« August 2011 | Main | October 2011 »

September 30, 2011

1982.ハウスメイド

9_010_640 韓国映画史上に残るカルト作品「下女」('60)。故キム・ギヨン監督の名作は、ロマン・ポランスキー監督など多くの鬼才たちに影響を 与えたという。
 「ハウスメイド」は、「下女」を半世紀ぶりにリメイクした映画である。

339021_100x100_005  時代の変貌で舞台も変わる。前作は60年代の韓国に勃興してきた、中産階級のマイホームの話だった。
 今回は、超リッチなセレブ一家が舞台となる。ますます拡大する韓国の「格差社会」が、格好のテーマとなったのだ。

 主人公は、都会の片隅でしがない日々をおくるバツイチの女性。セレブ一家にハウスメイドとして雇われ、子守と家事、双子を妊娠している奥様の面倒で日々をおくっていたが・・・。
 ここからは良くある話で、ご主人の子供を妊娠してしまい、彼女も一家も破滅の道へと追い込まれていく。

339021_100x100_002  「母なる証明]('08)「息もできない」('10)など、韓国映画らしい「不快感」がじわりと纏わりつく作品である。
 しかし本物の芸術作品を並べた大邸宅のセットなど、どこかフランス映画の香りも漂う。
 そのあたりが、昨年のカンヌ国際映画祭でパルム・ドールにノミネイトされた由縁だろう。

339021_100x100_006 ヒロインを演じているのが、韓国のトップ女優チョン・ドヨン。「シークレット・サンシャイン」('07)でカンヌ・主演女優賞を受賞している。
 すでに38歳になった彼女が、裸体を惜しげなく晒し若いメイドとなる。張りのあるバストとヒップに、韓国女優の「苦労」を偲ぶ。

 ご主人は「タイフーン」('05)のイ・ジョンジェだが、メイド頭を大ベテラン女優のユン・ヨジョンが演じる。
 日本のテレビドラマ「家政婦は見た」 の市原悦子を思い出させるが、彼女は故キム・ギヨン監督の「火女」('71)で主役デビュー、現在は脚本家としても活躍している。

339021_100x100_004  監督イム・サンスは、名作のリメイクで苦労した様だが、「ますます広がる格差社会への怨念は描けた」と語る。
 極端なアングルを多用する事で、「超えることが不可能となった格差」に抗議する。

 ヒロインが全裸で見せた大火傷の痕、亡母の墓参で呟く言葉が、クライマックスへの伏線となる。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 28, 2011

1981.「蓮に魅せられて」絵画展

110927_013_640110927_004_640110927_002_640_2  日本一地価の高い東京・銀座5丁目の角、鳩居堂隣の大黒屋ギャラリーで、
「阿久根律子展~蓮に魅せられて~」が開催されている。

 阿久根さんは高校の先輩。東光会会員、日本美術家連盟会員として活躍している洋画家。
 33年前の40代のころ、それまで趣味で画いていた日本画から、突然「油絵」に転じた。
 以来、ライフワークとして描き続けてきたのが「蓮」。今回はその中から、100号10点、10~30号の小品8点を一同に展示した。

110927_014_640110927_009_640110927_011_640
 東光賞を受賞した「蓮華」、東光会会友賞を受賞した「挽歌」・・・。

 彼女が「蓮」に拘るのは、泥の中から精一杯力を出し美しい花咲かせようとする「蓮」に、自分の絵描きとしての覚悟と生き様を見出そうとしたからだという。

110927_016_640110927_022_640_3    彼女の作品については、毎年の「東光展」などこのブログで紹介してきたが、こちらは日本アルプスの「残雪」などの風景画が中心。

 はじめて並んだ「蓮」の連作は、主婦画家として知られる阿久根さんの33年を彷彿させる。

 「阿久根律子展」は、10月2日(日)まで。大黒屋銀座ギャラリーで(メトロ銀座駅A2出口すぐ)。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 27, 2011

1980.ライフ

9_008_640  「アース」「オーシャンズ」など、ネイチャー・ドキュメンタリーを得意とするBBC映画の最新版。
 世界各地のテレビでも紹介されている「自然番組」を再構成して、劇場版を作った。
 これまでに見たことのある映像が多いが、日本最大の「オーシャンスクリーン」(ユナイテドシネマ豊洲)で改めてその迫力を体験する。

339682_100x100_009  今回の作品は、生き物たちが必死に知恵を絞って命を繋いでいく姿を、オムニバスで綴ったもの。
 動物たちが子供の命を守るため、あらゆる工夫と努力を重ねる映像に感動する。

339682_100x100_008339682_100x100_001  オタマジャクシを一匹ずつ背負って、安全な樹上の水溜りに運ぶ「イチゴヤドクガエル」。
 一生に一度産卵して、子タコが生まれるまでの6ヶ月間、何も食べずに面倒みて一生を終える「ミズダコ」。

 外敵の少ない氷上で、ブリザートを防ぎながら子育てする「アナラシ」など・・・。

339682_100x100_002_5   一族を守るため、闘うオスの姿も描かれる。
 「ニホンザル」の「湯治」で有名な、長野・地獄谷。温泉で暖まれるのは、強いリーダーに引率された一族だけの特権。ほかのサルたちが、ボスに追われ、羨ましそうに温泉を眺めている事をこの映画で初めて知った。

