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March 31, 2015

2592.桜・佃・石川島

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 「春のうららの隅田川 のぼりくだりの舟人が 櫂のしずくも花と散る 眺めを何にたとうべき」

 「見ずやあけぼの露浴びて われにもの言う桜木を 見ずや夕ぐれ手をのべて われさしまねく青柳を」

120_640116_640 水の街・東京のシンボル隅田川、旧岩淵水門で荒川と分かれて東京湾にそそぐ23.5キロm。
 中央区に架かるのは、両国橋~新大橋~清洲橋~隅田大橋~永代橋~中央大橋~佃大橋~勝鬨橋の8橋、2年後には東京湾口に築地大橋が誕生する。

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 隅田川の河口に堆積した三角州、「三国島」(寛永江戸図)「鎧島」「森島」(江戸名所図会)と呼ばれていたこの小さな島が、「石川島」の名が付いたのは1626(寛永3)年のこと。

 徳川水軍の長、御船奉行の旗本・石川正次が将軍・家光から島を拝領して、江戸湊の防衛基地としたからである。

 1790(寛政2)年には、火付盗賊改・長谷川平蔵の建議によって隣接地の寄洲を加え、「人足寄場」となった。
 寄場は無宿人たちの授産・更生の場であったが、明治以降は懲役・監獄所となり獄舎が巣鴨に移転(1895年)するまで続く。

136_640137_640 石川島には、幕府が水戸藩に命じて造った「洋式造船所」(1853~)も併設され、維新後の1877(明治10)年までは官営造船所として、多くの軍艦が建造された。

 造船所は後に民営化されて「石川島造船」に、さらに「石川島播磨重工業」(現IHI)となったが、1979(昭和54)に工場は閉鎖された。

 跡地が「大川端リバーシティ」として再開発され、初めて高層マンションが建ったのは、それから10年の後になる。

053_640098_640059_640060_640 隣接する「佃島」の誕生は、石川島に遅れる事18年になる。

 徳川家康から「将軍御菜御用」の命を受た摂津・佃村の名主・森孫右衛門は、一族郎党と33名の漁師を率いて1596(慶長元)年に江戸へ下った。

093_640088_640 当初は、小石川や小網町の旗本の屋敷に住んで江戸湾で漁をしていたが、1644(正保元)年に石川島南の干潟8.550坪を拝領し、自ら築立てを行って島にした。

 以来漁師たちは、隅田川と江戸湾の一部を「御留」として、専用漁場とした。
 「白魚献上」に象徴されるように幕府ご用達が主だったが、余った魚貝類を煮て売ったのが、今も続く「佃煮」の起こりである。

 島の中央に鎮座する住吉神社は、海の守り神として摂津の国から勧請したものである。佃誕生以来、3年ごとに大祭が行われ有名な八角神輿が町内を渡御する。
 今年はその大祭の年に当たるためか、神社の「桜まつり」は例年以上に賑わっていた。

 隅田川・石川島・佃島、今さくらの季節を迎えている。

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March 28, 2015

2591.3月のシネマ(4)

 「もしも、『パリ』が消えていたら、 世界は、どうなっていただろう」

 第二次世界大戦末期、ナチス・ドイツ占領下フランス、ヒットラーによる「パリ」壊滅作戦が、今まさに実行されようとしていた。

 今月公開された作品を見て、半世紀前の名作を思い出した。

Img972_640   「パリよ、永遠に」

 フランスの劇作家シリル・ジェリーの舞台劇を、ドイツの巨匠フォルカー・シュレンドルフが映画化した作品。
 彼の作品は、カンヌ国際映画祭でパルム・ドールを受賞した「ブリキの太鼓」('79)以来である。

350656_003 原題は舞台劇と同じ「Diplomatie」、「外交(官)」と訳す人もいるが「駆け引き」としたほうが、スリリングである。

 時は1944年8月25日、「パリ解放の日の早朝」から映画は始まる。

350656_008 ノートルダム大聖堂・ルーブル美術館・オペラ座・エッフェル塔・・・と、「パリが世界に誇る建造物の全てを爆破してパリを水没させよ」とのヒットラーの命令をうけたドイツ軍パリ防衛司令官コルティッツ将軍。

 パリに生まれパリを愛する中立国スエーデンの総領事ノルドリンク、パリの破壊を防ぐために隠し階段を通って司令官室に。

 映画は、「老獪な外交官」と「生粋のプロシア軍人」とのギリギリの駆け引きを、スリリングに描く。

350656_001 「ドイツとフランスのこれからの未来を想像しよう」と、「理性」と「情」に訴える外交官。
 「妻子は、ヒットラーの人質になっているのだ。お前が私の立場だったらどうする」と詰め寄る将軍。

 紳士的で静かな駆け引きではあるが、水面下では強烈なボディーブローが飛び交うのだ。

350656_007350656_006 外交官を演じたのはアンドレ・デュソリェ、将軍はニエル・アレストリュブと、フランスの名優二人が舞台で何百回と演じた白熱の演技を見せる。

 ラスト、タイトルバックに流れるシャンソンは、ジョセフィン・ベーカーのヒット曲「ふたつの愛」。
 祖国への忠誠を持ちながらもパリを救った将軍への、感謝の心か。

 先日来日したドイツのメルケル首相も語っていたが、映画を撮ったドイツ人監督のシュレンドルフも「フランス・ドイツの和解なくして、今のヨーロッパはない」と、映画の狙いを綴る。

Th22   「パリは燃えているか」

 タイトルは、アドルフ・ヒットラーがコルティッツ将軍に掛けた最後の電話のセリフだが、真偽は不明である。

Thq4btx81q 「パリよ、永遠に」は「パリ解放」の日1日だけの物語だが、こちらはその前のレジスタンス蜂起から連合軍のパリ侵攻までを描いたフランス・アメリカ合作の作品である。

