた大庭園。現在は国際交流をテーマにした藤沢市の敷地。

110420_092_640  さらにその先には「龍恋の鐘」。江島縁起「天女と五頭龍」に因んで作られたもので、「鐘を鳴らせば恋が実る」といわれるカップルたちへのサービス・スポット。
 「ひとまくウオーキング」のメンバーは、誰も撞かなかった。

 ドアtoドアで、12506歩。富士山は微かだったが、お天気に恵まれた一日。   

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 20, 2011

1793.四月大歌舞伎

Shinbashi201104b_2  歌舞伎フアンは高齢者が多いので、大震災以降の新橋演舞場は空席が目立つという。
 少しでも座を賑わせてほしいと、松竹の友人から招待券を貰ったので久方ぶりの芝居見物である。

 4月夜の部、最初の演目は義太夫狂言「絵本太功記(えほんたいこうき)~尼ヶ崎閑居の場」、通称・太十。
 近松門左衛門一門の柳・湖水軒・千葉軒ほかの合作による狂言で、1800(寛政12)年大坂・角の芝居にて初演された。

 絵本「太功記」のうち、明智光秀の謀反から滅亡までの13日間を、十三段に分けて脚色した人形浄瑠璃と歌舞伎で、現在ではその10日目の事件を題材にした「尼ヶ崎閑居」だけが上演されている。通称の「太十」とは、功記段目の略のこと。
 幕府の命令で登場人物は仮名だが、すぐ判るのが面白い。

 謀反人となった子と夫を持つ身を嘆く、光秀の母・皐月(片岡秀太郎)と操(中村魁春)。
 旅僧に変装して光秀の閑居に潜り込んだ久吉=秀吉(尾上菊五郎)を、討ち取ろうとした光秀(市川団十郎)は、誤って母・皐月を竹槍で刺してしまう。
 そこへ戦いに敗れた、瀕死の息子・十次郎(中村時蔵)が逃げてくる。迎える許婚・初菊(尾上菊之助)追う佐藤正清=加藤清正(坂東三津五郎)と、登場する役者は豪華な顔合せ。

 母と子の死に剛毅な光秀が、顔を扇子で隠して男泣きするところも見どころのひとつだが、わき腹を竹槍で刺されながらも光秀を諌める母・皐月と操のクドキが、義太夫狂言らしい女方の芸を見せる。

 二つ目の演目は舞踏劇「男女道成寺」。
 熊野詣の僧・安珍を追った清姫が、蛇体となって道成寺の鐘に巻き焼き殺したという「道成寺縁起」の物語。
 本名題は「京鹿子娘道成寺」、その後日談として幾つかのバリエーションがある。女の情念を様々な姿態で見せていく。

 「奴道成寺」「二人道成寺」が有名だが、今回は「男女(めおと)」。
 白拍子・桜子実は狂言師左近(尾上松緑)と白拍子・花子(尾上菊之助)が、華やかな踊りを見せる。

 一時間を超える踊りである。いつもは脇役の「所化」(見習い坊主)たちが、ストーリーの展開にそって表舞台で踊る。
 坂東亀三郎・亀寿兄弟、中村梅枝・萬太郎兄弟、中村種太郎、隼人ら若手役者が頑張る。

 藤間流家元・勘右衛門こと松緑はもちろん、菊之助も「娘道成寺」の花子は持役、舞いは美しく優雅である。
 バックを長唄囃子連中と常磐津連中と、珍しい二組の掛け合い。その曲にのって華やかな舞台を、たっぷりと見せてくれた。

 余談だが、藤間流の名取りである故郷の高校同級生と、今月初めに久し振りに会った。彼女は勘右衛門(松緑)一門による国立劇場での舞いの会へ出演するための上京だった。
 松緑の舞いを楽しみながら、その縁に思いを馳せた。

 最後の演目は「権三と助十(ごんざとすけじゅう)」。岡本綺堂の名作と言われる、新歌舞伎である。

 神田本町六郎兵衛長屋。
 父の冤罪を晴らすため、上方からやってきた彦三郎(中村梅枝)。南町奉行所への取次ぎを苦心した、家主の六郎兵衛(市川左團次)のアイディアに乗ってしまったのが、駕篭かきの権三(坂東三津五郎)と助十(尾上松緑)。
 いろいろあったが、名奉行大岡越前守の裁きでメデタシ、メデタシというストーリー。