339682_100x100_005339682_100x100_006 「カイツブリ」の求愛ダンス、「バシリスタ」の水面走行など、一秒8000コマの超スローモーション映像は楽しい。
 ジャイロ式ステディカメラやハイビジョン・マクロカメラなど、撮影機材と撮影技術の進歩がネイチャー・ドキュメンタリーを豊かにしてくれる。

 20数年ほど前、根釧原野で一年間に渡って「丹頂鶴」を追っかけた頃を思い出す。氷点下の原野に天幕を張り、カイロで16ミリカメラを暖めながら数日間篭ったこともある。
 ハイスピードカメラのフイルムは、寒さに弱く苦労した。

339682_100x100_010_2  その後フイルムはビデオにかわり、CGによる表現の多様化も進んだ。
 これまで知られなかった数々の動物の生態が、驚異の映像で紹介された。
 しかしその一方で、多くの動物たちが姿を消していく。「ニシローランドゴリラ」「コモドオオトカゲ」など、登場した動物たちもいまや「絶滅危惧種」である。

 「ライフ~いのちをつなぐ物語」日本版は、松本幸四郎と松たか子が案内人。その語りが邪魔だとの評もあったが、子供たちの理解を手助けするため、大人は我慢しよう。 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 25, 2011

1979.品川宿を歩く

110925_064_640110925_051_640110925_059_640110925_053_640
  飛脚に火消し、娼妓に飯盛女、素浪人にお大尽・・・、昨日から開かれている「しながわ宿場まつり」は、江戸の風俗行列でピークを迎える。

110925_042_640110925_047_640110925_049_640110925_043_640
  本陣跡の公園では、若い友人たちが露店を並べ、我がふるさと「南さつま」をPRしてくれた。

 ブログ1652号('1010.9.26)でも詳しく紹介したが、「しながわ宿場まつり」に協賛して、毎年「さつま・すんくじらの恵~食と酒の祭典」を開催しているのだ。
 九州西南端の隅っこ(すんくじら)にある町「南さつま」の、「地域活性化」に賛同した都会の若者たちのムーブメントである。   

110925_029_640110925_031_640 中山道の板橋宿、甲州街道の内藤新宿、奥州街道の千住宿と並んで、江戸四宿と呼ばれた品川宿。

 目黒川を堺に右が南品川宿、左が北品川宿と、湊町でもあった東海道第一の宿は、1600軒を超える旅籠や茶店、木賃宿、船宿に漁師町で賑わった。

110925_075_640_2   「品川心中」や「居残り佐平次」など落語の廓噺で知られる遊郭は、北の吉原にも匹敵する遊女を抱えていたという。
 江戸にやっと着いた旅人たち、江戸を離れ上方に向かう人、思い出にとここで精進を落とす。

 広重の「江戸百景・品川すさき」に描かれた「土蔵相模」(左下の建物)は、高杉晋作ら勤皇方の浪士たちが密かに遊んだ北品川の遊郭。
 南品川には、新撰組御用達の旅籠「釜屋」の跡が残る。

110925_018_640110925_019_640110925_023_640110925_027_640
   江戸時代より古くから栄えていた品川湊だけに、室町創建の「品川寺(ほんせんじ)」など古刹が多い。

 また目黒川をちょっと遡ったところにある「海蔵寺」は、品川宿の遊女の遺体が投げ込まれた寺。鈴が森の処刑人たちの遺骸もここに運びこまれた。
 東海道よりにある「願行寺」は、「しばられ地蔵」で有名。
 「妙国寺」には、お富と切られ与三郎の比翼塚があった。

110925_010_640110925_012_640110925_011_640110925_015_640
  沢庵和尚で有名な「東海禅寺」から、国道15号線を南に下って鮫洲方向に。

 最後に訪ねた「海晏禅寺」の本尊は、品川沖で獲れた鮫の腹から出てきた先手観音像。またの名を「鮫洲観音」とも云う。
 この寺の墓地には、幕末の開明派大名・松平春岳(越前藩主)や明治の元勲・岩倉具視が祀られていた。

 初夏から秋へ、今年は「宿場めぐり」の散策が多かった。
 「藤沢宿・ひとまくウオーキング」を皮切りに、「妻籠~奈良井宿」、「追分~軽井沢宿」、〆が「品川宿・ひとりウオーキング」。今日の歩数は、10,045歩。 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 23, 2011

1978.ペーパーバード

9_007_640  スペイン映画、この作品のタイトルは「ペーパーバード」に続いて「幸せは翼にのって」となる。
 1940年前後、スペイン内戦からフランコ軍事政権下のマドリードが舞台。二人の芸人と孤児との交流を中心に、厳しい時代を生き抜いた芸人たちの心意気が描かれる。

 主人公の3人。
 フランコ軍の空襲で愛妻と子供を失った喜劇役者(イマノル・アリアス)は、反体制派と睨まれる。
 ゲイの相棒(ルイス・オマール)は、それを心配しながら彼を頼ってきた孤児(ロジェール・プリンセブ)と3人で舞台を務める。
 失った子供の面影を孤児にみて、複雑な気持ちをいだく役者。しかし孤児の存在が、彼の心の傷を癒していく・・・・。

