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November 27, 2013

2389.江戸の狩野派

Img311_640_2 およそ4世紀にわたって日本の画壇に君臨した「狩野派」、血族関係を主軸にしたこの「画家集団」の存在は世界でも例を見ない。

 これまで幾つかの美術展で、「狩野派」との関連ある絵師たちの作品を見たことがあったが、出光美術館開催されている本展では江戸に進出した「狩野派」に焦点をあて、その魅力に迫っている。

200pxzhou_maoshu_appreciating_lot_2 狩野派の始祖は、室町幕府の御用絵師・正信(1434~1530)に始まる(右の掛け軸は正信の作品・国宝)。
 狩野正信はもともと伊豆の地侍、将軍家に出入りして「漢画」の日本化で功績をあげた。

 そしてその子・元信(1476~1559)が、禅宗的な水墨画の要素を薄め、大和絵の技法を取り入れた装飾性のある様式を創造する。
 これが戦国時代の新興武家の共感を呼び、元信の孫・永徳(1543~90)さらにはその子・光信(1565~1608)と、信長や秀吉など武家政権と結んで専門絵師としての正当性を誇る様になった。

Img312_640_2 左の屏風絵は狩野探幽の作品(「叭々鳥・小禽図屏風」)。
 秀吉亡き後、伯父・正信と共に徳川家康に召された探幽(1602~74)は、江戸城近くの鍛冶橋に屋敷を与えられて、江戸幕府の御用絵師となる。
 彼はこれまでの「家法」を一変させ新時代の武家絵画を確立、狩野派中興の祖と呼ばれる。

Img315_640_2 一方、京都に残った狩野派は永徳の次男・孝信(1571~1618)が継ぐが、実権は永徳の一番弟子・山楽(1559~1635)にあった。
 その後は山楽の婿・山雪(1589~1651)その子・永納(1631~1697)と続き、京の寺院や公家と結びつき華麗な彩色法の技を伝えていった(右は永納作「遊鶴図屏風」部分)。

 今回の展示は、探幽の作品を中心に京狩野との画風を比較しながら、狩野派の継承と革新に焦点を当てているが、展示作品は35点と少ない。

 そこで思い出したのが、若いころボストン美術館で見たフェノロサが持ち帰った「狩野派の屏風絵」。
 以下は当時の写真を探して掲載してみたが、残念ながら色は褪せている。

Img318_640_2Img319_640Img320_640Img321_640

 左から、伝・山楽作「二十四孝図」、尚信(探幽の弟)作「高山四皓図」二双、右が山雪の「雪景山水図」。
 いずれも屏風の部分を写したものである。

Img314_640 「琳派」や「土佐派」「円山四条派」など、腕のいい弟子たちが継いでいった流派と異なり、権威と地位を世襲していった「狩野派」は伝統を墨守して陳腐に流れたとの評もある。
 ただ時代時代に伝統を革新して、新しい技法を加えていった絵師たちも存在しており、日本の絵画へ大きな影響を与えたことは間違いない。(右は探幽の弟・安信の「群鶴図屏風」部分)。

 「江戸の狩野派」展は、12月15日まで日比谷・出光美術館で。入館料1000円。

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