 大岡政談では脇に回っている駕篭かき二人を主人公にし、江戸っ子気質を描いた世話物である。
 「半七捕物帳」で知られる岡本綺堂、社会部記者出身だけに物語の背景に時代をきちんと描いている。

 この日、何回かの「余震」で演舞場もざわめいたが、無事観劇は終了した。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 18, 2011

1792.悪魔を見た

007_640008_640_2  婚約者を殺され復讐のために「悪魔」になった男、国家情報機関のエージェントはイ・ビョンホン(「グッド・バッド・ウイアード'08)。
 良心のかけらもない連続殺人鬼、正真正銘の「悪魔」はチェ・ミンスク(「オールド・ボーイ」'03)。

 眼を背けたくなるようなグロテスク・ヴァイオレンス・エロスを真正面から映像化したのが、韓流サイコ・サスペンス「悪魔を見た」である。

 パク・チャヌク監督の「オールド・ボーイ」、ポン・ジュノ監督の「殺人の記憶」('03)、ナ・ホンジン監督の「チェイサー」('08)と、韓国はクライム・サスペンス映画に傑作が多い。
 同じアジア民族ながら、草食系の日本人では描ききれない「肉食系」の作品群だ。

338461_100x100_008  韓流西部劇「グッド・バッド・ウイアード」でユーモアをたっぷり見せてくれたキム・ジウン監督が、4番手としてここに登場する。
 それは善と悪の概念すら超越した、救いようのない残酷な映画を引っさげての登場だった。

338461_100x100_001  「アイリス」('10)など甘い作品で、日本の「オバチャン」たちに多くのフアンを持つイ・ビョンホンも、今回は陰湿な「悪魔」に変身した。

338461_100x100_004  狂気を演ずるにはこの人を置いて他にいないチェ・ミンシク、さらに「純粋な悪」を見せ付けた。
 それは人間の奥底に潜む「闇」なのかもしれない。

 上映時間は144分、互いに痛めつけあう2人の精神と肉体の闘い。最後に残ったのは虚無感だけである。

 作品の主題は、以下のニーチェの言葉。
 「怪物と闘う者は自らが怪物と化さぬよう心せよ。
  お前が深淵を覗き込む時、深淵もまたお前を覗き込んでいるのだ。」

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 16, 2011

1791.SOMEWHERE

003_640 「ロスト・イン・トランスレーション」('02)でアカデミー賞脚本賞を受賞したソフィア・コッポラ監督が、少女時代に父親と過ごした記憶をベース描いた作品。

 昨年のヴェネチア国際映画祭で審査委員長を務めたクエンティン・タランティーノは「この作品は審査員全員の心を魅了した」と激賞し、満場一致で金獅子賞を授けた。

005_640   「酒に女」と自堕落な日々をおくるハリウッドのスターが、ティーンエイジャーになる一歩手前の娘と過ごすかけがえのない日々。
 「どうしてだろう、娘との時間が美しいのは」と、男は「SOMEWHRE」を探し求める。
 娘を持つ男親にとっては、切ない映画である。

004_640  舞台になったのは、ハリウッド伝説のホテル「シャトー・マーモント」(左のポスター)。
 古くはヴィヴィアン・リー、ハンフリー・ボガード、最近はジョニー・デップやスカーレット・ヨハンソンなど、数々のセレブ御用達の隠れ家として知られるクラシカル・ホテルである。
 ソフィア監督も子役として映画に出演していた頃、ここで父親と過ごした思い出の場所なのだ。

 ソフィアの父親は、ご存知のフランシス・F・コッポラ監督。「地獄の黙示録」('79)でカンヌ国際映画祭のパルム・ドール受賞、「ゴッドファーザー」('74)などで6回のオスカーを受賞した巨匠である。
 今回は製作総指揮として、息子のローマン・コッポラと製作に参加している。

337920_100x100_004_2337920_100x100_002  孤独の闇の中で退廃的な日々をおくる主人公の映画俳優に、「パブリック・エネミーズ」('09)のスティーヴン・ドーフ。
 汚れを知らない瑞々しい娘は「バベル」('06)にも登場したエル・ファニング、名子役として有名なダコタ・ファニングの妹である。