 337953_01_02_03 スペインは、今も芸人たちを大事にする国である。この映画を初監督したエミリオ・アラゴンは、代々続くサーカス・アーチストの家系として、国民から尊敬されている芸術家でもある。
 テレビ・ディレクターであり人気俳優、作曲家、そしてテレビ局の経営者でもある。今回は、監督だけでなく、製作・脚本・音楽も担当する。

  フランコ独裁時代を知らないエミリオは、引退していく先輩たちや父・祖父から「時代に翻弄されながらも強く生きた芸人」の話をよく聞かされていた。
 ダンサー、自転車乗り、腹話術師、犬の曲芸師・・・・、それはバタバタと翼をはばかせる「ペーパーバード」だった。

 映画のラストに登場する老いた芸人の独白、アラゴン監督の父親でスペインを代表するサーカス・アーチストのミリキ・アラゴンの切々たる語りが、「スペイン内戦」から現在にいたる歳月を思い起こさせる。

 孤児を演じたロジェールの存在が、作品に笑いと感動を呼ぶ。「永遠のこどもたち」('07)の名演技で、子役からスターになった。
 脇役ではあるが、「抱擁のかけら」('09)に出演したカルメン・マチも、ダンサー兼歌手の役で貫禄を見せる。

 モントリオール世界映画祭で、観客賞を受賞した「良質な作品」である。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 21, 2011

1977.ゴーストライター

9_005_640  「ゴーストライター」とは、著名人本人に成り代わって自叙伝などの著作を代筆する人。
 BBC政治記者出身の評論家ロバート・ハリスが、「イギリスの首相が、なぜアメリカのイラク戦争に加担し、『戦争犯罪』を犯したか」を、ゴーストライターの目を通して明らかにした作品である。

338140_100x100_003 ピアーズ・ブロスナン(「007シリーズ」)が扮する元首相は、誰が見てもブレアをイメージする。
 フィクションであっても、アメリカべったりでイギリスを戦争に巻き込んだ事実を、サスペンス映画として告発しているのである。

338140_100x100_001   ひょんなことから元首相のゴーストライターになった男、ユアン・マクレガー(「スターウオーズ・シリーズ」)が扮する主人公は、あくまでも「ゴースト」であり最後まで名前はない。
 監督ロマン・ポランスキーが、作品に込めた思いがそこにある。

 「戦場のピアニスト」('02)でアカデミー賞監督賞を受賞した時、会場でオスカーを手にしたのは「ゴースト」だった。
 '69年ロサンゼルスで、妻シャロン・テートをマンソンのカルト集団に惨殺された悲劇の主人公。'77年には少女レレイプ事件でFBIに逮捕されたが、保釈中にヨーロッパへ逃げた逃亡者。
 彼は永遠の流刑者でもある。

338140_100x100_005_3   イギリス元首相の「逃亡先」、アメリカ東海岸が映画の舞台である。しかしロケは、ドイツとフランスで行われた。
 ポランスキーが、アメリカには入国出来ないからだ。

 どんよりとした雲、風雨にさらされる浜辺、荒れる海、全編に漂う想い空気はヨーロッパそのものの風景である。
 海辺にあるモダンな別荘で、元首相にインタビューしながら自叙伝を代筆するゴーストライターの孤独は、ポランスキーの孤独そのものなのだろう。

338140_100x100_004  孤島とを結ぶカーフェリーに置き去りにされたBMW、浜辺に打ち上げられた死体のワンカット。物語はここから始まる。
 ゴーストライターでもあった殺された男の後任として、島にやってきたのが主人公であり、彼もまた「知りすぎた男」としてサスペンスの世界に迷い込んでいく。

 メディア・アカデミズム・CIAと、国際政治の中での陰謀が明らかにされて行く中で、観客も現実世界の恐怖に捉われていく。
 一級のサスペンス・エンターテインメント。昨年のベルリン国際映画祭で、最優秀監督賞(銀熊賞)を受賞したのは誰もが納得する。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 19, 2011

1976.敬老の日

028_640_3  今日は「敬老の日」。「国民の祝日に関する法律」によって、8年前から9月の第3月曜日が祝日になった。いわゆるハッピーマンデー制度である。

  面白くないのはお年寄りたち。これまで15日に祝して貰ったのに、若者向けの連休に組み込まれてしまったからだ。
  そこで政府は、老人福祉法を改正して15日を「老人の日」に定め、以後1週間を「老人福祉週間」とした。
 という事で、話はどうもややこしい。

031_320 私の住む東京・中央区は毎年人口が増え、今年9月1日現在プラス3.217人の11万9,405人となった。
 そのうち70歳以上は、1万4,103人と12%を占める。30代・40代の働き盛りの増が中心なので、老人比率は毎年若干下がる。

 働き盛りの増は、特別区民税の増収につながる。中央区はそうしたお金を、結構老人福祉に投じている。

110919_007_640110919_004_640  中央区は44年も前から、毎年70歳以上の老人に声を掛けて、「敬老大会」を開催してきた。
 会場は歌舞伎座・新橋演舞場・明治座と区内にある三つの大劇場が、順繰りに借り切られる。