 もちろんヒットラーの「パリ焦土化計画」が主題で、これを食い止めようとするレジスタンスたちの熾烈な攻防戦、そしてコルティッツ将軍と総領事ノルドリンクのスリリングな交渉も、終盤のクライマックスとして登場する。

 監督はルネ・クレマン、当時まだライターだったフランシス・コッポラが共同脚本に名を連ねている。

Th23 出演者が、錚々たる顔ぶれなのだ。

 ジャン=ポール・ベルモンドとアラン・ドロンがレジスタンスの闘士。
 連合軍のパットン将軍にカーク・ダグラス、ブラッドレー将軍にグレン・フォード。
 戦車隊の軍曹にイブ・モンタン、若いG.Iニアンソニー・パーキンスとジョージ・チャキリスと、その後の名優たちが並ぶ。
 またカフェの主人にシモーヌ・シニョレ、さらにシャルル・ボワイエ、レスリー・キャロン・・・・。

 そしてコルティッツ将軍はドイツの国民的俳優といわれたゲルト・フレーベル(「007シリーズ」)、総領事ノルドリンクはアメリカの名優オーソン・ウエルズが出演していた。

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March 25, 2015

2590.3月のブックから(3)

 図書館にある伊東潤の歴史小説は、読了した。
 さて次はと、書庫を歩いて目に留まったのが中村彰彦の棚、並んでいる本はそれほど多くないが3冊借りてきた。

Th まず著者の概歴から。
 中村彰彦・65歳、栃木県出身。東北大学文学部を卒業後、文藝春秋社の編集者に。文芸出版部次長を最後に18年間勤めた出版社を退社して、執筆活動に専念する。

 「五左衛門坂の敵討」('93) 中山義秀文学賞
 「二つの山河」('94) 直木賞
 「落花は枝に還らずとも」('05) 新田次郎文学賞 他著書多数。

Thkva4bfky 中村彰彦公式サイトから。
 「私には 歴史の主役として 名を残した人々よりも
  静かに舞台を去っていった者たちを
  書きたがるという傾向があるようだ」

 その出身・学歴からわかるように、中村彰彦は「会津をこよなく愛し、保科正之など歴史上で重要な人々を、著作や講演を通じて現代に伝える」作家でもある。

Img966_640 「落花は枝に還らずとも」('04・中央公論新社刊)

 幕末の会津藩に「日本一の学生」と呼ばれたサムライがいた。
 京で活躍した公用方・秋月悌次郎、藩の外交担当として薩摩と結び長州排斥に成功したが、直後に謎の左遷にあった・・・・・・・。

 激動の時代を誠実に生きた「文官」の生涯を描く、上・下巻678ページにわたる歴史長篇である。

Ths1lb0s0j 大河ドラマ「八重の桜」で、八重の兄・山本覚馬の友人として登場した秋月。
 北村有起哉が演じた秋月は、八重の最初の結婚のとき仲人を務めていた。

1163638798 藩校「日新館」に学んだ後、18歳で江戸に遊学した彼は昌平坂学問所で14年間学ぶ。
 書生寮の舎長にも選ばれ、その秀才振りは他藩からの寮生たちの注視の的であった。(第2章・日本一の学生)

 退所後は藩命により、長州や薩摩などを巡歴して諸藩の制度・風俗などを視察している。(第3章・京都まで)

 京都守護職となった藩主・松平容保に側近として仕えた秋月は、薩摩藩と組んだ宮中クーデターを起こして激派公卿を禁裏から追い出して長州の力を削ぐ。
 この時彼は藩兵を率いて御所を守っている。(第7章・八月十八日の政変)
 しかし彼は守旧派の讒言によって、蝦夷・斜里代官に左遷させられる。(第8章・流離)

Jidai_akizukiteijirou 大政奉還後、会津に帰還した容保に再び召喚され、軍司奉行添役となる。
 秋月は、戊辰戦争・会津落城直前に城を出て官軍との和平交渉の任に当たるが、降伏後は会津戦争の責任を問われて終身禁固刑を受ける。(第14章・開城の使者)

P_ateijiro 5年後特赦、のち文部省御用掛を経て熊本の第五高等学校の教頭を務めるなど、若き青年たちの教育に専念した。

 五高で共に教鞭を執ったラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、激動の中に生きた秋月の鮮烈な過去と、生徒に慕われる柔和な今日の彼の人柄を高く評価し、「神が姿を表すとしたら、この老先生のような姿だろう」と、その著書に記している。(第16章・神のような人)

 秋月悌次郎・胤水、1900年東京にて永眠。享年77歳。
 中村彰彦は、歴史小説としては珍しい「文官」の足跡を丁寧に記録した。

Img965_640   「跡を濁さず~家老列伝」(文芸春秋刊)

 「オール読物」に掲載した短編集、六人の「No2」の男たちの物語である。

Th 表題の「跡を濁さず」は、安芸藩福島家「お取り潰し」に際し鮮やかな手腕で取り仕切った、家老・福島丹波守治重が主人公。
 武士の矜恃を保ちながら、粛々と城を明け渡した「丹波の作法」は、赤穂藩断絶の折に国家老・大石内蔵助が手本にしたという。