337920_100x100_005  冒頭は、砂漠の中を高級車「フェラリー」が重低音を響かせながら周回する長い長いカット。「ロスト・イン・トランスレーション」でも見せた、彼女が得意とする意味不明のシーンである。
 それを「けだるさ」と見るか「うつろい」と見るか、また「光と闇」と見るか。
 ガーリー・カルチャーを牽引してきたソフィア・コッポラが、次のステップに挑んだ傑作である。 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 14, 2011

1790.築地・佃、文明開化の跡を巡る(2)

110410_036_640_2110410_037_640110331_005_640_5110331_006_640_3     
 明石町から隅田川を渡ると、佃大橋の袂に「佃島渡船場跡」の石碑がある。

 1645(正保2)年、三代将軍家光の頃ここに渡し場が設けられた。
 以来1964(昭和39)年の佃大橋完成まで、300年以上も人々は船で行き来した。

 佃島はもともと江戸湊の河口にあった中洲。徳川家康の関東下向に従って江戸にやってきた、摂津国佃村33人の漁師が築いた島である。
 この地名物は、村の名を付けた「佃煮」。漁師たちは、白魚など江戸前の魚を獲って将軍家に献上した残りを、醤油で煮詰めて売り出した。
 現在も3軒の店が、名物を作っている。

110410_003_640110331_008_640110410_027_640110331_015_640_2   
 赤い「佃小橋」を渡ると「住吉神社」。
 摂津国から分社したこの神社は、3年に一度の大祭で有名である。
 今年がその本祭りの年、毎回神輿を担いできたが今夏はどうなるのだろうか。天保からの「八角神輿」が、今年新しく作り直されただけに気がかりである。
 浅草三社祭りは中止となったようだが。

 佃島の隣の島が「石川島」。江戸時代の初期、御船手頭の石川八左衛門が拝領し、子孫が代々居住した。
 1791(寛政3)年、火付盗賊改め方・鬼の平蔵の建言によって人足寄場が設けられる。無宿人らを収容して、様々な技術を習得させた。
 島の入り口にある「常夜灯跡」は、その名残である。

 江戸末期になると、石川島は洋式造船所となる。幕府が水戸藩に命じて作らせたもので日本最初の軍艦「旭日丸」は、ここで建造された。

110331_012_640_2110410_002_640_2110410_024_640_2110410_022_640    
 明治に入り、造船所は民間に払い下げとなり「石川島重工」が誕生、1979(昭和54)年には全工場が豊洲に移転した。

 工場跡地に誕生したのが、「大川端リバーシティ」。およそ10年かけて高層マンションが建てられ、4000世帯1万人が住むリバーサイドの街となった。
 隅田川では最も新しい「中央大橋」も完成し、東京駅八重洲通りと結ばれる。この橋の中央からは、川向こうにスカイツリーを望む。

110331_018_640110331_002_640110331_003_640110331_004_640
 リバーサイドにある「パリ広場」から越中島への「相生橋」に。

 そして佃散策は、終点・月島の「西仲通り」通称もんじゃストリートへ。
 グルメの会場は、倉庫レストラン「スペインクラブ」を予定していた。 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 13, 2011

1789.築地・佃、文明開化の跡を巡る(1)

 大震災に配慮して自粛しているわけではないが、「節電」や「計画停電」で交通の混乱が予想されるため中止となったイベントが多い。
 「ひとまく会」でも恒例の「鎌倉ウオーキング」、世話人の依頼で私が企画した「散策&グルメの会」は取りやめた。

 この企画は「築地・佃、文明開化の跡を巡る。グルメはスペイン料理フルコース」と銘打ったもの。
 桜も満開なので、予定していた散策コースと見どころを2回にわたって紹介しよう。

110331_052_640_2110101_047_640110331_041_640110331_042_640
 集合場所は「築地本願寺」境内。
 1679(延宝7)年、日本橋・横山町にあった京都本願寺の別院が埋立地の築地に移った。明暦の大火で焼け出されたからである。

 現在の古代インド様式の建物は、関東大震災後建てられたもの。境内には琳派の画家・酒井抱一の墓や、赤穂浪士・間新六の供養塔がある。

 本願寺の裏手は旧築地川南支川。首都高速道路建設のため1960年から本川から埋め立てが始まり、10年後には支川も無くなった。
 埋め立てられた跡地は「築地川公園」。三島由紀夫の「橋づくし」に登場する「暁橋」は、端名板だけが残っている。

110101_040_640110331_038_640_3110331_037_640110331_030_640
 築地川公園を抜け明石町に入ると、右手に「聖路加看護大学・国際病院」が見える。
 この一帯は、明治の初めに外国人居留地となった場所。「文明開化」はここから始まった。