 今年の会場は新橋演舞場、大劇場だが出席者が8000人を超えるので、6回に別けての開催となる。中央区にとっても大イベントなのだ。

 敬老大会といっても、出席者の目的は「観劇」。区長や老人クラブの代表の挨拶もそこそこに、「秀山祭九月大歌舞伎・昼の部」の幕が切って落とされた。

110919_640  「秀山」とは、初代中村吉右衛門の俳名。二代目吉右衛門を中心に、播磨屋一門が総出演する9月恒例の歌舞伎である。
 特に今年は、歌昇改め三代目中村又五郎、種太郎改め四代目中村歌昇の親子襲名披露とあって、会場は70歳以上の老人だけで埋め尽くされた。

 普段なら桟敷席1万6000円~3階B席3,000円と観覧料がかかるが、今日は全て招待だからたまらない。
 1万円以上する一階席は、前列を車椅子の方々が占め、あとは80代以上の席。2階席が70代後半、3階席は70代前半と、抽選で決められる。
 私など「若者」は、当然ながら3階最後列だった。

110919_009_640110919_010_640  演目は四つ。
 まず襲名披露の幕開けを祝って、染五郎・歌昇の「舌出三番叟」。祝儀舞踊である。
 続いて藤十郎の忠兵衛、福助の梅川による「恋飛脚大和往来・新口村」と、人形浄瑠璃で有名な義太夫狂言。
 歌六の名演技が光る。

 幕間には、中央区からお茶と「幕の内弁当」が配られる。これが楽しみで出かけてくると、あるお年寄りに話しかけられた。

 三本目は、「菅原伝授手習鑑・寺子屋」。
 初代吉右衛門が得意としてきた松王丸を二代目が、流罪となった菅丞相の子供を守る武部源蔵を又五郎が演ずる。
 最後は「勢獅子」。江戸の風俗を織り込みながら、常磐津に乗って舞い納める。
 出演は、梅玉・松緑・歌昇・歌江・松江など若手中心。

110919_012_640_2  「敬老の日」のお祝いは、「歌舞伎招待」だけではない。区内3箇所の敬老会館では、落語や講談の催しも開かれる。
 私の住む「いきいき勝どき」では、金原亭馬生と落語界の大御所の噺が披露され、児童館の子供たちからプレゼントを貰った。

 プレゼントといえば、中央区から「敬老買物券」が届いた。70~74歳が3,000円、75~98歳8.000円、99歳~2万円、そして米寿・喜寿の方は5.000円の「お寿司券」がプラスされる。
 さらに町内会からは、2,000円のお小遣いとお赤飯が届く。

 昨年も、都内の他の区や市町村の状況を調べてみたが、どうも中央区だけが別格のようだ。
 何も「敬老の日」のサービス目当てで、世田谷区から転居したわけではないが、何となくうれしい「老人週間」だった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 18, 2011

1975.鎌倉・妙本寺参詣

110916_020_640110916_002_640  「長興山妙本寺(ちょうこうさんみょうほんじ)」、池上本門寺、身延山久遠寺と並ぶ日蓮宗の名刹である。

 今月の「ひとまくウオーキング」は妙本寺を参詣、法話を聞いた後、裏山の祇園山ハイキングコースを歩いた。
 ドアtoドアで1万1,063歩、汗を流しながらおよそ4キロの山道を上り下りした。

110916_041_640  「ひとまくウオーキング」で妙本寺を訪ねるのは、今度で4回目。
 ブログ1211号('09.4.5)1352号('09.9.17)1491号('10.2.26)でも、創建に至る歴史的な背景について書いたので、今回は概略に留める。
 ただ岡本綺堂が書き、歌舞伎でも演じられる「修善寺物語」の舞台の一つでもあるので、お浚いはしておこう。

110916_027_640_2110916_022_640  この地が比企谷とも呼ばれるように、ここは鎌倉の武将・比企能員(長興)の屋敷跡である。
 境内には、比企一族(左)や二代将軍頼家の子・一幡(右)の墓や塚がある。

 義母・比企の尼が頼朝の乳母、妻・妙本が頼家の乳母、娘・若狭局がその頼家の室となって一幡を生む。
 外戚となって幕府の実権を握ろうとした比企能員は、北条時政・政子親子に謀れて殺され、比企一族800人もここで惨殺。史上「比企の乱」と呼ぶ。

110916_040_640_2110916_039_640   生き残ったのは、一幡の妹(のち4代将軍の室)と若狭の末弟・能本(のちの日学上人)だけだった。
 能本は日蓮の弟子となり、「比企の乱」から57年後の1260(文応元)年、屋敷跡に法華堂を創建する。
 日蓮は、日学の両親の号を採って長興山妙本寺と命名した。

 (右上の写真は、祖師堂・御宮殿。御簾の中には日蓮の生前に彫られた坐像が安置されている。同じ木で彫られた日蓮像は、本門寺と久遠寺にもある。)

110916_028_640110916_033_640110916_034_640_3110916_031_640

 5日前、170年ぶりに復元され修復の法要が執り行われた「二天門」。
 壁面の朱が鮮やかだ。

110916_029_640110916_030_640 「持國天」「毘沙門天」が両脇を固め、欄間には極彩色の竜が彫られる。
 天保年間に築かれた二天門は、当時の記録を元に忠実に復元されたと、法話で尼僧が語った。