Th413sjktk 「雷を斬った男」は、豊後・大友宗麟の忠臣だった立花伯耆守道雪。明治の廃藩置県まで続いた、柳河(川)藩の祖となった戦国武将である。

 「夢路はかなき」は、織田家最古参の宿老・柴田修理亮勝家。お市の方と再婚したものの秀吉に攻められ越前・北ノ庄で共に壮絶な最期を遂げる。

 他、会津・加藤家家老の堀主水一積(「主君、何するものぞ」)、土佐・山内家家老格の後藤象二郎(「行けば十六里」)、斗南藩権大参事の山川浩(「入城戦ふたたび」)。 

 中村彰彦の「家老列伝」は、会津藩の家老・田中玄宰ら、才気故に主君から遠ざけられた「No.2」を描いた短編集「東に名臣あり」も出版されている。

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March 22, 2015

2589.春・浜離宮

041_640002_640120315_067_640 浜離宮恩賜庭園の「菜の花」。
 左から今年・昨年・一昨年の写真。

 毎年「春分の日」前後に浜離宮を散策して、春の花々を撮っている。
 いわば「季節の定点観測」、その年の気候を占うわけでもないが。

044_640_2050_640 実は今年の写真、例年より20mほど前進して撮っている。
 手前の花畑が斑で、雑草が生えているからだ。
 こんなことは、はじめてである。

006_640_4 庭園の係員に話を聞くと、11月に蒔いた種がなぜか発芽不良で、ところどころ「疎」になっており、先月新たに種を蒔いたらしい。

 原因は種か?それとも天候?
 これも、定点観測の面白味のひとつである。

027_640036_640035_640032_640「ツバキ」「サンシュユ」「モクレン」「カンヒサクラ」と、いつもの春の花をカメラに収める。
 ここ数日の暖かさで、蕾も膨らんでいる。

057_640059_640060_640061_640 曇り空だったのでそれほどイメージは変わらないが、いつもの様に同じ風景をフイルターを変えて撮ってみた。
 「ナチュラル」「極彩」「モノカラー」「クロスプロセス」・・・・。

074_640055_640070_640069_640浜離宮の桜は、「ソメイヨシノ」より3週間ほど遅れて咲く「サトザクラ」が中心。
 来月中旬に、もういちど訪ねてみよう。

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March 19, 2015

2588.3月のシネマ(3)

 数々の賞を獲った「ヴァイブレータ」('03)、「やわらかい生活」('05)「余命1ヵ月の花嫁」('09)などで知られる廣木隆一監督61歳。
 ピンク映画出身だが、「サンダンス映画祭」で奨学金を得てアメリカに留学、帰国後はメジャーからインディペンデンントまで、多彩な作品を撮り続けている。

 先月来、彼の作品が2本並行して公開されており、注目を集めている。

165709_02_640   「さよなら歌舞伎町」

 最初に公開されたのは「グランド・ホテル形式」作品。
 新宿・歌舞伎町のラブホテルを舞台に、しがない男女5組の「一日」を赤裸々に描く群像劇である。

349723_002 狂言回しとなるのが、ホテルの店長(染谷将太)とミュージシャンの卵(前田敦子)の「倦怠カップル」。

 ラブホテルを訪れるのは家出少女(我妻三輪子)と、風俗スカウトマン(忍成修)。
 次の組み合わせは、時効を間近に控えた男(松重豊)と、潜伏生活を送るホテルの清掃人(南果歩)。

349723_004 続いて帰国直前の韓国人風俗嬢(イ・ウンウ)と、その恋人(ロイ・キム)。
 さらにエリート刑事の不倫カップル(河井青葉×宮崎吐夢)と、それぞれワケアリの人々。

349723_007 映画は、「愛を求める者」「愛に裏切られた者」「夢を追う者」「夢に破れた者」が、触れあい、傷つき合い、別れていく様を凝視する。
 それは、不器用で哀しい大人たちへの賛歌でもある。

 季刊誌「映画芸術」の編集長でもある脚本家・荒井晴彦(68)と廣木監督が、コンビを組んだ三作目の作品になる。

Img968_640   「娚の一生」

 女偏に「男」と書けば「めおと」だが、これを「男」と読ませる。
 原作者・西炯子(にしけいこ)の拘りだろう。

 女性対象のコミック誌「月刊フラワーズ」(小学館)に連載され、単行本(4巻)もベストセラーとなった西炯子の代表作を、廣木隆一が映画化した。

349045_013 仕事にも恋にも疲れたキャリアウーマン(榮倉奈々)が、田舎で染色家をしている祖母宅に身を寄せる。
 日を待たずに祖母は亡くなったが、そこへ祖母の弟子だったという中年男(豊川悦司)がやってきて離れに居候する。

349045_001 地元の大学教授だという「図々しい」男と、彼女の奇妙な共同生活。
 傍若無人な彼に、やがて彼女は心を開き新しい愛を紡いでいく。

 アラサー女性を中心に、「恋に臆病になる気持に共感」「切なさが手にとるようにわかる」と支持を集めるヒロイン。
 作者はそこに、包容力を持ち人生の醉も甘いも知り尽くしたオジサマ、「恋をしたくなる男」を登場させて女心を癒す。

349045_006 物語の途中に登場する脇役たちが、生きている。
 ヒロインに結婚を報告に来た親友(安藤サクラ)、子供をヒロインの家に置き去りにした母親(岩佐真悠子)、祖母の友達(木野花)などなど。

 原作者が鹿児島(指宿)出身なので、舞台の設定は薩摩半島の田舎となっている。
 故郷の風景を期待して映画を見に出かけたが、ロケは三重県を中心に行われたようでちょっとがっかりした。

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March 16, 2015

2587.3月のブックから(2)

