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December 31, 2011

2029.2011・忘備録

103_640 31日午後4時30分、夕焼け。
 今年1年の反省と新しい年への希望を込めて、データをまとめる。

 067_640 健康維持のため始めた「スイミング」は、30年を超える。リタイヤしてからは、日曜日以外は「必ず」を目標にしている。
 今年泳いだ距離は279キロ(昨年比+23)、隣の区営プールで朝7時から40分、1キロ泳いで100mの水中ウオーキング。

Blue_hills  「ウオーキング」は、一昨年から「ひとまく鎌倉ウオーキング」に参加。寺社めぐりだけでなく、古道の山道も歩く。
 今年は7回参加したが、日本橋川など都心の「ひとり歩き」も加えると、歩数計の総計は11回で161,210歩。

 「宿泊旅行」は4回のべ9日。年の前半は2回ともキャンセルしたが、一応昨年並みだった。
 「塾」の軽井沢旅行以外は、連れ合いとの二人旅。

Water_lilies  「映画鑑賞」は、新作がちょうど100本。映像関係の仕事を名誉職もふくめ完全に辞めたので、昨年より66本減った。
 付き合いで見ることもなく、好きな作品だけを選んでいる。

 「歌舞伎」は「敬老の日」の招待もふくめ6回。「能・狂言」2回、「寄席」1回。
 歌舞伎座が完成すれば、「ひとまく席」に通うのだが。

Winter  「美術鑑賞」は、友人・知人の個展も含め、このブログで紹介しただけでも24回。
 六本木の国立新美術館や友人が理事をしている藝大美術館には、たびたび出かけた。
 また「瀬戸内美術館めぐり」を旅したので、今年はアートの年だった。

Sunset  「読書」は98冊、昨年より9冊増えたがその多くは「江戸」を舞台にした文庫本。佐伯泰英の200冊近い時代小説は、3冊を残すのみ。
 また藤沢周平の作品は、ほぼ完読した。
 友人・知人からの贈呈本は6冊、全てこのブログで紹介している。

2012_016_640_2  そして「夜の在宅率」、旅行や観劇の日を除くと88%と昨年より3%増えた。つまり「家飲み」である。
 もう「古希」も過ぎたのだから、当然だろう。

 みなさん「良いお年」を、来年こそは。

  

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December 30, 2011

2028.歳末・築地

111230_011_640111230_017_640  築地卸売市場(場内)は今日まで。
 今年最後の買出しは、例年より早く8時半には市場に。それでも場内・場外とも大混雑だった。

 今年は若いカップルや家族連れが多い。彼らは高級マグロや、うに、イクラなど結構高級品を買っていくと、仲卸の大将が話していた。

 例年に比べると、今年は「数の子」が安い。北欧だけでなく、アメリカ産がどっと入ってきたからだ。
 一方、「蛸」は2割高。水揚げが少ないそうだ。

111230_009_640111230_008_640  マグロ は平年並み。それでも最高級品「大間の生マグロ中トロ」は、キロ2万円を超える。
 これがデパートの棚に並ぶと、100g6,000~3,900円になるのだから驚き。

 鹿児島・奄美の養殖もの「本マグロ中トロ」7,000円~、マルタ・モロッコなどの解凍品が6,000円~。
111230_006_640 スーパーでも、100g1,280円だから場内は安い。
 ただし、キロ単位で売られているのでグループ買いか、冷凍品を細かく切って貰うとよい。
 最近は、一般客相手に少量販売の店もあるが。

 場外は、バスツアーの買い物客も増えてきた。
 「アメ横と勘違いして値切る客がいるんだよな。あちらは安売り、こちらは品質で勝負なんだから」と馴染みの店の親方が嘆く。

111230_007_640111230_024_640  何時ものように、「平目」「赤貝」「伊達巻」「蒲鉾」「漬物」それに予約してあった「玉子焼き」を買って帰る。

 一年間、舌と胃袋を楽しませてくれたお礼を、築地波除神社で。 

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December 28, 2011

2027.無言歌

2_007_640  前号の「灼熱の魂」に続いて、歴史に翻弄された人間の尊厳を問う「重い作品」である。
 映画は戦後中国史の「恥部」、タブーとされている「反右派闘争」と「大躍進政策による大飢餓」に真正面から取り組んだもので、いまだ中国本土では公開されていない。

 脚本・監督はワン・ビン(王兵)。山形国際ドキュメンタリー映画祭で、「鉄西区」('03)「鳳鳴~中国の記憶」('07)と2回のグランプリを受賞した中国・西安出身のドキュメンタリストである。

 ヤン・シェンホイの小説「告別夾辺溝」を読んで映画化を企画、「右派」と決め付けられゴビ砂漠の強制労働所に収容されたが、辛うじて生き延びた人たちを3年にわたって取材して製作した。

 作品は昨年のベネチア国際映画祭でサプライズ上映され、世界中の映画人にショックを与えた。
 北京のスタッフを中心にゴビ砂漠でロケした全編中国語の映画だが、香港・フランス・ベルギー合作のクレジットとなっている。