110916_047_640110916_049_640 法話を聞いたのち、比企谷から祇園山へと攀じ登る。
 まるでロック・クライミングのように、軍手で木の根っこを掴み体を持ち上げる。
 頂上の見晴台、今回も富士山は雲の向こうに隠れていた。

 「ひとまくウオーキング」、平均年齢75歳を上回るが一人も落伍せず、鎌倉駅前のいつもの「居酒屋」に到着した。明日月曜日は「敬老の日」なのだ。 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 16, 2011

1974.日輪の遺産

9_004_640  敗戦前夜、「マッカーサーの財宝200兆円を隠匿せよ」と陸軍トップから密かに命じられた3人の軍人と、金塊を運ぶために動員された20人の女子学生と教師の運命を描いた作品。

 ベストセラー作家・浅田次郎が、41歳のとき書き下ろした長編小説が原作。彼のデビュー作ともなった「地下鉄(メトロ)に乗って」と対をなす作品と云われている。

338137_100x100_004 「マッカーサーの財宝」の存在は、史実ではなくあくまでもフィクションだが、モデルとなった「都市伝説」は幾つかある。

 ひとつは「山下財宝」。マレーの虎と呼ばれた山下泰文大将が、南方の占領地で収奪した財宝で、今もフィリピンの山中に隠されているという伝説。

 もう一つが「M資金」。GHQが日本で接収した貴金属をもとに、極秘に運用されていると「うわさ」されている秘密ファンド。全日空など大手企業や著名な実業家が、「M資金」をエサにした詐欺に引っかかった。
 Mはマッカーサーではなく、GHQ・ESS局長だったマッカート少将の苗字からそう呼ばれる。

 また実際の事件としては、日銀地下金庫から大量の金塊・ダイヤモンドが消えた「隠退蔵物資事件」や、越中島沖から米軍が引き上げた金塊1200本・プラチナ300個・銀5000tのケースがある。

338137_100x100_007_2   映画の基調は、ミステリーというより「3人の軍人と少女たちが見せた、日本人の矜持」である。
 また別な側面から見ると「戦前に教育された純粋な少女たちの悲劇」ともいえる。
 それを「軍国少女の美談」のレベルに終わらせなかったのが、原作者・浅田次郎と監督の佐々部清といえる。

338137_100x100_003338137_100x100_001   出演は、密命を受けた近衛師団少佐に堺雅人、東部軍主計中尉に福士誠治、陸軍曹長・中村獅童。
 女学校の級長を森迫永依、教師をユースケ・サンタマリアが演ずる。

 物語は戦後66年の現代、大地主となった元曹長(八名信夫)とその妻になった元級長(八千草薫)の回想から始まる。
 隠匿が、誰によって何のために計画され誰が実行したか。そしてその終焉は。生き残った二人の、慙愧の記憶でもある。

 財宝隠匿を命じた陸軍最高幹部5人に実在の人物を配したため、フィクションが史実化した事に賛否もあるが、そこに「小説」の面白さがある。

 阿南陸軍大臣(柴俊夫)・敗戦前夜自決。梅津参謀総長(串田和美)・終身刑、獄中死。田中東部軍司令官(山田明伸)・敗戦後自決。森近衛師団長(野添義弘)・敗戦時のクーデター未遂で部下によって惨殺。杉山第一総軍司令官(麿赤児)・敗戦後自決。
 5人の事実である。 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 14, 2011

1973.回向院参詣

110722_053_640110722_054_640 「広小路」とは、大火の延焼をを防ぐため市街を整備して設けた火除け地。
 7月に散策した遊行寺門前の「藤沢広小路」で思い出し、メトロで10分たらずの両国に足を運んだ。

110722_057_640  隅田川・旧米沢町(現・東日本橋)側にある「両国広小路」は有名だが、橋を渡った手前の現在の両国にも「東広小路」があった。
 そしてその角に、「広小路」を設けるきっかけとなった「明暦の大火」の犠牲者を供養する「回向院」がある。

 「明暦の大火」は、1657(明暦3)年1月18日本郷丸山本妙寺が火元となった江戸時代最大の大火。
 病死した娘の振袖を燃やしたところ、火の粉が舞い上がって火事となったので、「振袖火事」とも呼ばれる。

 焼失町数800町、焼死人10万、江戸城本丸御殿も天守閣も燃え尽きた。以後江戸城には「天守」はない。

 犠牲者を多く出した原因のひとつに、大川(隅田川)に架かる橋が千住大橋しかなく人びとが逃げ迷ったからだという。家康が江戸防衛上、架橋を禁じていたからだ。
 そして大火後、時の老中・酒井忠勝の命で築かれたのが、武蔵と下総を結ぶ「両国橋」である。

8_2  左は安藤広重の描いた「名所江戸百景」のうち「両ごく回向院元柳橋」。
 「相撲櫓」越しに見える対岸の橋が薬研掘に架かる「元柳橋」、右奥に新しい「柳橋」が出来たのでこう呼ばれた。