 もともとこの地は、赤穂藩浅野家の上屋敷。内匠頭刃傷でお家断絶後は、松平周防守と水野伊勢守の中屋敷になった。
 居留地が出来ると、中屋敷跡は外国人に牛乳を売るため牧場・耕牧舎となる。文豪・芥川龍之介は牧場主の長男としてここで生まれた。

 現在の聖路加国際病院が建てられたのは、1933(昭和8)年。病院敷地の奥にある「トイスラー記念館」は、病院付属の宣教師館である。

110331_027_640110331_025_640110331_029_640110331_036_640_2
 病院と道を挟んで「蘭学事始・慶応義塾発祥の地」の記念碑。
 ここは豊前中津藩奥平家の中屋敷があった所。
 中津藩医・前野良沢は杉田玄白と刑死人の腑分けを行い、この屋敷で「解体新書」を完成させた。
 また藩士・福沢諭吉は、1858(安政5)年慶応義塾の前身・蘭学塾を藩邸に開いた。

 居留地だった明石町界隈には、多くのミッション系学校の発祥の地がある。
 「女子学院」「明治学院大学」「青山学院大学」「女子聖学院」「立教女学院」「暁星学園」「立教大学」「関東学院大学」「双葉」など、周辺には記念碑が残っている。
 海外から来日した宣教師たちは塾を開き、1873(明治6)年キリスト教禁制が解かれると、日本人の子弟を入学させた。

110331_024_640110331_023_640110331_031_640110331_049_640
 東京最古のカソリック教会「築地聖堂」、明治期の「ガス街燈柱」、「アメリカ公使館跡」、「東京税関発祥の地」、横浜居留地と電信で結んだ「日本電信創業の地」など明石町界隈には、文明開化の跡が多い。   (続く)

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 11, 2011

1788.ザ・ファイター

001_640  アメリカ人は「ボクシング映画」が好きだ。そこに「アメリカン・ドリーム」を見るからだろう。
 古くは「ロッキー」そして「アリ」、「ミリオンダラー・ベイビー」は作品賞・監督賞・主演女優賞などオスカー4冠を獲った。

 「ザ・ファイター」もその系列の作品。作品賞、監督賞などアカデミー賞6部門(助演女優賞はダブル)にノミネイトされ、助演男優賞・助演女優賞を受賞した。

338580_100x100_011_3  実在する伝説のプロボクサー兄弟とその一家、家族愛とリングでの熱い闘いの物語である。

 「アイルランドの稲妻」と呼ばれたミッキー・ウオード、1965年にアイルランド移民の貧しい家庭に生まれる。
 '85年プロデビュー14連勝、一時期引退したが'94年再起9連勝して世界チャンピオンに。
 '02年元世界王者アルツロ・ガッティとの3連戦は、今も語り草になっている。

338580_01_01_03  一方兄のディッキー・エクランド、天才ボクサーと呼ばれたが引退後はヤク中の厄介者。警官暴行罪などでムショ暮らし。
 出所後、弟のスパーリング・パートナーを務め、彼を世界チャンピオンにした。

338580_100x100_002_2  ミッキーに扮したのは「デイバーテッド」('06)のマーク・ウォールバーグ、2年間体を鍛えて撮影に備えた。
 兄のクリスチャンは、「ダークナイト」('08)でバットマンを演じたクリスチャン・ベイル。13k減量、髪を抜いて歯並びを変えての役作り、見事な演技でカデミー賞助演男優賞を受賞したのだ。

338580_100x100_007  もう一人 、一家のゴッドマザーのメリッサ・レオ、「フローリンズ・リバー」('08)の名演技でアカデミー賞にノミネイトされたが、今回は見事助演女優賞を受賞した。
 そしてミッキーの恋人役がエイミー・アダムス(「ジュリー&ジュリア」'09)、メリッサと並んで助演女優賞にノミネイトされていた。

338580_100x100_006  監督のデヴィッド・O・ラッセル(「スリー・キングス」'06)は、関係者がまだ健在だという事実を生かして映画にリアリティーを持たした。

 兄のディッキーが「ダウンさせた」と自慢するアメリカボクシング界のスター、シュガー・レイ・レナードをはじめ、ミッキーのトレーナー役オキーフ、ミッキーの姉妹たちが本人役で出演しているのだ。