350pxantirightist_movement  「反右派闘争(1960年)とは、毛沢東が奨励した「百花斉放・百家争鳴](1956年)で国の政策に様々な提言をした科学者や知識人を、「右派分子」「反革命分子」と決め付け粛清した事件。

 中国共産党は、彼らを思想改造の名目で辺境の強制労働所に送り込んだが、「大躍進政策」の失敗による大飢餓でほとんどの人たちが病死している。

340745_100x100_002  作品はゴビ砂漠に掘られた「溝」(原題・THE DITCH)の中で、毎日の強制労働と、餓えに苦しみながら死んでいく知識人たちを凝視する。
 轟々と鳴る砂と風、荒涼とした砂漠の大ロング。ドキュメンタリー・タッチの映像は、光と影による美を映し出す。

 その映像を編集したのは、ベルギー出身のマリー=エレーヌ・ドブー。「ある子供」('05)「ロルナの祈り」('08)など、日本でも知られている世界的な名編集者である。

340745_100x100_003  出演しているのは、中国戯劇学院出身の若手俳優(ル・イエ、シュー・ツェンツー)と実在の生存者(リー・シャンニエン)たち。
 音楽など人工的なサウンドを一切廃した作品の最後に、「無言歌」が流れる。

 現代中国の政治的過去を鮮やかに解き明かしたこの作品は、中国インディペンデント映画の金字塔といえよう。

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December 26, 2011

2026.灼熱の魂

2_006_640  衝撃的なラストで、満席の場内は席を立つ人もいない。そして怒りと悲しみが、全身を貫く。

 レバノン内戦がベースとなった、劇作家ワジ・ムワワッドの4時間を超える舞台劇の映画化である。
 カナダ・ケベック在住の彼は、8歳の時両親と共にレバノンを脱出、フランスを経てカナダに亡命している。

 モザイク国家といわれるレバノン。
 キリスト教マロン派、イスラム教ドルーズ派・スンナ派・シーア派が混在し、そこにパレスチナの難民が溢れる。
 それぞれが民兵組織を持ち、イスラエル・シリア・イランが介入する。
 虐殺の連鎖・レバノン内戦は1975年に始まり、今もなお完全には終結していない。

340637_01_03_03  映画は、中東からカナダに移り住んだ一人の女性の壮絶な人生が描かれる。
 それは、母親の遺言によってその軌跡をたどる双子の子によって探り出されていく。
 遺言は、父と兄を捜す旅。ミステリアスな母の過去にたどり着いた時、私たちは言葉を失うのである。

340637_01_02_03  監督は、「渦」('00)でベルリン国際映画祭国際批評家連盟賞を受賞したカナダ・ケベック出身のドウニ・ヴィルヌーブ。
 レバノン内戦に現在のイスラエル・ヒズボラ抗争もオーバーラップさせ、架空の国として描く。

 彼は、「現在」と「過去」のエピソードを緻密に絡ませながら、宗教と民族間の残酷で衝撃的な暴力の連鎖に、鋭い批判を浴びせていく。

340637_01_01_03_2 壮絶な人生を歩いた母親役はベルギー出身のルブナ・アザバル(「パラダイス・ナウ」'05)、双子の娘と息子はカナダのテレビや舞台で活するメリッサ・デゾルモー=ブーランとマキシム・ゴーデットが演じた。

 撮影はヨルダンで行われた。エキストラで出演した多くが、イラクからの難民だったという。
 彼らは映画の主人公たちと同じく、宗教・民族の対立の憎悪のなかから逃げてきた庶民たちだった。
 リアルな映像は、その共通体験から生まれている。

 「アカデミー賞は本作が受賞すべきだった。
  物語はアガサ・クリスティ級のドラマティックな展開で始まり、ソフォクレスのギリシャ悲劇のように終わる。」(ウオール・ストリート・ジャーナル)

 カナダのアカデミー賞デアルジニー賞8部門をはじめ、ヴェネチア国際映画祭最優秀作品賞など、60を超える映画賞を受賞したヒューマン・ミステリー映画でる。    

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December 24, 2011

2025.観世流・能

Image_12205227148  東大観世会のOBで今も能楽を演じている友人から、渋谷の観世能楽堂に招かれた。

 鑑賞したのは、「朝長」「実盛」とともに「三修羅」と呼ばれる「頼政」。もちろん世阿弥の作である。

Yorimasa03  主役(シテ)は、浅見重好が演ずる源三位入道頼政の亡霊。宇治平等院を訪れた諸国遊行の僧(ワキ)に、宇治川での平家との戦いに破れ自害したいきさつを語る、というお話である。

 源頼政は、攝津源氏の流れをくむ平安末期の武将。
 保元・平治の乱では平清盛と共に朝廷側に立って活躍したが、平家に比べ恩賞に恵まれなかった。

 奢る平家の中にあって、1180(治承4)年に後白河法皇の第二皇子・以仁王を奉じて、宇治で兵を挙げた。頼政76歳の時である。
 しかし平家方の若干17歳の武将、田原忠綱の見事な指揮によって戦いに敗れ、平等院の庭先に扇を敷いて自刃した。