Img964_640_2 郷里に住むフェイスブック仲間から、冊子が届いた。

 掲載されているのは「鹿児島西本願寺の草創期」と題する小論文。
 「なぜ鹿児島には浄土真宗(門徒)が多いのか」を、明治9年の「信教の自由」からおよそ10年間を中心に、真宗本願寺派による布教活動の歴史をふり返り、その活動を支援した森田寿香(私の曽祖父)と吉峯次右衛門の事跡を掘り起こしている。

 著者の窪壮一朗さんは、前文部科学省のキャリア官僚。
 4年前に、神奈川から南さつま市大浦の古民家に家族ぐるみで移住、果樹や野菜などの有機農業を営む「百姓」である。
 彼は農作業の傍ら、地域の歴史などを古老を訪ねて取材、自らのブログに掲載している。
 今回の冊子は、数回にわたって連載してきた上記の稿を一冊にまとめたものである。

Thmgdh1wb6 著者の問題意識は、「真宗興隆の長い歴史を持つ北陸などと違い、鹿児島では戦国時代からの300年もの間、真宗は禁教とされてきた。にも関わらず、どうして真宗が支配的な宗派となっているのだろうか?」である。

Thikexll1i たしかに薩摩では、一向宗(真宗)禁教の時代でも、役人の目をのがれ真宗の教えに帰依した農漁民や商人がいた。
 いわゆる「隠れ念仏」である。
 だから「その弾圧が解かれた時に、一向宗が一挙に広まった」というのが、定説だった。

Thlhe79tza しかし著者は、鹿児島開教事業を本格的に始めた京都の西本願寺にとって、「隠れ念仏の徒」は障害となっていたと論証する。

 事実、西本願寺は「隠れ念仏」を間違った念仏の教えとして、それまで山村の廃屋や洞窟・海上などで秘密裡に活動していた「念仏者」を、「曖昧僧」として排斥している。

 著者が注目したのは、明治5年に出された「自葬禁止」の太政官布告だった。
 全ての宗教を国家の管理下に置こうとする明治政府は、神官・僧侶が執り行なわない「葬儀」を禁止したのだ。

Thz10evn7d ところが当時の鹿児島は苛烈な「廃仏毀釈」の後で、幕末には1.600もあった臨済宗や曹洞宗・真言宗などの寺院が全て壊されていた。
 また2.966人いた僧侶は全員還俗させられ、本尊や経典などは全て焼却されていた。

Thyh49p2tr この状況を知った西本願寺は、エース級の若き僧侶たちを鹿児島に送り込み、「葬式」を御旗に大布教行動を展開していった。
 私の菩提寺、加世田の「顕證寺」の第一世住職・藤等雲もそのひとりで、明治9年には当地で説教開座している。

Th11 もうひとつ、著者・窪が注目したのは布教に必要な「資金」だった。
 そして、その資金を支えたのが藩政時代から廻船問屋を営んでいた加世田の豪商「カネシチ」「丁子屋」と市来の「カネヒラ」だった、という史実にたどりつく。
 彼らは、京・大坂との交易の中で、江戸の頃から西本願寺との密かな交流があったと考えられる。

Thib2p9d5b 詳細は省くが、西本願寺鹿児島別院建築(明治11年)の采配をふるったのは、その「カネシチ」の当主・森田寿香であり、莫大な建築資金は彼ら商人たちからの寄進で賄っている。

 本稿には、あまり知られていない「西南戦争と真宗布教」についても述べられている。
Th1fldzj51
 「本願寺の三傑」の一人といわれた長州出身の大洲鉄然(1834~1902)が、木戸孝允と大久保利通の密命を受けて鹿児島に入ったとして、私学校勢に捕縛された事件である。
 また真宗門徒で鹿児島の民権活動家・田中直哉も、「西郷暗殺」の疑いをかけられて逮捕される。

 「西南戦争勃発」の背景に真宗布教活動が深く関わっていた事実を、著者は項をたてて論述している。

 薩摩における「知られざる幕末史」の一章を、私は興味深く読んだ。
 曽祖父への供養をこめて。

     窪壮一朗のブログ「南薩日乗」
     http://inakaseikatsu.blogspot.jp/ 

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March 13, 2015

2586.3月のシネマ(2)

 受賞は逃したが今年のアカデミー賞の主演男優賞に、それぞれノミネイトされた作品2本。
 いずれも実在人物、実際に起こった事件を描いている。

Img955_640_2   「アメリカン・スナイパー」

 先月末のニュース。

Th_2 「映画『アメリカン・スナイパー』で描かれたアメリカ海軍シールズの元狙撃兵クリス・カイルさんを射殺したとして、殺人罪に問われた元海兵隊員ルース被告についてテキサス州裁判所は、終身刑を言い渡した。カイルさんはイラク戦争で・・・・・・。」

 テキサスのカーボーイが、9.11がきっかけとなって海軍特殊部隊シールズに志願した。
 過酷な訓練を受けた彼は、天才的な射撃の腕を生かし狙撃兵としてイラの最前線に4回にわたって派遣され、アメリカ軍市場最多の160人を射殺する。

Img_0_2 味方からは「伝説の狙撃手」と英雄視される一方、アルカイダなど反政府武装勢力からは「ラマディの悪魔」とよばれ、その首には2万ドルの懸賞金が賭けられた。

350823_005 そのカーボーイ、クリス・カイルを主人公に、射殺の名手が射殺されるまでを描いた巨匠クリント・イーストウッドの作品である。

350823_006 アカデミー賞作品賞にもノミネイトされたが、映画に対する評価は見る側のスタンスによって、真っ二つに割れた。
 主人公を「英雄視」する共和党右派、そして「悪魔」とするイスラム過激派や反戦派はともかく、観客もまた割れる。