 そしてトップとラスト、ご本人2人が登場して「これは素晴らしい映画だ!」とアッピールする。
 映画での2人も実在の2人も、まさに愛すべき兄弟だった。 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 09, 2011

1787.アメイジング・グレイス

006_640  イギリスの牧師ジョン・ニュートンが詩を綴った、ゴスペルの名曲「アメイジング・グレイス」。
 元奴隷貿易船の船長だったニュートンは、黒人達への深い悔恨と罪を赦した神への愛をこの詩に込めた。

 ジュディ・コリンズやジョーン・バエズの歌で知られる「アメイジング・グレイス」は、日本でも綾戸智絵やさだまさし、本田美奈子の歌で馴染み深い。

338585_100x100_005  この作品は、「アメイジング・グレイス」の歌を支えに「奴隷解放運動」に一生を捧げた、18世紀末のイギリスの政治家ウイリアム・ウイルバーフォースの伝記ドラマである。

 ウイルバーフォース、裕福な貿易商人の家に生まれ21歳で下院議員になる。福音主義の感化を受け宣教師の道を目指したが、師でもあるジョン・ニュートン牧師の強い勧めで政治家の道を歩んだ。

338585_01_03_03  ケンブリッジ大学の友人ウイリアム・ピットも同じ年に下院議員に当選したが、3年後彼はイギリス史上最年少の首相に就任する。
 ウイルバーフォースは彼のブレーンとして議会で弁舌を奮い、ピットの思いを汲んで奴隷解放運動を組織化していく。

338585_100x100_004
 映画は無謀とも思える戦いに立ち上がった若き政治家と、彼の人生観に共鳴した恋人、師と友人たちとの強い絆を名曲とともに描いていく。

 出演は、ウイルバーフォースに「ブッシュ」('08)でブレア首相を演じたヨアン・グリフィズ、恋人そして一生の伴侶に「つぐない」('07)のロモーラ・ガイ、ピット首相をベネディクト・カンバーバッチ(「ブーリン家の姉妹」'08)、ジョン・ニュートンニアルバート・フイニー(「ボーン・アルティメイタム」'07)とイギリスの名優達が並ぶ。

 監督はテレビ・ドキュメンタリー出身で、「愛は霧にかなたに」('88)でアカデミー賞5部門にノミネイトされたこともある、マイケル・アプテッドが務めた。

 5年前に製作されたこの作品は地味なせいか、日本での上映は見送られていた。しかしこの映画は、イギリスだけでなく欧米の近代史の背景を知る上で大いに参考になる。

 ウイルバーフォースが下院議員になった頃は、産業革命時代のイギリス。
 国の財政は奴隷を媒介とする三角貿易で支えられ、独立宣言したアメリカとの戦費はそこから得ていた。
 議会は、ホイッグ党(自由党の前身)とトリー党(保守党の前身)が競い合う。

 彼が「奴隷解放運動」に乗り出した時、フランス革命が起こる。さらに対仏戦争。
 彼は議会で政敵に、「親アメリカ」「革命派」と誹謗される。
 さらに「奴隷貿易」は、イギリス・フランス・アメリカとそれぞれの植民地政策の思惑の中で展開していく。

338585_100x100_012_3  彼が初めて「奴隷貿易禁止法」を下院に提出したのが1791年。この時は88対163で否決された。貴族やカリブ海諸島に大農園を経営する資本家など保守派が、反対した。

 法案は91年,'92年、'93年、'95年、'96年と毎回否決される。ウイルバーフォースは戦略を変え、署名活動など大衆運動を背景に個々に貴族たちを説得しした。

 法案が再上提されたのが1807年。貴族院(上院)で41対20、下院では283対16の圧倒的多数で可決されるのである。
 さらにイギリスの奴隷制度そのものが廃止されたのは、彼の死の直後1833年だった。

 ウエストミンスター大聖堂の中、彼は47歳の若さで亡くなった盟友ピットの隣に葬られている。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 07, 2011

1786.桜・さくら・サクラ

110407_053_640

110407_055_640110407_058_640110407_057_640
 靖国神社の桜が満開とのニュース。
 昨年は千鳥ヶ淵や北の丸公園に出かけたので、今年は深川界隈の桜を愛でることにした。