Yorimasa02  しかし以仁王の平家討伐の「令旨」は、多くの源氏方を奮い立たせる。
 頼政の死から3ヵ月後には頼朝が伊豆で挙兵、翌月には木曾義仲も挙兵する。
 それから5年、壇ノ浦の合戦によって平家は完全に滅亡する。

 頼政は歌人としても有名である。「従三位」の位を贈られたのも歌人としての功績だったという。

 彼の辞世の句
 「埋もれ木の 花咲くこともなかりしに
  身のなるはてはあわれなりけり」

 歌人としての風流な面と、老いてなお平家に反旗をひるがえした武士としての荒々しさ、敗れ去る者の悲哀が、幽玄な能の世界で語られていく。

Image  今回の能舞台は、若い女性観客で賑わった。
 それは、能と能の間で演じられた「狂言」に、野村萬斎がシテとして登場したからである。

 演目は「文荷(ふみない)」。主人から届けるように頼まれた手紙を、次郎冠者と勝手に開いた太郎冠者(萬斎)、それが「恋文」だったので「重い(想い)」と、二人で能「恋重荷」を謡いながら担いで運んだが・・・・という狂言。
 能の「幽玄」とは対照的な「笑い」を楽しんだ。

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December 22, 2011

2024.源氏物語

Genjinazo_4nr  1000年前に書かれた世界最古の長編小説「源氏物語」。
 その構成の秀逸さ、登場人物の心理描写の巧みさ、その中に描かれる美意識は典型的な王朝物語、古典の中の古典として知らぬ人はいない。

300pxch5_wakamurasaki  全54帖(巻)、多くの謎に包まれてきた作品は、著名な文人たちによって現代訳されてきた。

 田辺聖子(250万部)、瀬戸内寂聴(220万部)、与謝野晶子(172万部)、円地文子(103万部)、谷崎潤一郎(83万部)と、売れ行きベスト5だけ並べても錚々たるものである。

Genjinazo_5nr  映画化は、長谷川一夫の1951年の作品から市川雷蔵主演('61)など、今作で8作目。
 それぞれの切り口と新解釈で、世界文学史上最高峰の「恋愛小説」を映像化してきた。

180pxtosa_mitsuoki_001  今回、角川映画がトライしたのは「なぜ紫式部が、この物語を書かねばならなかったのか」である。

 製作総指揮の角川歴彦はこう述べる。
 「紫式部は、時の権力者藤原道長への満たされぬ愛ゆえに、(道長を擬した)光源氏に激しく嫉妬したのではないか」

 映画は、豪邸「土御門邸」裏山での道長(東山紀之)と式部(中谷美紀)の情愛シーンから始まる。
 そして「光源氏の奔放で華麗な愛」と交錯しながら、物語が綴られていく。

2_005_640 339723_100x100_006_2  光源氏(生田斗真)を取り巻く「想い人」「正室」「愛人」は、いま輝く女優たち4人。

 源氏の義理の母で禁断の恋に悩む藤壺(真木よう子)、正室・葵の上(多部未華子)、愛人・夕顔(芦名星)、前の東宮后で若い光源氏への愛にのめりこむ六条御息所(田中麗奈)である。

339723_100x100_005 原作ではこの他にも、紫の上、明石の方、女三宮、軒端荻、末摘花など、光源氏と情を交わした女人が登場するが、今回の作品では藤壺への断ち切れぬ愛と、六条御息所の強烈な嫉妬心に絞られた。

339723_100x100_001  その愛憎こそが、式部の執筆の動機であり彼女の心の中の葛藤だ、という解釈になる。

 物語の背景となる、豪華絢爛な王朝絵巻を描くため、衣裳と美術には特に力を入れている。

Genjinazo_3nr  直衣・束帯・狩衣・十二単など京都の伝統の技によって新たに織られ、道長の屋敷「土御門邸」は琵琶湖畔に2億円かけて造られた。

 千年の時を越え、「源氏物語」の誕生秘話をスクリーンに登場させたのは、ドラマディレクター出身の鶴橋康夫。「愛の流刑地」('07)に次ぐ映画監督2作目である。 

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December 20, 2011

2023.国立歌舞伎

_640  国立劇場開場四十五周年を記念して、今年は「歌舞伎を彩る作者たち」シリーズが上演されている。
 今月はその第3弾として、新歌舞伎を代表する作家のひとり、真山青果の作品「元禄忠臣蔵」(5幕12場)の登場である。

 青果史劇の最高峰といわれる「元禄忠臣蔵」は、全10編。
 1935(昭和10)年の正月、東京劇場の「江戸城の刃傷」から上演が始まり、全編上演するのに6年かけた雄渾な大作だった。

 国立劇場でも、開場40周年を記念して全10編を連続上演したが、今回は5年ぶりに発端から大詰めまでの代表場面、3編の上演となった。

 元禄15年12月15日の「赤穂浪士の討ち入り」は、さまざまな芝居や映画・テレビ、小説として親しまれているが、真山作品は深みある心理描写、劇的な構成、味わい深いセリフ、綿密な史実考証など、他に類を見ない作品として高く評価されている。

