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October 16, 2016

2965.秋の鎌倉・足利一族の故地散策

Imgp0044_640  足利氏は、清和源氏・源義家の子孫が下野国足利荘に住んだのが一族の始まり。
 
 頼朝の挙兵にいち早くはせ参じ、以後執権北条氏と姻戚関係を結んで三河・上総の守護に任じられるなど、代々鎌倉幕府の重臣となった。
 
 今月の「ひとまくウオーキング」は、足利一族の故地を訪ね、鎌倉幕府滅亡から室町幕府誕生の歴史を紐解いた。
 
Imgp0001_2_640Imgp0002_2_640  金沢街道に沿った住宅地に、ひっそりと建つ「足利公方邸舊蹟」の碑。
 
 「御所ノ内」と呼ばれるこの一帯に、足利氏の広大な鎌倉屋敷があった。
 後に室町幕府を京都に開いた足利尊氏と、参謀でもあった弟の直義もここで生まれた。
 
 後に東国を統治する鎌倉府もここに置かれ、任に当たった尊氏の三男・基氏は鎌倉(足利)公方を自称し、氏満・持氏と子孫がそれを引き継いだ。
 
 旧足利屋敷の近く、鎌倉五山五位の寺と言われる浄妙寺は、尊氏の祖・足利三代義兼が創建(1188年)した臨済宗の寺院である。
 
 本堂の裏手には、尊氏の父・貞氏が葬られている。
 寺名の浄妙寺は、貞氏の法名から採った。
 
 室町時代には鎌倉公方の菩提寺となり、「鎌倉五位」の寺としたのも、三代将軍義満の命であった。
 
Imgp0022_640Imgp0021_640_2  今は廃寺となったが、 同じ境内に尊氏兄・高義を供養するために建てた「延福寺」があった。
 高義が若くして亡くなったため、尊氏が足利家の惣領となった。
 
 その跡に弟・直義を祀る宝塔がある。
 「観応の擾乱(1350年)」で尊氏の執事・高師直を討った直義は、尊氏によって幽閉され、ここで毒殺されたと伝えられる。
 
Imgp0027_640Imgp0034_640  竹の寺として有名な「報国寺」は、尊氏の祖父・家時が創建(1334年)した臨済宗の寺である。
 
 足利氏と上杉氏の菩提寺として五山に次ぐ「諸山」に位置付けられた。
 寺の裏にある「やぐら」には、足利家が天下を取ることを祈願して自刃した尊氏の祖父と、14歳で自刃 した四代鎌倉公方・持氏の嫡男義久の墓がある。
 
Imgp0028_640  六代将軍義教に反抗して敗れた父・持氏に殉じての死、弟の成氏は下総に逃れて「古河公方」を名乗る。
 それ以来、鎌倉にある足利屋敷や関連寺院はさびれていく。
 
Imgp0054_640_2Imgp0051_640_2  国の史跡に指定されている「永福寺跡」、今復元工事が進んでいる。
 
 源頼朝が鎌倉に建立した三大寺院のひとつで、義経や藤原一族の怨霊を鎮めるために、中尊寺の伽藍を模した二階堂を本堂として、左右に薬師堂・阿弥陀堂を配した。
43967_188486130421020331492_300_640 この寺は、「中先代の乱(1335年)」や「観応の乱」で鎌倉を奪還した尊氏が臨時の御所として滞在、戦いの指揮を執った場所としても知られる。
 
 「中先代の乱」とは、14代執権北条高時の子・時行が鎌倉幕府復
権を図って、鎌倉を一時占拠した騒動のこと。
 
 鎌倉に駐在していた尊氏の弟・直義は、幽閉していた先の征夷大将軍護良親王を殺害して鎌倉を逃れた。
 
_640Imgp0045_640  永福寺に近い理知光寺跡の山上には、首を刎ねられた大塔宮護良親王の墓があり、宮内庁が管理している。
 
_640_2  護良親王は後醍醐天皇の皇子、落飾して天台座主となったが天皇が倒幕の兵を挙げたとき、還俗して闘いの指揮を執った。
 
 建武新政府では征夷大将軍になったものの、尊氏の讒訴によって鎌倉に送られた。
 
06042103yuuhei_640Imgp0066_640  明治維新後建立された 「鎌倉宮(大塔宮)」は、護良親王が幽閉された土牢の跡に建てられ、親王が祭神となっている。
 
 明治天皇は、幕府を倒し天皇親政を築いた護良親王に、徳川幕府を倒したわが身をなぞらえて鎌倉宮を創建したという。
 
Imgp0012_1_640  足利一族、なかでも室町幕府を立てた尊氏・直義兄弟の故地をを訪ねた一日。
 
Yjimagemhpv0bfc_640  たまたま先日、安部龍太郎が書いた歴史小説「義貞の旗」を読了していたので、歴史の流れがよく理解できた。
 
 作品の主人公は新田義貞、足利の隣りに荘園を開いた源氏一門で、護良親王の倒幕に義を感じて、反鎌倉方となった武将である。
 上野で挙兵し、稲村ケ崎を越えて鎌倉に攻め入り、北条高時らを打ち破り幕府を倒した。
 
20120723020546_640  後醍醐天皇を裏切った足利尊氏とは異なり、最後まで後醍醐(南朝)側について戦った。
 
 「義貞の旗」には、足利方が敵役となって、室町幕府成立の背景が詳細に描かれている。
 
Imgp0061_640_2  なお最後に訪ねた「覚園寺」は、足利氏の祈願所だった真言宗の寺。
 火災で焼失した後、尊氏によって薬師堂が再建された。
 
 その天井には、尊氏自筆による「梁碑銘」が残っているが、境内や茅葺の薬師堂など外観も含め写真撮影は一切禁じられていたので、詳細は省く。

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