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October 06, 2011

1985.トップインタビュー

003_640  母校(鹿児島・加世田高校)の同窓会誌の依頼を受け、東京在住の同窓生・上釜健宏さんにインタビューした。
 およそ30分のインタビューだったが、その一部を紹介する。

_640 上釜さんは、「電子部品・電子材料」の世界トップメーカーTDKの社長。私の18年後輩だが、5年前に48歳の若さで7代目の社長に就任。
 世界30を超える国と地域、130の工場や研究所で働く8万人の社員を率い、8,000億を売り上げている。

 TDK㈱は、1935年に世界初の磁性材料「フェライト」の事業化を目的に創業された会社で、現在では情報家電・高速大容量ネットワーク・カーエレクトロニクスなど、最先端のエレクトロニクス技術を提供している。

ー上釜さんが、いわゆる「理系」の仕事を選んだのは。

 「高校時代から数学や物理、化学が好きだった。古典などはからっきし駄目。そこで同じ九州にある長崎大学工学部を選んだ。
 TDKに就職したのは偶然といっていい。1年留年したので、家電のトップメーカーは無理だと思っていた。たまたま主任教授の手元にあった求人票が、TDK。留年中アルバイト先のスーパーで、よく売れていたのがTDKのカセットテープ。私も専攻が電気磁気学、そんな縁だった。」

ーTDKの初任地が甲府の磁気ヘッド工場、その後は香港に赴任して中国での工場を立ち上げる。そのまま18年も滞在したとの事だが、海外から見た日本の「ものづくり」のパワーは。

 「中国での工場の機械・設備の開発・設計は難しかった。日本から専門の技術者を呼んで駐在させ、現地の実態を知った上で日本の工場で開発させた。
 中国での顧客も、日系と欧米系のメーカーとでは対応が違う。日系は、品質管理など特に厳しい。それに答えられる電子部品は、日本の「ものづくり技術」がベースだった。」

002_640 ー数少ない日本人技術者で工場を切り回す。ご苦労多かったのでは

 「設計から原価計算、生産計画から品質管理、そして営業販売、苦情処理まで、ひとつのプロジェクトをひとりでマネジメントするエンジニアを置いた。そうしたプロジェクトは、販売先メーカー、供給部品ごとに次々と生まれていく。
 そのエンジニアをまた束ねるマネージャーが必要となる。そんな経験から、工場の運営、ヒト・モノ・カネのマネジメントを学んだ。」

ー大震災そして節電、経営トップとしてどう乗り切ったのか。

 「TDKは、国内では秋田を中心に東北地方に多くの工場を持つ。幸い北茨城工場以外は直接的な被害を受けなかった。
 困ったのは計画停電と節電。一度電気がストップすると、生産の再開に長い時間と多くの労力を要する。そこで自家発電機のない工場には、急遽発電設備や付属機器を海外からも取り寄せて設置した。
 被災した工場も一ヶ月で再開できたので、25%の節電を実行しながら操業している。」

001_640ー大震災後の経済状況や電力事情、中国など海外勢はこの時とばかり日本を狙っている。また急激な円高にヨーロッパ情勢。さて、TDKをどうマネジメントしていくのか。

 「TDKのDNAを思い起こし、強くしていこうと社員に呼びかけている。
 TDKは磁性材料〈フェライト〉の事業化から始まった会社だ。それを一から見直し、新製品を生み出していこうと思っている。
 例えばスマートフォンやタブレット、一台にチップ・コンデンサだったら500、インダクタは50個も埋め込まれた電子部品の塊。こうした電子部品は、薄膜工法など独創的な積層技術が必要。 
 私たちはこうした技術を駆使し、中国などの他国・他社の追従はゆるさない付加価値の高い電子部品や、電子材料で世界の産業に貢献していきたい。」  

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