110426_101_640110426_152_640   「江戸城の刃傷」

 吉良上野介への刃傷の場となった「江戸城内松の御廊下」(第一幕)から、浅野内匠頭が切腹をする「田村右京太夫屋敷大書院・小書院」(第二幕・二場)が舞台。
 切腹を命じられた内匠頭の無念と、それを見守る幕臣の厚情や浅野家家臣の悲嘆が描かれる。

 内匠頭を中村梅玉、田村右京太夫を市川段四郎、多門伝八郎・中村歌六、片岡源五衛門・中村歌昇ほか。
  

090419_038_640090419_025_640  「御浜御殿綱豊卿」

 御浜御殿とは、現在の浜離宮恩賜庭園のこと。後に六代将軍家宣となる、甲府宰相松平綱豊の別邸である。
 汐入の池をながめる「松の茶屋」で、学問の師・新井白石に胸中の悩みを打ち明ける綱豊(第一幕)から、愛妾の兄で赤穂浪士・冨森助右衛門との虚々実々の論戦が繰り広げられる「御浜御殿御座の間」(第二幕四場)。
 天下の公道を説く綱豊の名セリフ、全10編のなかでも傑出した名作である。

 綱豊卿を中村吉右衛門、新井白石を中村梅玉、冨森助右衛門を中村又五郎、その妹・お喜世を中村芝雀が演じる。

Danchiraomote1  「大石最後の一日」

 高輪の細川家にお預けとなった大石内蔵之助と浪士16人。最後の沙汰を待つ大石は、磯貝十郎左衛門と許婚おみのとの面会も許し、晴れやかに最後の場に向う一幕。
 「これで初一念が届いた」と、静かに花道を去るクライマックスが見所である。

 中村吉右衛門が当たり役の内蔵助を、磯貝十郎左衛門は中村錦之助、許婚おみのを中村芝雀という顔ぶれ。
 細川家の若殿を故・中村富十郎の愛息、まだ12歳の中村鷹之資が父親譲りの口跡で場内を沸かす。

 「忠臣蔵は耐えに耐え、志を貫く人間の美学」だと、人間国宝・中村吉右衛門はいう。
 彼のいぶし銀のような魅力と定評のある演技力に、花道から消えた後も拍手は続く。
 前から4列目の一等A席、「播磨屋」ファンの連れ合いへのクリスマスプレゼントだった。

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December 18, 2011

2022.RAILWAYS

2_003_640  「RAILWAYS」、昨年は「49歳で電車の運転士になった男の物語」。中井貴一と高島礼子の共演で、舞台は島根の一畑電鉄だった。

 今回は「愛を伝えられない大人たちへ」。三浦友和と余喜美子のコンビ、雄大な北アルプスを望む富山の田園地帯を舞台に、一ヵ月後に定年を迎える実直な運転手と、夫を支えながらも新しい人生に踏み出した妻の相克が描かれる。

Pnote2_i3  もう一人の主役はタイトル通り電車。富山地方鉄道が、各地の電鉄から払い下げを受けた電車が走る。
 例えば西武鉄道の特急「レッドアロー号」、主人公の第2の人生を象徴するように、まだまだ現役で頑張る。

340259_100x100_002  三浦友和の性格が良く生かされた設定である。主人公と同じ年、役者であるから定年はないが、「たそがれ」に向う男の哀愁がにじみ出る。

 余喜美子も同じ世代の主婦を演ずる。もう一度、自分の人生にトライしたい女の気持ち、「家族・仕事」と夫婦間の普遍的テーマだけに等身大の演技が求められる。

340259_100x100_005  60前後の世代が「愛を伝えられない大人」とすると、彼らより一回り高齢の私たちはそれ以上とも言える。
 「お前、この先の人生は短いと思っとるんやろ?ながいぞー・・・」と、先輩運転手だった米倉斉加年が三浦に諭す。

340259_02_02_03_2  もう一度「愛」を告げて、新しい夫婦の関係を築かなければ「長い旅」は続けられない。交わることのない2本のレールだが、終着駅は同じなのだ。

 監督は前作で助監督を務めた蔵方正俊、長編デビューである。
 主題歌「夜明けの雲」を歌った松任谷由美は、前作に続く。

 3年前、富山地方鉄道「ちてつ」で立山や黒部を旅した事を思い出しながら、大人の愛の物語にひたる。

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December 16, 2011

2021.ラビット・ホール

2_002_640  アリスが不思議の国に落っこちたウサギの穴「ラビット・ホール」。
 4歳の息子を交通事故で亡くした夫婦も、「ラビット・ホール」に落ち込む。
 作品は、絶望の穴から這い上がる夫婦の愛の物語を丁寧に描いていく。

338528_100x100_002 原作は、劇作家デヴィッド・リンゼイ=アベアーが書いた戯曲。
 ブロードウエイで上演され、ピューリッツアー賞とトニー賞を受賞した舞台を元に、原作者が脚色した。

