« 2952.9月のシネマ(1) | Main | 2953.9月のシネマ(2) »

September 07, 2016

2953.再訪・建長寺

029_640 024_640  ひとまくウオーキング、先月末に「鎌倉・建長寺境内」だけを散策した。
 
 昨年の夏は、「三門」が特別拝観できるとあって、豪雨の中を参拝した(ブログ2626号「雨の建長寺」)。
 
 ということで、この名刹の訪問は5回目になる。
 今回は、これまで紹介しなかった塔頭やエピソードなどを中心に綴る。
 
Imgp0006_640Imgp0008_640 「鎌倉五山の第一位」
 
 鎌倉末期、執権北条氏は南宋の「五山制度」にならい、京都・鎌倉の臨済宗の寺院から五つを選び「寺格」を定めた。
 
 南北朝時代になると、足利氏は鎌倉と京都を分けて、それぞれ五山を制定した。
 
Imgp0003_640  因みに鎌倉は建長寺・円覚寺・寿福寺・浄智寺・浄妙寺の順、京都は南禅寺(別格)・天龍寺・相国寺・建仁寺・東福寺・万寿寺。
 
 ただ足利義満の時代は、相国寺が第一位となったように、権力者の意向で順位は代わった(左の写真は鎌倉第二位・円覚寺山門)。
 
Imgp0018_640  「巨福山建長興国禅寺」
 
Imgp0013_640_3 Imgp0014_640_2  総門と三門の頭上に掲げられた扁額。
 三門は、後深草天皇の御宸筆。
 
 山号はこの一帯の地名「巨福坂」から、建長は創設年号、興国は開基・北条時頼の願による。
 
 第十世住職・一山一寧による総門の筆は、巨の字に筆勢による一点を加えて、百貫点とした。
 
6a811f42c68322c5dc73529de02405ab_40  「蘭渓道隆」
 
 鎌倉幕府五代執権・北条時頼が、禅によって国の興隆を図るため、宋から招いた禅僧が蘭渓道隆、建長寺の開山となった。
 
20120509163516_129612_640  1246(寛元4)年に33歳で来日、筑前・円覚寺、京都・泉涌寺で禅を教えていた蘭渓を、鎌倉に招き寿福寺に愚居を設けた。
 そして常楽寺を開き、のち建長寺の開山となった。
 
 その後蘭渓は、京都・建仁寺の住職となったが、晩年は再び鎌倉で過ごしている。
 
Imgp0070_640 Imgp0071_640  「碧巌録」
 
 三門を右に進むと、専門道場「西来庵」がある。ここからは修行僧しか入れない。
 入り口には「碧巌録」の文字が、墨黒々と書かれてる。
 
 碧巌録とは「公案集」のこと、いわゆる「禅問答」で修行者が悟りを開くため課題として与えられる「無理難題」を、まとめたものである。
 
 中国から伝わった禅宗の大きな潮流は、「臨済宗」と「曹洞宗」。
 建長寺は臨済宗の禅林名刹であり公案禅が基本、永平寺などの曹洞宗はただひたすら座る「只管打坐」となる。
 
Imgp0024_640_2  「崇源院の御霊屋」
 
 国の重要文化財「仏殿」は、もともと江戸・芝増上寺にあった建物。
 二代将軍秀忠正室・崇源院(お江)の御霊屋を、1647(正保4)年に移設した。
 
Imgp0028_640_2Imgp0064_640_2 Imgp0065_640  その「仏殿」の前にあった門が、勅使門ともいわれる「唐門」で、現在は「方丈」の前に移されている。
 
 門を飾るのは秀忠の「紋」、「六つ葵」である。
 
Imgp0063_640_2 Imgp0062_640_2  「方丈庭園」
 
 唐門の先、「竜王殿」から眺める庭園は、蘭渓道隆の作庭による。
 池の中に島を置き橋を架け、池の周りには石と松を配した。
 
 国の史跡・名勝、禅寺を象徴する瀟洒な名園である。
 
Imgp0030_640 Imgp0035_640_2  「塔頭・正統院」
 
 今回初めて拝観できた塔頭である。
 
 建長寺の十四世住職・高峰顕日が、1300(正安2)年に浄智寺内に庵居として建てたものだが、1335(兼務2)年に顕日の高弟・夢想礎石が建長寺内に移した。
 
Imgp0038_640  顕日は後嵯峨天皇の皇子で、16歳で出家(京・東福寺)、20歳の時に鎌倉に入り円覚寺の開山・無学祖元に学んだ。
 のちに疎石ら、鎌倉禅宗の多くの名僧を育てている。
 
 寺の裏山にある顕日の墓所は「陵」、皇族の墓なので鎌倉では珍しく宮内庁が管理している。
 
Imgp0031_640 Imgp0032_640  また塔頭の墓地の一角には、海軍の特攻隊「神雷舞台」の戦死者829名の名を刻んだ墓碑が建つ。
 ロケット・エンジン「桜花」で太平洋の戦場の露と消えた、学徒兵たちを祀る。
 
 海軍特攻隊の生き残りだった正統院住職が建立し、1965(昭和40)年に川端康成や山岡壮八ら従軍した作家らも参列して除幕された。
 
 「塔頭・回春院」
 
Imgp0051_640  建長寺の奥、昔は地獄谷とよばれた刑場跡に建てられた寺。
 塔頭の前の池は、蘭渓の諡号に因んで「大覚池」と名付けた。
 
Imgp0048_640 Imgp0050_640  開山した仏覚禅師は信濃の人、蘭渓に学んだ二十一世の住職。
 
 回春院で禅籍中国古文学書を刊行、関東における仏教書籍の出版事業の中心となった。
 
 ここには、処刑された人たちを祀る地蔵堂もあったが、その建物は横浜・三渓園に移築されている。
 
 今回の「ひとまくウオーキング」は建長寺境内だけの3時間、歩数は9.886歩だった。
 

|

« 2952.9月のシネマ(1) | Main | 2953.9月のシネマ(2) »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/93334/64130683

Listed below are links to weblogs that reference 2953.再訪・建長寺:

« 2952.9月のシネマ(1) | Main | 2953.9月のシネマ(2) »