 スカイツリーを望むこの地は、小名木川と大横川が十文字に交わる江東区・白河の扇橋。
 最近愛読している時代小説の「現場」。400年前に家康の命で開削されたこの川は、墨田川から旧中川までの4.6キロ、上総から江戸に塩や米を運んだ水路である。

110407_060_640110407_070_640110407_073_640
 大横川沿いに南に下ると仙台堀川を挟んで木場公園がある。
 江戸から昭和までここは材木集散地、新木場にそれが移転した跡は都立公園になった。

110407_029_640110407_039_640110407_036_640
 仙台堀を運河沿いに西に向うと、紀伊国屋文左衛門の屋敷跡、清澄公園。
 今日は入学式、生徒達が桜の下で祈っていた。
 この先は、仙台・伊達藩の下屋敷の在った場所。水路の名はここからきた。

110407_013_640110407_016_640110407_010_640
 仙台堀から南へ大島川を下ると、大横川の河口に。
 ここは越中島との境界。江東区・牡丹と洒落た名の街。
 「深川 ・桜散策」は、暖かい日差しを浴びての2時間コース。

110407_022_640110407_066_640110407_033_640   

 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 05, 2011

1785.ショパン~愛と哀しみの旋律

_640_2  「夜想曲」や「ピアノ協奏曲」で私たちにもなじみ深い、「ピアノの詩人」ショパン。
 その39年という短い人生を描いた伝記映画である。

 ここ数年「アマデウス」のモーツアルトや「不滅の恋」のベートーベンと、楽聖たちを描いた映画のいくつかが公開された。
 しかしショパンについては、私の知る限り今回が初めてだった。

338360_01_02_03  ポーランドからパリに亡命し、肺結核という業病に侵されながら至高の名曲を次々に生み出していったショパン。
 恋多き女流作家ジョルジュ・サンドとの運命的な愛と別れが、その名曲にのって綴られていく。

Pic_intro_01  フランスの人気作家サンドが、6歳年下のショパンのパトロン兼愛人になったのは34歳の時だった。
 当時別れた夫との間に、15歳の息子と10歳の娘を持っていた。
 以来8年間、ショパンと共に4人の生活が続く。

 ショパンの伝記映画ではあるが、主に描かれるのはサンド一家の家庭崩壊である。
 母の愛をショパンに奪われた息子の嫉妬、思春期になった娘は母からショパンを奪おうとする。
 このドロドロとした人間関係の中から、ロマンチックな名曲が生まれていくという哀しみ。作品の副題が、それを語る。

Pic_intro_03  この作品、日本では今年3月に初公開されたが、9年前にポーランドで製作された旧い映画である。
 昨年が「ショパン生誕200年」という事で、日本の配給会社が買った英語吹替え版なのだ。

 だからイエジ・アントチャク監督も、ショパン役のピョートル・アダムチクもなじみがない。
 ただジョルジュ・サンドを演じたダヌタ・ステンカは、「カティンの森」('07)で見た女優だった。

338360_01_04_03 しかし日本の観客に対しての「売り物」はある。
 作品に登場する「革命のエチュード」や「英雄ポロネーズ」、「ピアノ協奏曲」「幻想即興曲」など20曲のショパンの作品は、日本の若手ピアニスト横山幸雄やポーランドのヤーヌシェ・オレイニチャクらが演奏している。
 オレイニチャクは、映画「戦場のピアニスト」のサンドラ演奏者として日本でもフアンが多いし、チェロのヨーヨー・マも演奏に加わっている。

 ワルシャ・パリ・マヨルカ島と、ショパンゆかりの地でのロケが美しい。 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 03, 2011

1784.SP革命編

007_640  大震災の翌日に公開された映画。現在も一応興行成績はトップを維持している。
 フジテレビジョンと東宝の作戦通りだが、節電による上映時間の繰上げなどで、前作の「野望編」ほど観客の数は多くないという。

336792_100x100_003  「SPとはセキュリティー・ポリスの略。警視庁警備部警護課に属し、要人警護のみを担当する。35年前に、アメリカ財務省のシークレット・サービスを手本に創設された。」と、ブログ1697号('10.11.17)で紹介した。

 柔剣道・空手の有段者、一定以上の身長など採用基準は厳しい。鍛えているので筋肉質でスマート、多くがハンサム・美人でかっこいい。

336791_100x100_008_2336792_01_02_03_3  映画もまた、格闘技の師範免許を持つ岡田准一や空手を身につけた真木よう子など、スポーツマンのイケメンや美女がSPに扮して技を見せる。

