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January 04, 2017

2988.深川七福神めぐり

 「歳の初めに詣でれば、福を授かる七福神めぐり」
 
Imgp0002_640  徳川家康が崇拝した七福神は、文化・文政(1804~30)の頃には江戸庶民の信仰となり、「めぐり」はウオーキングを兼ねた正月行事となった。
 
 ご近所の「深川」に始まって、「日本橋」「浅草」「谷中」「下谷」「亀戸」「千住」「隅田川」「山の手」、昨年は「多摩川七福神」を歩いた。
 そして今年は10年前に戻って「深川」、前回とは逆に「富岡八幡宮」をスタートした。
 
Imgp0005_640 Imgp0008_640  「富岡八幡宮」は、江戸最大の八幡様として知られ、江戸を出る人たちはここにお参りして旅立った。
 天文学者の安井算哲、地理学者の伊能忠敬も「日本測量」の旅は、ここからだった。
 
Imgp0012_640 Imgp0013_640  富岡八幡の七福神は、本殿を左に下がった奥、三つの末社がありその一つに漁業の守り神、商売繁盛の神、恵比寿神が祀られていた。
 
Imgp0015_640_2  首都高9号線をくぐり、葛西橋通りに出ると「冬木弁天堂」がある。
 
 尾形光琳のスポンサーでもあった木場の豪商・冬木弥平次が、琵琶湖竹生島から「裸体の弁財天」をここに勧進した。
 
Imgp0020_640 Imgp0019_640  残念ながら裸体の弁財天は火災で焼失、現在はその身代わり「着衣の弁財天」が、仙台堀川を背にしたお堂に祀られている。
 
 清澄通りに出て北に進むと、「心行寺」がある。
 
Imgp0027_640 Imgp0021_640  江戸時代の半ばに、八丁堀から移ってきた岩国藩の菩提寺だった名刹である。
 この境内の一角に、長寿をもたらす「福禄寿」が祀られている六角堂があった。
 
Imgp0028_640  芭蕉最後の庵跡がある海辺橋を渡って、右折した先に「円珠院」がある。
 
Imgp0034_640 Imgp0032_640  江戸の中頃、旗本・永井直充の妻が創建した庵で、そのころから「大黒天」は祀られていた。
 大黒天はインドのシヴァ神の化身、食物・財福を司る神である。
Imgp0038_640_2 Imgp0039_640_2  深川江戸資料館通りの手前にあるのが、「龍光院」。
 
 もともと馬喰町にあった家康側室・阿茶局ゆかりの庵だったが、明暦の大火・天和の大火で焼け出され、深川に移った。
 
 仏教の守護神である「毘沙門天」は、鬼門除けとして祀られたが東京大空襲で焼失、43年前に再建された。
 
Imgp0048_640 Imgp0044_640_2  清澄通りを清洲橋通りへ左折、その先に「深川稲荷神社」がある。
 
 祀られているのは実在した唐の禅僧「布袋尊」、その太ったおおらかな風貌から、弥勒菩薩の化身ともいわれた。
 
Imgp0050_640  小名木川を万年橋で渡り芭蕉記念館の前を右折すると、「七福神めぐり」の終点「深川神明宮」が見える。
 
Imgp0052_640  江戸の初め、家康からこの地の干拓を命じられた、摂津国・深川八郎右衛門の屋敷跡である。
 
Imgp0057_640Imgp0056_640  ここに創建された小祠が深川村の総鎮守となり、一角には道教の神「寿老神」が祀られた。
 
 朝8時半自宅を出て地下鉄「門前仲町駅」下車、ここから歩いて7か所の寺社をめぐる。
Imgp0058_640  途中で鶴屋南北や間宮林蔵、阿茶局、松平定信の墓参り、芭蕉の庵や滝沢馬琴の生誕の地を覗き、錣山・大嶽・北の湖・尾車の相撲部屋の朝稽古の声を聴き、「森下駅」から帰宅したのは11時。
 
 腰にさげた歩数計は、9.961歩を示していた。

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