 そのシナリオに感銘を受けたオスカー女優ニコール・キッドマンは、自ら映画をプロデュース、主役を演じた。

338528_100x100_004  息子の思い出を全て忘れたい妻キッドマン。
 いつまでもその思い出を繋ぎ止めたい夫は、アーロン・エッカート(「ダークナイト」'08)。
 やがて夫婦の絆は綻びはじめる・・・・・。

 監督は、センセーショナルな自伝的映画「ヘドウイング・アンド・アングリーインチ」('01)のジョン・キャメロン・ミッチェル。
 この作品で彼は、脚本・監督だけでなく主役も演じサンダンス映画祭で受賞しているが、今回は夫婦の間に流れる「時間」を淡々と描き、新境地を開いた。

338528_100x100_007_2 「めぐりあう時間たち」('02)でアカデミー賞主演女優賞を受賞したキッドマンの、繊細な演技が光る。
 今回も受賞は逃したが、アカデミー賞とゴールデン・グローブ賞にWノミネイトされた。

338528_100x100_006  キッドマンの母親役ダイアン・ウイーストも上手い。「ハンナとその姉妹」('86)「ブロードウエイと銃弾」('94)と2度もアカデミー賞を受賞した名優である。

 後味は爽やかである。
 「重い気持ちで見始めたあなたは、予期に反して心を軽くしてこの映画を見終わるだろ」と、「ニューヨーカー誌」は評する。

 映画でも愛する人を失った者同士が、その「喪失体験」をシェアする集いが紹介される。
 仙台の大学で精神看護学を教える高校の後輩が、今そうした「グリーフケア」をサポートする組織つくりに全国を駆け回っている。
 欧米では当たり前のサポート・システムが、東日本大震災をきっかけに日本でもようやく生まれようとしている。
 映画を見ながら、彼女たちの精力的な活動を思い浮かべた。   

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December 14, 2011

2020.東京オアシス

2_001_640  「かもめ食堂」('05・フィンランド)、「めがね」('07・与論島)、「プール]('09・タイ)、「マザーウオーター」('10・京都)、今回は「東京」である。

 小林聡美主演のこのシリーズは、人と場所との関わりを女性監督らしい感性で、静かに描く。
 数々の賞を受賞した荻上直子監督から、さらに若い女性たちにバトンタッチされたため、作品には出来不出来もあるがシンプルで「ほんわか」したタッチは変わらない。

 今回は、CM出身でこれまでも一連のシリーズに参加してきた、松本佳奈と中村佳代がそれぞれ分担して監督を。
 脚本も白木朋子が加わって、1篇づつ担当した。

340239_100x100_002  女優小林が関わるのは、3人。オムニバスで綴られていく。

340239_100x100_006340239_100x100_003  第1話は、深夜の高速を車で走るレタス運搬人の加瀬亮。
 ぎこちない会話が、やがてやさしい光に包まれる。

 第2話は、深夜の名画劇場で働く原田知世。
 女優でもある主人公がもと脚本家だった彼女と再開した時、時間はゆるやかに流れる。

340239view007  夕方の動物園で会ったのは、美大を5浪している黒木華。
 囲われた動物たちと、都会に住む人々が求めるオアシスとは・・・。
 日々の風景は変わらないが、小さな出会いは新しい時間を生み出す。

340239_100x100_009  淡々としたセリフ、単調なカメラワーク、メリハリはないストリー、それがなぜか心にしみる。
 誰もが、東京オアシスを探し求めているからかも知れない。

 「一人で逃げたら、帰りもひとり」。
 小林聡美が呟くこのセリフは、彼女自身の生身の生活を思い起こす。

 「ステキな金縛り」とは対照的な「東京オアシス」である。

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December 12, 2011

2019.師走・餅つき

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 マンション恒例の「師走の餅つき」。
 お向かいさんが古くからのお米屋さんなので、臼や杵を借り、もち米も昔ながらの蒸篭で蒸す。

 始めたのは6年前から。
 住吉神社の神輿を担ごうと集まった老若男女30人、年代も仕事も違うが共通するのが祭り好き。
 自腹を切って師走の餅つきを始めた。

 4年前からは、マンション管理組合の公認行事となって予算も付いたが、餅つきも調理も「祭りの会」がボランティアで担当している。

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 住民同士の交流が薄いといわれる都心のマンションだが、何となく下町気分が残っているのが嬉しい。

 準備から後片付けまでおよそ5時間、ついた餅50キロはマンションの住民だけでなく、ご近所の皆さんにもお裾分けした。   

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December 10, 2011

2018.情報の絆

004_640 先月、親友が亡くなった。32年前にNHKスペシャル番組でプロジェクトを組み、世界中を取材で走り回った仲間のひとりである。
 現役を終えた後も、仲間たちは「塾」を開いて国際経済や政治について議論を重ねてきた。

 ブログ1970号(9.8)でも紹介したが、その彼が幹事となってこの夏の終わりに、軽井沢でセミナーを開いた。
 仲間は誰も気付かなかったが、死期を悟った彼が私たちとの別れのために開いた会だった。