350823_002 しかしイーストウッド監督は、カイルの自叙伝を基にしながらも、戦争がもたらす矛盾が一人一人の兵士の心を蝕んでいく姿に、演出のポイントを置く。
 この姿勢は、同監督作品「父親たちの星条旗」('06)や「グラン・トリノ」('08)でも語られてきたが、今回は84歳の経験からくる「老獪さ」が見事に表れている。

350823_004 自らもPTSDを負い、同じく精神的に追い込まれた仲間たちの面倒をボランティアでみた彼が、その相手から射殺されるというパラドックスは、事実だけに重い。

 孤高の男、伝説の狙撃兵をグラッドリー・クーパーが、その妻をシェナ・ミラー(「G.I.ジョー」'09)が演じる。
 クーパーは、「世界に一つのプレイバック」('12)でもアカデミー賞にノミネイトされており、今回はプロデューサーも兼ねている。

 衛星電話で故郷の妻と日常の会話をしながら銃を撃ちまくる主人公、現代の戦場は家庭の日常の中にまで侵入している。
 これもまた、衝撃の事実だった。

Img963_640   「フォックスキャッチャー」

 事件は、1996年1月26日ペンシルバニア州ニュートンスクェアにある「フォックスキャッチャー農場」で発生した。
 この農場にレスリング道場を持つジョン・デュポンが、コーチでロス・オリンピック金メタリストのディブ・シュルツを射殺したのだ。

Th_3 逮捕されたデュポンの弁護士は、「心神喪失」により無罪を主張して最高裁まで争ったが、「故意はあるが計画性のない殺人罪」として13~30年の禁固刑の判決が下された。
 そして14年後、デュポンは肺疾患のため医療刑務所内で死去した。

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 ジョン・デュポンは、「ロックフェラー家」「メロン家」と並ぶ大財閥の御曹司。デラウエアに自然博物館を持つ鳥類学者で作家、世界的な切手蒐集家としても知られ、レスリングをはじめとするアマチュアスポーツの支援者でもあった。
 事件の発生した農場に置かれた道場は、アメリカ・レスリングチームの本拠地でもあったのだ。

350749_005 映画は「なぜ大財閥の御曹司が金メタリストを殺したのか」をテーマに、孤独・富と名声・支配欲、心の暗部で繋がれた大富豪(スティーヴ・カレル)とレスラー兄弟(マーク・ラフォラ×チャニング・ティタム)の心理を、ストイックにそして鮮烈に描く。

350749_001 2歳で両親が離婚、兄デイブに育てられ同じくロスで金メタルを獲った弟マークが、デュポンにスカウトされるところから映画は始まる・・・・・・・。

 映画を撮ったベネット・ミラーは、「カポーティ」('05)「マネーボール」('11)など著名な人物や事件を描く事を得意とする監督である。
 今回も格差社会がもたらすアメリカ社会の暗部にメスを入れ、事件の不条理をあぶりだす。
 作品は昨年のカンヌ国際映画祭で、監督賞を受賞している。
 

350749_007 出演者では、デュポンを演じたスティーブ・カレルの、鬼気迫る演技に称賛の声があがる。コメディアン出身の彼が、アカデミー賞にノミネイトされたのも当然だろう。

 殺された兄に扮したマーク・ラファロも、「キッズ・オールライト」('10)に続く2度目のノミネイト(助演男優賞)。
 彼の妻役は、「アメリカン・スナイパー」でも妻を演じたシェナ・ミラーが顔を見せた。

 デュポンにスカウトされ歪んだ主従関係を迫られ道場を去った弟、兄が殺された要因の一つともなったマークは、引退後に自伝を書き今回の作品の製作にも協力している。
 

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March 10, 2015

2585.三月大歌舞伎

Kabukiza_201503f_640 知人からチケットを頂いたので、久しぶりに歌舞伎座に出かけた。

005_640 今月は通し狂言「菅原伝授手習鑑」、新しい歌舞伎座では初めての昼夜に渡る通し上演で、片岡仁左衛門が当たり役の菅丞相を演じるのをはじめとして、次代を担う役者たちが大役に挑んでいる。

 左大臣・藤原時平との政争に敗れ、太宰府に左遷(901年・延喜元年)された右大臣・菅原道真を題材にした「菅原伝授手習鑑」。
 「義経千本桜」「仮名手本忠臣蔵」と並んで義太夫狂言の三大傑作とされる演目である。

Th 人形浄瑠璃として初演されたのは、1746(延寿3)年の大坂豊竹座。
 竹田出雲・三好松洛・並木千柳と三人の作者が、各段のクライマックスとなる「親子の別れ」(二段目『道明寺』で菅丞相と刈谷姫の生き別れ、三段目『佐太村』で白太夫と桜丸の死に別れ、四段目『寺子屋』で松王丸と小太郎の首別れ)をそれぞれ書き分け、評判を呼んだ。

 初演当時、大坂で三つ子が生まれて話題となっていたことから、三人の作者は「桜丸」「梅王丸」「松王丸」という三つ子の兄弟を登場させ、菅原道真の悲運と重ね合わせて物語をふくらませている。

008_640 今回の通し狂言は、四段の演目を六幕に再構成している。
 私が鑑賞したのは夜の部だったので四幕目から六幕目まで。

 最後の幕となる「寺子屋」は「菅原伝授手習鑑」全体の頂点となる一幕で、「身代わり物」の傑作、日本の代表的な悲劇として、これまでも独立してたびたび上演された人気狂言である。