007_2   回向院で、無縁仏供養の寄付を募るため勧進相撲が始まったのは、1768(明和5)年のこと。天保に入ると、毎年春秋の定場所となった。

 明治の終わりには、ドーム型の「国技館」も隣の広場に建てられて、大相撲は終戦直前軍部に接収されるまでここで開かれる。

110722_077_640_2  江戸時代は境内に土俵を築き、桟敷を設けての「晴天10日」だけの興業。
 客寄せに早朝と終了時、櫓で太鼓を叩く。しかし女性は、入場できなかった。
 なぜか一日だけ、幕下以下の取り組みを「おさんどん相撲」と呼び、女性専用だった。最近までBSテレビで朝早くから放送されていた、あの取り組みである。

110722_058_640_2 「国技館」は空襲で被災し一時蔵前に移転したが、1984(昭和59)年にJR総武線を渡った横網町に「新国技館」が建設され、現在に至っている。
 当時を偲ぶものとして、境内には歴代相撲年寄りの慰霊碑が建っている。

110722_073_640 回向院には、明暦の大火後の「浅間山噴火」(1783年)「永代橋落下」(1807年)「安政の大地震」(1855年)などの犠牲者、さらには海難事故による行方不明者を供養する慰霊碑がある。
 また供養塔のひとつには、ロシアのエカテリーナ2世と対面した、大黒屋光太夫の名を刻んだものもある。

110722_069_640110722_075_640  最後に話題のお墓をひとつ。
 墓石を削って、砕石を大事に包み採っているご婦人、「教覚速善居士」通称・鼠小僧次良吉の墓である。
 何のご利益を求めてかは、聞き漏らした。

 享年天保2年8月18日、彼の辞世の句。
 「天が下 古き例はしら浪の 身にぞ鼠と現れにけり」

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 12, 2011

1972.一枚のハガキ

9_003_640  新藤兼人99歳、映画人生最後の監督作と彼は云う。長い間胸に秘めてきた「戦争の実体験」を、映像で語る。

338279_01_02_03  敗戦の前年、32歳の新藤は二等水兵として招集される。「同期の桜」は100名、丙種合格の中年兵たちの所属は「兵舎掃除部隊」。
 やがて60人がフィリピンへ、30人が潜水艦、4人は海防艦へと、クジで選ばれ配置換えとなった。
 そして全員、生きて戻る事はなかった。

 残された6人、そのひとりが新藤だった。宝塚海軍航空隊「掃除係り」として終戦を迎える。

338279_01_03_03  映画は、貧農出身の兵士(六平直政)の妻の視点から描かれる。兵士は、クジで選ばれて南海の藻屑となってしまった。
 未亡人となった妻は、兵士の弟(大地秦仁)と結婚させられるが、彼もまた新婚まもなく戦場に送られ戦死する。

Otakshinobu  妻を演じたのが大竹しのぶ。その迫真の演技に新藤の「怨」が乗りうつる。
 慟哭・憤怒・諦め・開き直り・軽蔑・思慕・・・・、戦場は一度も描かれないが、戦争の悲惨さと不条理が大竹の表情から滲み出る。

Toyokawaetsushi  クジに外れ生き延びてしまった男が、豊川悦司。新藤の分身とも云える。
 彼は戦友に頼まれ、「一枚のハガキ」を持って未亡人を訪ねるのである。

 「ニューヨーク・タイムズ」が、作品をこう評した。
 「一見悲しく、ありふれて見えるにも関わらず、新藤兼人の世界が極めて印象的なのは、それが美しく、滑稽であるからだ」

338279_01_01_03 新藤は、全てを失ってもなお、たくましく生き抜く庶民の力の素晴らしさを、ユーモア交えて描く。
 ポスターで紹介される「黄金の麦穂」は、ラストシーンに込められた「希望と再生」である。

 それは、「映画を愛するすべての人」「いまを生きるすべての人」への、新藤兼人からの「遺言状」なのだ。

 モスクワ国際映画祭でグランプリを受賞した「裸の島」('60)をはじめ、「愛妻物語」('51)「原爆の子」('52)「第5福竜丸」(59)そして「午後の遺言状」('95)と、新藤の作品を思い出しながら、この稿を書く。 

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 10, 2011

1971.メカニック

8_006_640_2  決して痕跡を残さない正確無比の仕事をする殺し屋を、「メカニック」と呼ぶ。
 40年前に公開されたマイケル・ウイナー監督の「メカニック」では、チャールズ・ブロンソンがそう呼ばれた。
 脚本を書いたのはルイス・ジョン・カリーノ。今回もまた彼がリチャード・ウエンクの相談に乗って、ストーリーを作った。

338944_01_04_03_2  そして「メカニック」は、21世紀を代表する「殺し屋」いやアクション・スターのジェイソン・スティサム(「トランスポーター」シリーズ)が引き継いだ。
 オリンピックの飛び込み、元イギリス代表の筋肉は、今も健在なのだ。

338944_01_03_03 クライム・サスペンス・スーパーアクション映画。
 射撃・格闘・爆破・カーチェイスと全てが揃っている。その中で、ジェイソンが自分の後継者としての殺し屋に育て上げた若者との、非情の宿命が描かれていく。