 現役を終えた後、彼は大学教授を務め若い人たちに「ジャーナリズムの真髄」を教えてきた。
 その傍ら、多くの関係者を取材し膨大な資料を集めて「戦後沖縄放送史」の研究を続けた。
 病室にまでパソコンを持ち込み、論文を整理する。ほぼ完成したのは、亡くなる2週間前だった。

005_640  仲間たちは、彼の論文を公表しようと奔走した。
 一昨日発売された「世界・1月号」(岩波書店発行)に掲載された「短期連載・情報の絆~米軍の情報分断政策と戦った沖縄」が、彼の最後の論述である。

 彼の名は、座間味朝雄(72歳)。琉球王朝の血を引くジャーナリストである。

 「情報の絆」第1回は、「占領下の島々」。
 太平洋戦争で全ての「通信・放送」施設を失った沖縄に、ようやく民放ラジオが生まれ(1954年)、それがベースとなって「テレビ免許申請」(1956年)、さらには日本政府に対する「マイクロウエーブ回線設置の陳情」(1960年)までが綴られる。

031  第1章は「戦後沖縄を支配した米占領政策とメディアの復活」。
 沖縄県民の機関である琉球政府に、「米軍の意向に沿った政治」をおこなわせるため設けられた「高等弁務官」制度を俎上に上げ、その中で「島ぐるみ土地闘争」が盛り上がっていく様子が語られる。
 沖縄テレビが、免許申請を出したのがその時期だったのは、象徴的である。

 第2章は「『琉球電電公社』設立を渋る米国」。
 琉球政府が事前の承認を求めた「琉球電電設置法案」に、高等弁務官が「具体的理由を明らかにしない」ままに承認を引き伸ばす経緯が分析される。

009  第3章は「『正力マウンテントップ構想』騒動」。
 「正力松太郎氏と米国務省の危険きわまる陰謀、日本テレビの外資導入に関する報告。電波管理委員会有志」なる「怪文書」の背景が、述べられる。

032  最後の第4章が「動き出した『日流マイクロ回線』」。
 いよいよ本論に入るが、日本からのテレビニュースや番組がマイクロ回線を通して沖縄に流れる事を、「米国占領政策に対する日本政府の干渉」とする高等弁務官。それに対する当時の池田内閣、その内閣に陳情する琉球政府、その三つ巴が序論として描かれる。

 「情報の絆」続編はこのあと2月号・3月号と掲載される予定だが、元沖縄県知事・太田昌秀さんは「座間味論考」について、「世界」1月号にメッセージを寄せた。

 「・・・・座間味さんが本土と沖縄間のマイクロ回線の敷設問題の歴史的背景とその真相を解明されたことは、画期的成果である。」
 「・・・・座間味さんが沖縄放送史に異常なほどの熱意と関心を以って取り組まれたのも・・・・彼の内面に誇り高き沖縄人としての確固たるアイデンティティが保持されているからにちがいない。」

 「世界・1月号」は、12月8日から全国の書店で発売。定価840円。

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December 08, 2011

2017.紅葉・鎌倉の尾根を巡る

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 標高90メートル、獅子舞ヶ峰。
 鎌倉では最も美しいと言われる紅葉の名所である。

 今月の「ひとまく会ウオーキング」は、鎌倉の古刹と尾根を訪ねる「紅葉狩り」、晩秋の一日を仲間たちと楽しんだ。

111205_008_640111205_005_640  集合場所は、鎌倉五山の第二位の古刹・円覚寺。臨済宗の大本山である。
 朝9時過ぎ、北鎌倉駅下車。ちょっと冷え込む。

 境内には、居士林や仏日庵など楓が彩る紅葉の名所が多いが、今回は総門から眺めるだけにした。

111205_017_640111205_010_640   鎌倉街道を歩いて15分、五山の第一位・建長寺に。

 この古刹も臨済宗の寺で山号は地名に因んで巨福山、寺号は創建された年(1253・建長5年)を採って建長興国禅寺とした。
 鎌倉では最も古い禅寺である。

111205_045_640111205_049_640  大河ドラマで話題の「お江の方」の霊屋の唐門。芝・増上寺改築の折、ここに移された。

 唐門は朝廷の使だけが通る勅使門なので、庶民の私たちは横の玄関から方丈(龍王殿)に。
 大覚禅師が作庭した庭園と、借景でもある半僧坊の峰の紅葉を眺めた。

111205_074_640111205_065_640  境内奥の峰、半僧坊から眺めた建長寺の大伽藍、遠くに相模湾が霞む。

 西に目を移すと雪化粧の富士山が、くっきりと見える。
 鎌倉・富士見名所のひとつである。

111205_099_640111205_101_640  半僧坊から鎌倉宮に近い瑞泉寺までの4キロが「天園ハイキングコース」になる。

 「鎌倉アルプス」とも呼ばれる横浜市境界の尾根は、写真右の大平山頂上でも159m。
 安房・上総・下総・相模・武蔵・伊豆の六ヶ国が見えるので、六国峠とも呼ばれた。

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 今回のウオーキングのハイライト、「獅子舞」。

 「天上の楽園」に近いから、この尾根を「天園」と名づけたのは東郷平八郎。横須賀を母港とした連合艦隊指令長官は、ここに別荘を作り休息の場とした。
 彼が自らの手で植えた楓が、100年の歴史を経て森となる。
 今、幹周りが3mもある大銀杏が17本、楓は2000本を超えるという。