019_640 物語の展開は、帝の弟・斎世親王と菅丞相の養女・刈屋姫との駆け落ちを描く「加茂堤」。

020_640 大宰府に流される菅丞相から「書の道」の奥義を伝授され、一子・菅秀才を託される武部源蔵が登場する「筆法伝授」。

 丞相流罪のきっかけを作った刈谷姫の実母・覚寿が、丞相暗殺を企てた男を殺す「道明寺」、丞相の悲劇と周囲の人々の様々な運命を描いた重厚な幕である。

010_640 「夜の部」の幕開けは「車引」。
 三つ子のうち梅王丸(片岡愛之助)は丞相の舎人、松王丸(市川染五郎)は仇・藤原時平の舎人、桜丸(尾上菊之助)は斎世親王の舎人。
 吉田神社の社頭でぶつかった三人は、牛車の前で争うが・・・・・。

 「車引」は荒事の様式美あふれる一幕で、三つ子の揃いの衣装と性格の違いを反映した「隅」と「鬢」が見どころである。

009_640 五幕目「賀の祝」は、三つ子の親である白太夫(市川左團次)の古希の祝の席で、流罪の口実を作ってしまった桜丸が、その責をとって切腹するという悲劇が描かれる。

 前半は松王丸と梅王丸の俵を使っての殺陣、後半は死を決意した桜丸の述懐が聞きどころ、夫の死を嘆く八重(中村梅枝)の姿が悲しみを誘う。

016_640 六幕目「寺子屋」は、丞相の子・菅秀才を匿っている武部源蔵(尾上松緑)が、首を差し出せと迫る時平側に寺入りした別の子の首を切る悲劇。

011_640 実はその子、時平の舎人・松王丸の子どもで、それを知ったうえで首実検する松王丸の嘆き、哀れに死んだ桜丸のこととダブって大泣きする。
 松王丸の女房・千代(片岡孝太郎)が、子供との別れを惜しむ場面も見どころである。

 幕切れは、竹本が語る詩情あふれる「いろは送り」となる。

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March 07, 2015

2584.3月のブックから(1)

Thbcb9ebav_640_2 作家の司馬遼太郎さんを偲ぶ「第19回菜の花忌シンポジュウム」が、先月の7日NHK大阪ホールで開催された。
 今年は豊臣家が滅亡して400年に当たる事から、司馬遼太郎が大阪城落城を描いた「城塞」をもとに「乱世から乱世」のテーマで話し合われた。

Wst1502070056p1 シンポジュウムのパネリストは、建築家の安藤忠雄さん、作家の伊東潤さん、歴史学者の磯田道史さん、女優で歴女の杏さん。

 シンポで伊東さんは「『城塞』は現代を映す鏡。今の日本はあの時と同じような平和ボケの状況。もっと危機感を抱く必要がある」と語った。

 「乱世から乱世~『城塞』から考える」の模様は、NHKーEテレで今日14時から放送される予定。

 さて今月紹介する本も、先月に続いてシンポジュウムに出席した伊東潤さんの作品である。

Img957_640   「天地雷動」(角川書店)

 「信玄死す・・・」その噂は、三河から美濃、近江へと飛ぶ。
 1573(元亀4)年信濃・駒場で急逝した父の跡を継いだ武田勝頼、上洛を夢見て版図拡大をはかった偉大な父親の意志を継ぎ、信長を追い落とし天下を掌握しようと、戦いをすすめる彼が主人公。
 しかし信玄の宿老たちは、それを認めない。

Img960_640 並行して描かれるのが、三方ヶ原の戦いで信玄に敗れた遠江・浜松の徳川家康。
 信長と信玄の間で戦々恐々としてきた彼は、これを機に生き残りの策を巡らす。

 一方、甲斐侵略のため信長から3.000丁の新式銃の調達を命じられた近江の秀吉、さっそく堺に駆けつけるが・・・。

 そして武田軍のもとで戦う伊那の国人、帯刀一族が物語を進める。。

10 ハイライトは、信玄没して2年後の「長篠の戦い」。
 元亀6年5月20日三河・設楽原、戦国最強を誇る武田騎馬軍団と信長率いる3000の鉄砲隊とが激突する。

Img961_640 この「天地雷動」は、先月のブログ2577号で紹介した「武田家滅亡」の前篇に当たる作品で、同じ「北天蒼星」を加えた三部作の大河小説になっている。

 伊東は自ら「長篠の戦いの跡」を現地踏査し、数多くの史料を駆使してを歴史ドキュメントとして合戦を精細に描いた。
 勝頼の苦悩、家康の困惑、秀吉の活躍、合戦に参加した國人たちの苦しみを並行的に綴る事で、「乱世」を現代に呼び戻ている。

Img958_640   「黎明に起つ」(NHK出版)

 「戦国最初の梟雄と呼ばれ、守旧勢力を駆使し、関東の地に理想国家を創り上げた早雲の一代記」
 2012年から2013年にかけて、WEBマガジンに連載されたものをまとめた。

Img_0437 作品は、前回紹介した「叛鬼」の姉妹編にもあたる。
 主人公は伊勢宗瑞、備中・荏原で幼少時代を過ごした伊勢新九郎盛時が、小田原北条氏初代の早雲庵宗瑞として没するまでの物語である。

Db0040101e_003_rl1 12歳の新九郎が、伊勢在住の足利義視のもとに証人(人質)として送られるところから、話は始まる。
 八代将軍・義政の弟義視は、将軍正室・日野富子に疎まれて伊勢に逼塞していたが、「応仁の乱」で東軍(細川勝元)側の総大将として呼び戻されようとしていた、しかし・・・・・。

 東軍(細川)・西軍(山名)と天下を二分した「応仁の乱」は11年間も続き、京の町は荒廃し室町幕府の権威は失墜した。
 戦乱がようやく収まった頃、28歳になった新九郎は父の跡を継ぎ、新将軍・義尚の配下に入る。