 その若者はベン・フォスター(「30デイズ・ナイト」'07)。そして若者の父親で殺し屋の親友だった男が、ドナルド・サザーランド。
 「ジョニーは戦場に行った」('71)など名作の数々に出演、最近は「プライドと偏見」('05)にも顔を見せた大ベテランである。

338944_01_02_03  また非情なマフィアのボスは、トニー・ゴールドウイン。俳優というよりプロデューサーとして活躍しているが、「ゴースト/ニューヨークの幻」('90)の悪役ぶりが評判となり敵役専門?の役者となった。

 そしてもう一人、「オーシャンズ12」('04)にも出演したスエーデン出身のトップ・モデル、ミニ・アンデラがジェイソンとの絡みのなかでオールヌードをサービスする。

 監督はイギリスBBCのドキュメンタリー・ディレクター出身で、CM作品で活躍していたサイモン・ウエスト。「トゥームレイダー」や「コン・エヤー」を撮ってすっかりアクション映画監督としての地位を築いた。

 理屈抜きで、ジェイソン・スティサムの強靭な肉体と男の美学を楽しめばいい。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 08, 2011

1970.白露・軽井沢

110831_013_640 新幹線が開通してから初めて、久し振りの軽井沢である。
 夏休みも終わってはいたが、旧軽銀座通りは若い旅人で賑わっていた。

110831_005_640 110831_009_640  この地が他の保養地に比べてどこかモダンなのも、外国人の避暑地としてスタートした由縁からかも知れない。

 「旧軽井沢銀座通り」は、もともと沓掛~追分へと繋がる中山道である。
 賑やかな商店街を抜けると道幅は狭くなり、旧街道の面影を残す。

110831_023_640110831_021_640_3   「中山道六十九次」、江戸・日本橋から数えて十八番目の宿・軽井沢。
 阪本宿から難所の碓氷峠(旧道)を越え、辿り着いたこの地は六十九次では最も栄えた宿場町。本陣・脇本陣が合わせて5軒、旅籠は100軒を超え、多くの飯盛女が旅人を迎えた。

250pxhiroshige_travellers_lighting_  軽井沢宿を参勤交代で往還した大名は、加賀・前田藩など30を超えたと記録されている。
 西国の大名でも、東海道を避けて川止めのない中山道を利用している。
 江戸も末期、京都を出発した皇女和宮が、2万人の行列でここを通過した事は今も語り継がれている。

110831_077_640 軽井沢宿の入り口にある「ショー記念礼拝堂」。
 この地が、避暑地として開発されるきっかけとなった場所である。

110831_079_640  1886(明治19)年、英国聖公会宣教師アレキサンダー・ショーは家族・友人を連れ、ここでひと夏を過ごした。
 そして2年後、軽井沢では始めての別荘を建てた。

 以来、彼の紹介で数多くの外国人や著名人がこの地に別荘を持ち、夏の賑わいとなったのである。

110831_062_640110831_065_640   「三笠ホテル」もまた、外国人や当時の日本を代表する政財界人が滞在した木造純西洋式ホテルである。

 1906(明治39)年に開業したこのホテルは、シャンデリア照明、英国製タイル張りの水洗トイレ、英国製カーペットなど、当時の最先端・最高級の設備が整えられていた。

 終戦後は、進駐軍の米陸軍第一騎兵師団の休養所などにもなったが41年前に経営難で閉業した。
 その後は軽井沢町に寄贈され、国の重要文化財「旧三笠ホテル」として公開されている。

110831_050_640110831_041_640  旧三笠ホテルから「白糸ハイランドウエー」を5分、泊ったのは「小瀬温泉」。
 森の中の一軒宿だった。

 今回の旅の主目的は「塾・軽井沢セミナー」。塾長がこの地に滞在しているので、塾生も出かけた。
 テーマは「日米の三重苦、通貨危機・財政危機・金融危機」、午後から深夜までたっぷりと議論が続いた。      

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 06, 2011

1969.シャンハイ

9_640 1941年日米開戦前夜、陰謀うずまく魔都・シャンハイが舞台。
 アメリカ・日本・ドイツ・中国、男たちはお互いの腹を探りながら戦い、女たちはそれに愛を賭けた。
 各国を代表する国際スターたちが、運命の男女に挑んだサスペンス映画である。

339308_01_02_03   主要登場人物は5人。

 ジョン・キューザック(「2012」'09)扮するアメリカの新聞記者、実は海軍諜報員。
 シャンハイで殺された諜報員の親友が、何を追っかけていたか真相を探るためベルリンから赴任した。

339308_01_03_03_2 渡辺謙は、日本海軍情報部の大佐。執拗にキューザックを付け狙うのは、二人の女を追うため。

339308_01_05_03 チョウ・ユンファ(「パイレーツ・オブ・カビリアン」'07)は、シャンハイ・マフィア三合会のボス。日本軍の裏仕事を請け負いながら、魔都で生き延びる途を探る。

339308_01_04_03 その妻がコン・リー(「SAYURI」'05)。日本軍に殺された政治家の父を持つ彼女の裏の顔は、対日レジスタンスのリーダー。渡辺が追う女の一人でもある。