 今年は天候不順で「紅葉狩り」はイマイチだったが、見応えはある。

111205_139_640_2111205_133_640  「ひとまく会ウオーキング」、終点は荏柄天神社。大宰府・北野天満宮と並ぶ日本三大天神の一つである。

 現在の社殿は、江戸の初期に鶴岡八幡宮の若宮を移築したもの。
 冬のウメが有名だが、社を囲む森の銀杏や楓も彩る。

 午後3時、何時もの様に駅前の居酒屋で疲れを癒す。今回のウオーキングはドアtoドアで19.647歩、東京駅構内での買い物歩きも含めて。 

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December 06, 2011

2016.アントキノイノチ

2_640_2   「精霊流し」「解夏」「眉山」などの作品で知られるシンガーソング・ライターさだまさしの同名小説が原作。
 2年前に刊行された時は、若者だけでなく幅広い世代にも読まれた。

 この小説を映画化したのは、「ヘブンズストーリー」('10)で、ベルリン国際映画祭・国際批評家連盟賞・最優秀アジア映画賞を受賞した瀬々敬久。
 今回もモントリオール世界映画祭でイノベーションアワードを受賞した。

 しかし瀬々監督の強い思い入れによって結末を変えたことに、さだまさしフアンからは異論も出た。

339355_100x100_004_2  高校時代にいじめに会い「友を殺した」岡田将生、レイプされて「こどもを殺した」榮倉奈々。
 そのトラウマで心を閉ざした二人が、「遺品整理」の仕事を通して「イノチ」の繋がりを体験し、再生していく青春映画である。

 「元気デスカ~」と、コンサート舞台で必ず叫ぶさだまさしの「人を見るまなざしの優しさ」は、映画でもきちんと描かれている。
 「いじめ」「無関心」「虐待」「自殺」「意味のない殺し」・・・・、そんな時代状況の中「アントキノイノチ」はいったい何だったのだろうか、作者も監督も観客に問う。

339355_100x100_003  様々な理由で身内の遺品整理が出来ない遺族のため、10年ほど前にこうした代行サービスが生まれた。
 この映画では、そのひとつの会社と実在する人物をモデルにその実態を見せた。

339355_100x100_001_3  そのモデルを演じた原田泰造が上手い。繋がりが薄くなっていく中でも、死者と遺族との切れない命の繋がりを、丁寧に若者たちに見せていく。

 遺族を演じた檀れいや柄本明、宮崎美子が脇を固め、高校生役の松坂桃李や染谷将太を支える。
 少々無理なシチュエーションもあったが、海外での観客も理解できる普遍性をもった作品だった。

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December 04, 2011

2015.マネーボール

1_008_640 アメリカ・メジャーリーグ、1勝するのにオリオールズやレンジャーズは300万ドル掛かったが、アスレチックは50万ドル。これで地区優勝しリーグ優勝をヤンキースと競った。

 この金額は、選手の年俸総額を勝数で割った2002年のデータ。当時のリーグ・コミッショナーは、「これは異質な例外だ」と言い放った。

 「メジャーリーグのなかでも、極めて資金力の乏しいオークランド・アスレチックスが、なぜこんなに強いのか?」
 そんな疑問を抱いたスポーツ・ジャーナリスト、マイケル・ルイスが取材して書き上げた本が「マネーボール」である。

340151_100x100_011  ルイスが名づけた「マネーボール理論」とは、「データを重視して年俸の安い無名選手やロートル選手を買い、勝てるチームに作り変えた」アスレチックスのGM、ビリー・ビーンの球団経営学をいう。

340151_100x100_001   その実在人物を主人公にした映画を作ったのが、「ソーシャル・ネットワーク」'10)の製作陣。
 経営分析中心の原作を、「ソーシャル・ネットワーク」でアカデミー賞脚色賞を受賞したアーロン・ソーキンと、「シンドラーのリスト」('93)で同じくアカデミー賞を受賞シタスティーヴン・ザイリアンが、人間味溢れる物語に構成した。

 そして監督を任されたのが「カポーティ」('05)のベネット・ミラー。いずれも実在人物の伝記ものに強い映画人たちだった。

Moneyball_wp_02_standard  GMビーンは、自らプロデューサーも兼ねるブラッド・ピット。
 俳優としては最後の作品になるだろうと、信念を貫く男の強さを全力で演じた。
 そしてGMの右腕となる「データ・オタク」、イェール大学経済学部卒のピーターを、コメディアンのジョナ・ヒルが真面目な顔を見せた。

340151_100x100_006  もうひとりオスカー俳優が、アスレチックスの監督として登場する。
 ミラー監督の盟友、「カポーティー」で主演男優賞を受賞したフイリップ・シーモア・ホフマンである。
 GMと対立しながらも、「マネーボール理論」を実践していく実在の人物である。