 ストーリーは、官房長官が狙われた前編(「SP野望編」)から2ヵ月後という設定。
 国会議事堂・衆議院本会議場を議員ごと占拠したテロ集団に対し、主人公たち4人のSPが闘うというもの。
336792_01_01_03  彼等の上司である係長(堤真一)がそのリーダーだったことから、複雑な展開を見せる。

 もともとはフジテレビのドラマ・シリーズ。原案・脚本の金城一紀と演出の波多野貴文が、そのままコンビを組んで映画2部作へと話を展開する。
 フジテレビではスペシャル「革命前夜」を映画公開に先立って放送したが、この番組を見ていない人は映画の流れが判りにくいかもしれない。

Wallpaper04_1024_768  「野望編」は都内を転々として話が進んだが、今回は大半が国会議事堂内。

 外観は撮影出来ても、国会内でのロケは不可能である。そこでスタッフは、東宝撮影所の最大級のスタジオに衆議院本会議場のセットを組んだ。
 実物のおよそ半分、だからエキストラの議員も100人ぐらいが議場に座る。
 そして名古屋市役所の廊下、滋賀県庁の地下、国立科学博物館の広場などを撮って、VFX技術でセットと合成した。

 首相官邸屋上での岡田と堤の闘いのシーンも、お台場フジテレビの屋上で撮ったが、周囲の風景を霞ヶ関周辺の映像に変える事で臨場感を出す。
 日本映画のCG技術も、ハリウド並になった。
 さらに今回も、「デジタルカラー・グレーディング」をハリウッドのスタジオで行い、全体を重厚なトーンに仕上げている。

 「SP」シリーズは、今回で「運命の最終章」を迎えたと謳っているが、ラストの展開はなぜか中途半端で終わっている。
 フジテレビの亀山プロデューサー、「三匹目の泥鰌」を狙っているのか?

| | Comments (0) | TrackBack (0)

April 01, 2011

1783.ヴィジェ・ルブラン展

015_640_2  丸の内に、三菱一号館美術館がオープンしてちょうど一年になる。
 その一号館では、現在「ヴィジェ・ルブラン展」が開催中。

011_640_2  4日まで入館の招待券を貰っていたが、大震災直後からは24日までは閉館。ようやく再開したのでいそいで足を運んだ。

013_640  18世紀で最も有名なフランスの女流画家エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン(左がサンクトペテルブルグ・エルミタージュ美術館蔵の自画像)。
 画家の父親の指導のもと、10代の前半ごろすでにプロの肖像画家として活躍していた女性である。

425pxmarie_antoinette_adult4  1776年21歳で画商のルブランと結婚、彼のマネージングで貴族たちの肖像画を描き始める。
 その後、ルイ16世の王妃マリー・アントワネットにヴェルサイユ宮殿に招かれ、王妃(左の画)や子供たち、さらには王族の家族たちを描く王室専属画家となった。 

 以来アントワネットとヴィジェ・ルブランは、王妃と画家という身分を超えた友人としての信頼関係を結んだ。
          220pxmalebrun
 1793年のフランス革命によって、アントワネットがギロチンで処刑されたため彼女もパリを脱出、以来イタリア・オーストリア・ロシアと亡命生活を続けながら、ロシア女帝エカチェリーナ2世をはじめ各国の貴族たちの肖像画を書き続ける。

 10年後共和制廃止後のパリに戻り、1842年87歳で亡くなるまで画を描き続けた。
 その数は肖像画660点、風景画200点いのぼる。

012_640  「ヴィジェ・ルブラン展」は、「華麗なる宮廷を描いた女性画家たち」の副題とおり、ルブランと同時期または前後して活躍した女性画家たちの作品も展示されている。

 女性の入会に制約があった「フランス王立絵画彫刻アカデミー」に、ルブランと同時入会した終生のライバル、ラビューユ=ギアールやヴァレイエ=コステルの作品。

 当時貴婦人の嗜みのひとつだったた絵画、ケルカド伯爵夫人やラベルシュ夫人など貴族の描いた画、さらにはルイ15世王妃マリー・レクジンスカの見事な作品も並べられている。

 日本ではもちろん、祖国フランスでさえ実現された事のなかった「ヴィジェ・ルブラン展」は、5月8日まで、三菱一号館美術館で開催。観覧料は1500円。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« March 2011 | Main | May 2011 »