 そしてもう一人の女が菊池凛子。殺された諜報員の恋人だった彼女は、事件の鍵を握る。

 ストーリは敢えて省略するが、真珠湾攻撃へとつながる謎がこの5人を通して描かれるのである。

9_001_640_2  戦前のシャンハイのオープンセットが、郷愁を呼ぶ。中国での生活経験があるだけに、何となく懐かしい。
 セットを組んだのはタイ。中国系が多く住む国だけに、エキストラには事かかない。

 スエーデン出身のミカエル・ハフストロームが監督だからか、敵役でもある渡辺や日本軍の残酷さは抑えている。

 すでに40代半ばと思うが、コン・リーの妖麗な美しさが光る。それに比べて、菊池の役とメーキャップは、ちょっと可哀想だった。
 2年前に製作されたアメリカ映画である。   

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 04, 2011

1968.この愛のために撃て

8_008_640  デビュー作「すべて彼女のために」('08)が大ヒットして、フランス映画界の俊英と評される広告写真家出身のフレッド・カヴァイエの2作目。
 前作に続いて「愛のための疾走」を描く。

 単純なサスペンス、ノワール映画ではない。ノンストップ・アクション、スタイリッシュな「ドタバタ劇」とも云える作品である。

339990_01_04_03  臨月近い愛妻を暴漢に拉致された、看護助手の男。
 その普通の「オッサン」が、マフィアだけでなく警察とも一人で戦い、仕方なく「ヒーロー」にならざるを得なかったお話。
 批評家は、その怒涛のような展開と疾走感を、ニュー・フレンチ・ノワールと名付けた。

 ジル・ルルーシュ(「ジャック・メスリーヌ」'08)が演ずる平凡な「オッサン」がうまい。誰一人と味方がいない絶望的な状況の中で、「この愛」のために銃をぶっ放してしまう・・・。
 その妻の役は、「美しすぎる母」('07)のエレナ・アナヤ。

339990_01_06_03  「ディズ・オブ・グローリー」('06)でカンヌ国際映画祭男優賞を受賞したロジュディ・ゼムがマフィアの殺し屋。色々あって、主人公を助ける役。

 もちろんフレンチ・マフィアとパリ警察の癒着も描かれる。
 その悪徳刑事をジェラール・ランヴァン(「ジャック・メスリーヌ」'08)が、ベテランらしい凄みで見せる。

 339990_01_03_03 最近のハリウッド大作は、2時間を超える作品がほとんどだ。そんな中、この作品は1時間25分、疾走に次ぐ疾走であっという間に終わる。その爽快感がいい。

 上映館は少ないが、まさに「掘り出し物」といえる映画。配給会社はブロード・メディア・スタジオ、友人が役員をしているので「ヨイショ」しておこう。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

September 02, 2011

1967.第96回「二科展」

110901_047_640 左は、「浜の娘」(F130) 二科会会員 西健吉画伯の作品。

 旧友の西君から招待状が届いたので、今年も六本木・国立新美術館に出かけた。
 会場で彼に会い、自作や入賞作品など解説してもらった。

110901_018_640  また今年は理事長始め、二科会主要会員8人のアトリエが、写真パネルで紹介されている。
 西君もそのひとりだった。(写真右)

 西君は高校の1年後輩、28年前に二科会会員に推挙され、現在は筆頭評議員・鹿児島支部長として若い画家たちを育てている。

110901_004_640_2110901_011_640_2  会場の入り口の部屋に展示されている彼の作品は、何時もの様に漁村の風景が描かれている。
 若い頃、スケッチ旅行でで出会った浜辺の若い女性がモチーフとなる。

 一昨年は下を向いた顔、昨年は籠を頭に載せた横顔、今年はこちらを見据えて網を手にした少女。作者の心象風景でもある。

110901_006_640_2  彼の作品と同じ部屋に展示されていた織田廣喜画伯の「古里の思い出」、可愛い女性たちの群像を描いた300号の大作である。
 二科会理事長、日本芸術院会員の織田さんは、今年96歳。
 西君は「69歳の時には決して描けなかった作品」と大先輩を評する。

110901_024_640110901_033_640   大震災から10日ほど経った日の夜、西君から電話を貰った。
 「絵描きは、この現実に何が出来るのだろうか」
 「それは子供たちと一緒に、絵を描くことではないか」と私。

 上の写真は、会場内に特別展示されている「東日本の子供たち」の絵である。
 西君たちが立ち上げた二科会支援プロジェクト、多くの会員が被災地に出かけた。この活動はこれからも続けていくという。

110901_027_640110901_026_640  同郷(南さつま)の画家がもう一人、会友の有馬広文君の「夢の淵Ⅱ」。
 西君の後輩で、彼も南日本美術展で海老原賞を受賞してパリに留学した。

 有馬君は、二科展と並行して青山で個展も開催している。
 東京では初めての個展だが、彼のモチーフでもある「桜島」や南国の「静物」など小品30数点が並んでいる。

110901_041_640110901_042_640110901_044_640110901_045_640
 「二科展」は今月12日まで、六本木・国立新美術館で。
 「有馬広文個展」は7日まで、北青山「Gallery Concept21」(℡3406-0466)で開催中。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« August 2011 | Main | October 2011 »