340151_100x100_011_2  日本の金持ち球団、最近の「ウチゲバ」のニュースに比べると、アメリカのメジャーとの違いがよく判る。
 オーナーとGM、GMと監督、さらにはGMと選手の関係。日本の様なドロドロした陰湿さは少ない。
 シーズン中でも一方的にトレードしたり首にしたりする冷酷さはあるが、それは選手も関係者も当たり前と考えているクールさがある。

 「夢を売るスポーツ業界」の、ビジネスとしての現実をきちんと見せながら、輝くことの出来なかった元スター選手の「馬鹿なパパ」ぶりが、見る人にじわりと感動を与えてくれる。

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December 02, 2011

2014.人形町・歴史散策

111122_006_640  「舟めぐり・まち歩き」、「日本橋川」に続いては「人形町・歴史散策」。
 中央区文化財サポーターが案内してくれた日は、あいにくの荒天だったので駆け足で回り、先日晴天を見計らって一人で「まち歩き」した。

111122_008_640111122_004_640_2  スタートは地下鉄の駅名にもなっている「水天宮」、安産の神様として若夫婦や孫の誕生を祈る老夫婦で賑わう。

 もともと三田の赤羽橋にあった久留米藩・有馬家お上屋敷にあったお社。
111122_007_640  「情(なさけ)ありまの水天宮」と、江戸の頃から庶民の信仰を集めていた。
 人々は、屋敷の外から塀越しにお賽銭を投げ入れたそうで、藩でも5日の戌の日には、藩邸を開放したという逸話が残っている。

 ご祭神が安徳天皇・建礼門院(平清盛の娘で天皇の母)・二位の尼(清盛の妻)と平家縁りなのが興味を引く。その謂れは長くなるので省くが、人形町に鎮座したのは明治維新後の1872年である。

111122_010_640_2 この一帯(葺屋町・堺町)が人形町と呼ばれたのは、江戸時代の始まりの頃から古浄瑠璃(薩摩座)や結城座(人形芝居)など、多くの芝居小屋が集まっていたからである。

111122_011_640111122_047_640   当然、周囲には人形師や人形細工師の住まい、人形店などが並んでいた。

 今では現代の人形師、結城ジュサブロウの館だけがその伝統を引き継いでいるが、毎年10月には全国の人形店が集まる「人形市」が開かれる。

111122_640111122_029_640_2  人形町はまた芝居町とも呼ばれた。
 1634(寛永11)年には村山(市村)又三郎が座元となって歌舞伎の「村山座」が開業、1651(慶安4)年には猿若(中村)勘三郎が京橋から「中村座」をこの地に移した。
 10年前に亡くなった歌舞伎の名優17代目羽左衛門は又三郎(市村宇左衛門)の後裔、同じく18代目勘三郎はその名の通り猿若の後裔である。 

004_640_2   しかし幕府公認の江戸三座のふたつ、村山(市村)座と中村(猿若)座は、水野忠邦の「天保の改革」(1841年)によって、強制的に浅草へ移されてしまう。
 人形町界隈に芝居小屋(現在の明治座)が戻るのは、40年後の1873(明治6)年である。

111122_042_640111122_043_640  歌舞伎といえば人形町通りの一角に、「玄冶店跡」の碑がある。
 家光の痘瘡を治した幕府御典医・岡本玄冶の屋敷跡で、「与話情浮名横櫛(よはなさけうきなのよこぐし」の「源氏店」のモデル。
 与三郎が蝙蝠安とお富を強請った妾宅、「お富さん」の唄でも有名だ。

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 現在はミシュランにも選ばれた高級料亭と、小粋な小料理店しか残っていないが、芝居町界隈の葦原(旧吉原)には公許の遊郭があった。
 1657(明暦3)年の振袖火事(明暦の大火)によって、浅草田圃(新吉原)に移転させられるまでの40年、芝居見物帰りの男たちを楽しませた場所だったのである。

111122_023_640111122_015_640_2   地下鉄「水天宮駅」と「人形町駅」のほぼ真ん中の通りが、江戸の下町風情を残す「甘酒横丁」。

111122_020_640_3111122_019_640_2   i今でも甘酒を売る和菓子屋に豆腐屋、玉子焼き・鯛焼き・人形焼・煎餅屋など、沿道には何代も続く老舗が軒を並べている。

111122_017_640111122_021_640  役者たちの衣装箱の「つづら」店に「三味線」屋さんなど、人形町・芝居町の名残を留める店もある。

 朝10時にスタートした「人形町・歴史散策」、このほかにも神社やお寺、「西郷隆盛屋敷跡」「谷崎潤一郎生誕の地」そして「蛎殻銀座跡」などを訪ねてお昼時。

111122_073_640111122_065_640111122_075_640_2  辿りついたのが親子丼発祥の店。

 1760(宝暦10)年、鷹匠・山田鉄右衛門が開いた「しゃも料理屋」は相変わらずの行列だった。
 30分並んで店に入り、15分待って食した親子丼は、心地よい疲れを癒してくれた。

 今回の「まち歩き」は、10,442歩。

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