 やがて姉が嫁いだ駿河・今川家の内紛を収めるため京から下り、さらには堀越公方の後継(潤丸)を殺した足利茶々丸(初代公方の庶子)を追討して伊豆に入り、韮山を根拠にする。

8bd70ab8cbd153fa970ea8a9c34b7ede1_6 以降、「叛鬼」でも語られるように古河公方、管領・山内上杉家、相模守護職・扇谷上杉家らと離合集散して戦い、小田原を本拠に関東を制覇していくのである。

 「武田家滅亡」「北天蒼星」に登場する北条氏康は早雲(新九郎)の孫、悲劇の将・上杉景虎と武田勝頼の正室・桂は曾孫にあたる。
 そして1582(天正18)年に小田原は秀吉に攻められ、兄で北条4代の氏政は切腹して果てる。
 早雲死後、63年後の事である。

Img959_640   「城を噛ませた男」(光文社)

 
 2010年から11年にかけて、「小説宝石」に掲載した5本の短編集である。
 タイトルに並んで「Make him attack the castle」と英文のコメントが・・・。

Thx263i0ld 表題の「城を噛ませた男」とは真田昌幸ののこと。
 武田・織田・徳川・上杉・豊臣と主をかえながら、知略・謀略を巡らして戦国の世を生き延びた。
 自らの居城を犠牲にして、秀吉による北条攻撃の大義名分を作り上げる戦国武将の生きざまが描かれる。

 さらに「見えすぎた物見」「鯨のくる城」「椿の咲く寺」「江雪左文字」と、いずれも大大名の狭間に生きる弱小豪族たちが、騙し騙される駆け引きの中で、一族の名を残すための苦悩の跡が完璧な歴史考証に基づいて、記録されていく。

 伊東潤の、直木賞初ノミネイト短編集である。

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March 04, 2015

2583.3月のシネマ(1)

 人間の「生」と「死」、「愛」と「孤独」を見つめる作品2本、イギリス映画と日本映画を紹介しよう。
 アプローチは異なるが、いずれも「悼む人」が主人公である。

Img953_640_2   「おみおくりの作法」

 「孤独な死を迎えた人の最後を、孤独に生きる人が取り仕切る」お話である。

Dir_pic02 主人公は、ロンドン南部の街ケニントン地区役所の福祉係。
 孤独死した人の遺品から宗派を特定し、教会を決め、流す音楽を決め、弔辞を書き、一人参列して葬儀を行い、空いている墓地をさがして埋葬するのが日課である。

Cast_pic02 その彼も一人暮らし、決まった時間に家に帰り、きちんと片づけられたテーブルで、トーストパン一枚にツナ缶一個、梨一個に紅茶の夕食をとる。
 そして、死者の残した写真をアルバムに整理して一日を終える。

 ところが22年変わらぬ仕事を続けてきた彼を、役所はリストラした。仕事が丁寧過ぎてコストがかかると。
 そこで彼は、自宅の前のアパートで「孤独死」した老人の身寄りを探す最後の仕事、最後の旅に出るのだ・・・・。

350004_002 主人公を演じる物静かな男が、エディー・マーサン(「戦火の馬」'12)。
 繊細な感情の機微を見事に見せるイギリスの実力派俳優だが、主役は今回が初めてである。

350004_003 映画を撮ったのは、「フルモンティ」('97)のプロデューサーとして知られるウベルト・パゾリーニ、監督作品としては2作目である。
 新聞の片隅で見つけた「孤独死」の記事、離婚して一人暮らしを始めた彼は「孤独」「死」「人と人とのつながり」という人生の普遍的なものを見た。

Intro_pic02 彼は語る。
 「私は視覚的に、小津安二郎監督の晩年の作品を参考にした。そこには、日々の生活が静かに、しかし力強く描かれているから」

 舞台の中心となったケニントン、チャップリンが生まれ夏目漱石もロンドン留学中に暮らした街。
 その静かなたたずまいは、「STILL LIFE」(原題)そのものである。

003_640005_640006_640 身につまされる作品だったが銀座の映画館は満席、30人ほどが立ち見していたが、こんな経験はここ10年初めてだった。

 先日の新聞によると、東京都でも「孤独死」は深刻化しており、2013年は3.806人と5年前より29%も増えたそうだ。

Img954_640   「悼む人」 

 天童荒太が直木賞('09)を受賞した同名小説が原作。
 この作品に感動した堤幸彦(演出)と大森寿美男(脚本)が、3年前に舞台劇として上演した。
 そして同じコンビで、映画化された。

350631_002 事故や犯罪に巻き込まれ、不慮の死を遂げた人々。
 その人が「生前、誰を愛し、誰に愛されたのか、どんな事をして感謝されたか」、その地を訪ね跪き、それを記憶に刻む旅人が主人公(高良健吾)である。
350631_005
 旅の途中で出会う人々、夫を殺した罪を背負うヒロイン(石田ゆり子)と夫の亡霊(井浦新)、母を捨てた父を憎むルポライター(椎名桔平)と田舎の診療所女医(戸田恵子)。

 旅人を待ち続ける人々、末期ガンに苦しみながらも旅を続ける息子を案じる母親(大竹しのぶ)と父(平田満)、兄の行為が理解できない妹(貫地谷しほり)。

350631_004 死者を「悼む」旅人と、彼をめぐる人々が織りなす「生と死」、「愛と憎しみ」が、移り変わる日本の風景の中で描かれていくのだ。
 いったい彼はなぜ「悼む人」になったのか、観る人それぞれの「生」と「死」の体験によって答えは」出てくる。

350631_003 多くの人の死が伝えられる日々、一方ではその死が簡単に忘れられていく日々。
 原作者・天童荒太は、各地で亡くなった人を3年間にわたって悼んで歩いてきた。その日記に書かれた実体験が作品のバックボーンにある。

 「トリック・シリーズ」から「明日への記憶」('05)と、幅広いジャンルの作品を撮ってきた堤幸彦は、天童のその「想い」をデビュー作のつもりで撮ったという。
 笑いやトリッキーな演出は抑え、人々の繊細な感情が映像美の中に溢れる。

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March 01, 2015

2582.春・江ノ島道

005_640001_640 スタートは湘南モノレール「江ノ島駅」。
 今回の「ひとまくウオーキング」は、「旧江嶋道」を「旧藤沢宿」へと辿りながら、梅香る「新林公園」をゴールとするコースを歩いた。

009_640 江の島道は、江戸から「大山詣」した人たちが帰途「江の島弁財天」にお詣りして、精進落としをするため賑わった街道。
 鎌倉時代は、鎌倉の西の入り口として京都へと続く幹線道路でもあった。

046_640007_640_2 街道には、管鍼法を創始した杉山検校が寄進した48基の「道標」が、交差道ごとに設けらている。

 道標三面には、「ゑのしま道」「一切衆生」「二世安楽」の文字が刻まれる。
 弁財天への道を辿る人々の全てが、現世・来世での安穏・極楽を得られるようにとの願いである。

025_640012_640_2 最初に訪ねた街道沿いの寺は「常立寺」、龍口寺輪番八ヶ寺のひとつで日蓮宗寺院。

 もともとは、鎌倉時代この地にあった「龍の口刑場」で処刑された人々を葬った「面影塚」(墓地)。
 後に真言宗の寺が建立されたが、室町の末に日蓮宗となった。

022_640023_640 境内にある「元使塚」は、斬首されたモンゴル(元)の使節の供養塔。

 
 
 1275(建治元)鎌倉幕府執権北条時宗は、「降伏勧告文書」を持参して鎌倉にきた元の正使・杜世忠以下5人を処刑して、この地に葬った。

039_640038_640 江戸時代に彼らを悼む五輪塔が設けられ、大正の頃には650回忌を期して石碑も建てられた。
 毎年4月に開かれる「大相撲藤沢場所」の日、横綱白鵬をはじめとするモンゴル出身の力士たちが、供養に訪れるという。

040_640017_640 常立寺は、梅の名所。
 境内では、「ふじぼたん」「おもいのままに」「紅梅」「あおじく」が咲き揃う。

049_640 次の寺への途中にあったのが、「西行もどり松」。

 鎌倉に向かって江の島道を歩いていた西行が、道で出逢った童に問うたところ、「夏枯れて 冬ほき草を 刈りに行く」との返歌。
 自らの歌の未熟さに気づき、松を捻じ曲げて京へ引き返したとの由来が伝わる。この松は別名「ねじり松」、5代目だそうだが。

051_640061_640 「木蓮寺」も、瀧口寺の輪番寺八ヶ寺のひとつ。
 創建は595(推古3)年と古いが、現在の日蓮宗の寺となったのは鎌倉時代の後期である。

055_640 源頼朝が帰依したころは真言宗の寺で、父・義朝の最初の墓所はここにあった。
 平家討伐の勲功で、後白河法皇から送られてきた遺骨をここで受け取ったおりに、乗馬を繋いだ切株が「頼朝公駒繋ぎの松」として残されている。

058_640_2059_640 安土桃山時代の末期、江戸と駿河を往来した徳川家康は、この寺を休息所とした。
 三代将軍家光はその縁から、寺に7石の御朱印状を賜ったので「御朱印寺」と称し、寺門には葵の紋が記されている。

 そして境内には、上野・寛永寺から移された11代将軍・家斉の石燈籠も置かれている。

072_640069_640 最後に訪ねたのは「密蔵寺」、真言宗大覚寺派の寺。
 創建は鎌倉末期で、本尊は「愛染明王」である。

071_640 境内には由緒ある樹木があるが、有名なのが「愛染かつら」。
 女優だった小暮実千代が、デビュー作「愛染かつら」の成功を願って植えた「桂の木」である。

076_640_2078_640_2 また境内には「四国八十八ケ所」の霊場を模し、88寺から取り寄せた砂を埋め大師像を築いてある。
 お詣りすれば、四国霊場巡りと同じ御利益をこの寺で受けられるそうだ。

094_640091_640 
 瀧の口を抜けて片瀬山に。
 50年ほど前に開発された高級邸宅街の坂道は、「富士見坂」と呼ばれる。
 眼下には相模湾、丹沢山塊・箱根・伊豆の山々、天気がいいと富士山が遠望できる。

099_640096_640
 片瀬山公園から山道に入ると、もうここは「新林公園」。
 山の尾根に沿って1キロの山道が続くが、上り下りと結構きつい。
 下った先は、もう藤沢の市街地だ。

111_640103_640_2 最後に立ち寄ったのが、公園・梅林の隣に移設された「旧小池邸」。
 1841(天保12)年に棟上げされた寄棟造り・茅葺屋根の民家で、柄沢の名主屋敷である。

105_640_2107_640_2
 江戸時代に入って、足利尊氏の家臣の末裔が藤沢の柄沢に移住して、代々名主を継いだという。
 梅林の梅の香りと、屋敷内にひっそりと飾られた雛人形が、早い春の訪れを告げる。

 この後は、藤沢の駅まで2キロ近く歩いて、いつもの店で反省会。
 およそ3時間半の行程で歩いた距離はおよそ12.000歩、ドアtoドアでは万歩計が14.095歩、アプリは13.701を記していた。

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